HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

櫻井正上さんの声明文(3/3)

2017-10-04 13:56:14 | 統一家の行くべき道

櫻井正上さんの声明文(3/3)


私はかつて母の行動を止めようとしました。それは母を「守ろう」としたからです。しかし、母が切な祈りの中で、自らの立場よりも、名よりも、生活よりも、自らの聖和のことよりも、神の理を思い、父母を思い、食口を思い、「私は父母から愛された者だ、日本教会の長女なのだから」と、自らの全てをかけてを上げようとする姿にれた時、これを止めることはできませんでした。

 

私も今、それと同じ思いです。私は日本教会を、これ以上、、神の理を進めようとする方を打つ側に立たせたくないのです!どうか、一方的で誤った情報を食口たちにえることを中してください。その責任は牧者の方が負うべきではありませんし、負って頂きたくもないのです!今からでも、この船の方角をえたいのです!お母を本に支え、食口たちを神の理の方向性へ向かわせることのできる方はだ !と、私は信じます。 

 

もし、皆さんがこのメッセジを、に分派の“毒”に冒された違いの叫びだと思われるなら、石を投げつけてくださっても構いません。しかし、もし皆さんの中に、“別の”を聞かれる方がおられるなら、周や偏見にとらわれず、“真実”を求めけてください。母の二つの書簡をはじめ、自らの信仰生命をかけて真実えようとしている人の言葉に耳を傾けてください!“財産泥棒”“食口泥棒”という汚名を着せられ、あらゆる迫害を受けながらも、必死な思いで私たちにきかけてきた、真実の言葉に耳を傾けて頂きたいのです!

 

また、真実を求めようとする食口たちがいるなら、それを罪しないでください。人は真実を求めるものです。皆さんもこの道にられる時、同じだったのではないでしょうか?本に“真実”に立っている側は、「見るな、聞くな、れるな」とは言いません。見て、聞いて、れて、祈って判せよ、と言うはずです。幼い二世や食口は別かも知れませんが、先輩家庭や年食口にして「あちらの集に行ったら罪人とする」などといった況は、“正常”とは言えないでしょう!

 

真実は周が認めるから真実になるではありません。たとえ周りの全員から反されようと、真実はそれだけで真実でしょう。私たちが御言を知る者であり、神を信じる者であるなら、真偽を見分ける判基準は、本部の見解でも、威ある者の言葉でもなく、“原理”であり、“神の理”でなければならないのではないでしょうか?また、自らが何を信じるべきかは“神”と“理”によって判しなければならないのではないでしょうか?私にとって、この行動はその結果でした。 

 

仮に、皆さん一人一人が自らの信じる“真実”をげ始めることで、この教会に“混”が生ずるのだとすれば、それは今、この教会が“本的な態でない”ことの現れではないでしょうか?私も“混”を恐れてきた人間です。しかし、もしそれが、この運動の本態を取りそうとする過程の中で生じる混であるなら、私は、その混を“避けてはいけない”と思うのです。

 

最初に記したように、この運動の方向性を誤らせた原因に、祝福家庭の言動や姿勢があったのだとすれば、私たち一人一人はこの問題にする5%の責任を負っています!それを果たさないまま、全ての責任をの家庭に負わせてはいけない、と思うのです。また、ただ信じて、沈し、傍することが、その5%を果たすことではない、と、私は思うのです。

 

今、私にとって大切なことは、自らのなる本心のを信じ、沈を破って、自らが信じる真実を、皆さんにえることです。一人のはほんの小さなものでしかないのかもしれません。しかし、それが真実から語られる言葉であり、であれば、人の心にもくはずです。また、一人一人のはどんなに小さくとも、それが一つのになるなら、“潮の流れ”もえることができるのではないでしょうか?

 

かつてのお父のように、年間、どんな迫害にも、苦難にも、誹謗中傷にも、わることなく、自らの抱いた信念を、真実を語りけ、叫ばれけた方の姿を見た時、また、その方の根底にあるものが、恨みでも、怒りでも、憎しみでもない、天にする、父母する、食口たちにする“の愛”であったことに付いた時、私にも、一つの悟が生まれました。

 

難しい時代、困難な時代だからこそ、“信仰”が求められるに違いありません。私は改めて神の導きを信じたいと思います。また、真実に立つ一人一人によって、この運動がこの難局を越え、立と混の時代を越えて、神の理の中で全てが一つとなる日がることを、心から信じてやみません。

 

 

2017年10月1日 櫻井正上

 


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