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「忠孝」あれこれ・・・①「日本之情 忠孝之源」

2017-02-14 22:09:44 | 忠孝

「日本之情 忠孝之源」

1968年2月22日430双の祝福式が挙行された。日本からは久保木修己会長夫妻と大山君子さんが参加した。祝福式が終わって韓国から帰国する2日前に真のお父様は久保木会長に揮毫をくださった。それが「日本之情 忠孝之源」であった。(参照「日本統一運動史」)

この前年、1967年の6月17日から本部教会において「原理大修練会」が開催された。これは1957年に出版された原理解説の土台の上に出版された「原理講論」にもとづく最初の修練会として開催されたものである。この時は真のお父様が主管してくださりながら劉孝元会長が講義をされた。この原理大修練会が終了した翌日の7月1日、御父母様のご提案により、東京都西多摩郡五日市の「城山」に登ることになり、総勢150人が2台のバスに分乗して出発した。到着後一行は真のお父様を先頭に一気に登り、山上で歌を歌ったり、参加した地区長たちに決意を述べるように促したり和動に興じた。

さてこの数日前に五日市に住む菅沼志づさんという婦人のもとに、もしかしたら大先生(真のお父様)一行150人が行くかもしれないという連絡が教会から入った。この時の経費は教会と菅沼さんで負担するという話だったが、菅沼さんは教会に電話をして、経費のすべてを自分が負担する旨を告げました。そして150人分のカレーライスやスイカなどを準備するため、保険を解約し、借金をして準備をしました。そして手元に1500円のお金が残ったのですが、孝進様(当時4歳)遊んで服を汚したので着替えを準備するためにその1500円を渡したのでした。そのことを知った真のお父様は「最高の言葉をあげるよ」と言われ揮毫されました。それが「精誠」と「誠心誠意 忠孝之源」というみ言でした。(「日本統一運動史」参照)

 

真のお父様は日本人の心情の奥に「忠孝の情」の流れていることをよくご存じで、そのことに関するみ言葉も多く語っておられる。

「日本には楠木正成などと言う人物もいたよね」と語られたこともあると聞く。

楠木正成と言えば後醍醐天皇に忠誠を尽くしたことで有名な代表的な忠義の人であった。このことが多く取り上げられているのが「太平記」である。太平記には後醍醐天皇などご皇室に忠誠をつくした人物が多く取り上げられている。「太平記」の作者ともいわれる児島高徳などもその人物である。江戸の初期に「太平記読み」と言われる人たちがいた。「太平記読み」とは、諸国の大名などお殿様の前で太平記をもととして講義をするのである。「太平記」から、人としての生き方や国を治める統治者としての知恵を学んでいったのである。太平記には楠木正成がいかに徳政の人だったかが述べられている。江戸の名君と言われる藩主や領主は、ここから治世の在り方を学んでいったのである。

孝の世界では近江聖人と言われた中江藤樹先生が親孝行の代表人物のようにも言われてきた。母親に孝養を尽くすため仕官を辞めても故郷に帰り孝を尽くしたと言われている。中江藤樹と言うと日本の陽明学の祖とされる人物である。この先生のことについては項をあらためて書いてみたいことがある。

 

「忠」や「孝」の心情はどのように醸成されていくのだろうか?また、本当の忠孝とはどのようなものなのだろうか?ちょっと・・・?な忠孝があるのでは・・・そのあたりを考えて行ってみていきたいと思う。(以下 続く)


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