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Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

主人や親の言うことにただ従順に従うことがほんとうの忠孝ですか?

2017-02-26 22:04:36 | 忠孝

儒学では親の言いつけに100%従順に従うことが親孝行になる。逆に言えば親の言いつけに従わない子は親不孝になる。

日本でも儒学の教えの熱心な地方では、そういうことが言われてきた。「親の言うことはそのまま聞いて行いなさい」そのように教えられてきた。

しかし、小さい子供のころはともかく、単純に親の言いつけをそのまま聞けば親孝行とは言えない事例があまりに多くある。

この、「親の言いつけを守ることが親孝行」というのは、儒学の中でも主に朱子学の教えである。朱子学は忠と言うことも、主君への絶対従順を教える。儒学でも、陽明学はかなり自由である。陽明がくからすれば親が喜ぶことをする。親を幸せすることが本当の孝行と言うことになる。「忠」の場合も、単純に主君の言いつけを守るのではなく、主君を立派な主君、世から尊敬される主君にすることが本当の忠臣と言うことになる。

HOPEで様々に「忠孝あれこれ・・・」と取り上げているが、皆さんに注目していただきたいのは「本当の忠孝とは何か?」と言うことである。

創造原理には明白に書かれている。「愛と美は四位基台を完成するためにある」と。忠孝烈は主体である主人、親、夫の愛に応える家臣、子供、妻が一つになることのためにある。

ところが朱子学的な「忠孝烈」は極めて一方的で、主体の愛はともかく対象の従順さのみが強調される。

権力が権力を正しい者と規定して、下の者は単純に従順にしたげうことだと教える教えは支配階級には都合がいいかもしれないが、それでは主体と対象の一体化は出来ない。朱子学全盛の朝鮮時代や、日本でも朱子学が尊重された時代は権力者と民の遊離が甚だしく、社会の発展は阻害され、世の中の健全な発展はもたらされなかった。

忠孝あれこれで「中江藤樹」を取りあげているが、「代表的日本人」の著作の中で内村鑑三は「中江藤樹が陽明学を取り入れ、それを弟子の熊沢蕃山が学び、主君の池田光政が取り入れることによって日本の世の中は明るくなった。」と書いている。中江藤樹がもともと学んでいたのは朱子学であった。だから義務的にも親に孝行しなければと故郷に帰ったが、朱子の教えそのものでは本当の孝行の喜びが無いことを感じていた。そのころ王陽明全集を読んで、感銘したのである。ここにこそ孔子や孟子が教えたかった本当の教えがあると、本心で実感したのである。そしてそれを一番心の通じた弟子の熊沢蕃山にもおしえた、熊沢もこれまでの朱子学の教えに飽き足らないものを覚えていたのである。その疑問に王陽明は答えてくれた。熊沢蕃山は岡山の池田藩主池田光政に仕えて、その教えを実践した。それは「愛」の政治であった。藩主光政と蕃山は心を一つにしてひたすら民を幸せにする政治を行った。

「侍は愛である」という一文がある。「農民は農作物を作り、職人は道具を作る、女は料理や衣類を作って皆の役に立つ。しかし侍は何も作らない。だから愛の政治でみなを喜ばすことが侍の務めだ!」というわけである。

その後幕府の朱子学者林羅山に睨まれて、池田公も朱子学を受け入れざるを得なくなり、蕃山もその地位から追放されるが、その精神や考え方はその後の江戸の学者や政治家に大きな影響を与えた。江戸時代一の人気の学者は熊沢蕃山、名君は池田光政と言われた。それはひたすら民の幸せのための政治を行った愛に民も応えてきたからである。内村鑑三が取り上げた代表的日本人の一人上杉鷹山も同様の考えで政治を行った。民をひたすら愛したのである。鷹山は少し知恵遅れだった夫人をひたすら愛した。

江戸幕末になると、幕府の学者たちも表向きは朱子学を講じながら裏では陽明学を学んでいた。その代表例が江戸の昌平黌(徳川幕府の学問所)の総長佐藤一斎であった。その門下には吉田松陰の師、佐久間象山や幕末の藩政改革で有名な山田方谷などがいる。いずれも陽明学の影響を大きく受けた人物たちだった。西郷隆盛や勝海舟も熊沢蕃山の著作などを通し陽明学の影響を受けている。

日本の政治体制が、一部には階級差別的なものがないことはなかったが、概ね健全で明るい主従関係や為政者と民の関係が持たれたのも王陽明の教えが広く受け入れられたことが大きい。

翻って教会(家庭連合)の実態を見てみよう。個々人の主体性よりも、教会本部や役職上位者の指示や命令が尊重されて、従順に単純に従うことが求められてきた。親孝行についても、単純に親の言うことが善だといって、子女様が親の言うことを聞かなかったから親不孝だと決めつける。

王権や、メシアを神格化して、絶対従順を求めるのは朱子学の犯した過ちを繰り返しているようなものである。朱子学的忠孝心は真の幸福を主体者にも対象者にも与えない。結果は主君と家臣が分離し、親と子が分離し、夫婦が分離して行かざるを得なくなり、愛と統一とは真逆な結果に陥って来たのである。

王様に不従順だと言って家臣を拷問する。親に不従順な子だと言って王子まで殺す。夫に不従順だと言って妻を離縁させる。これでは意味ないだろう。孔子も孟子もそのようなことは教えていない。

原理もそのようには教えていないことは前述した。朝鮮朱子学の縛から解放され無ければ統一家に希望も未来も開かれないであろう。


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