かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠320(ネパール)

2014年10月18日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の旅の歌【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)82頁
                    参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                    レポーター:渡部慧子
                    司会とまとめ:鹿取 未放


129 カリガンダキ河流域すべて眠れるを満月と山と一夜眠らず

     (レポート)(2009年1月)
 ネパールには、コシ、カリガンダキ、カルナリなど3つの大きな河川水系があり、これにより地域区分がなされている。「カリガンダキ河流域すべてが眠れるを」とは大きくとらえ、作者の度量を思うのだが、作者の位置を想像するに、下の句は「満月と山と」とあるのみだ。ヒマラヤはどこも山ばかりで場所をしぼれないのだが、次の文章を参考に鑑賞したい。
 「流域のある部分はアンナプルナやニルギリを東に、ダウラギリを西にして大峡谷をつくっており、それに沿う道も古くからあった。もともとヒマラヤ山脈の北側、チベット高原に続くムスタンにカリガンダキ河は源流をもつことから、他のルートより中国、チベット、インドをつなぎやすく、峡谷沿いの道は、1300年前から仏教文化が行き来することになり、古い仏教ロードであった。」
 これを読んで思うのだが、作者の位置にあまり拘る必要はなく、掲出歌には時空を包み込む視点がひそんでいたのだ。交通手段の発達、また情報伝達の敏速化によりカリガンダキ河に沿う道は用を終えたかのごとく、またおりしの満月に照らされ、まさしく眠っていると、初句から3句までの作者の感慨である。眠らないのは「満月と山と」そして作者であり、月が眠らないから山も眠らない、作者も胸中去来するものと共に、冴え冴えとして一夜を明かすのである。(慧子)


     (意見)(2009年1月)
★慧子さんはどうして不要な情報を長々と書くんですか?後で否定するなら書く必要はないと思います
 が。(藤本)
★そうですね、それから引用は、出典を必ず書いてください。(鹿取)
★カリガンダキ河に沿う道が用を終えたから眠っているとレポーターは書いているが、道路は今でも重
 要な交通ルートです。土地の人は飛行機に乗るような金銭的余裕はないですから、この道を歩きます。
 旅行当時、この道は車が通れるような整備がされていなくて、飛行機で20分のところを土地の人は
 2日かけて歩いていました。また馬や驢馬の隊商も通っています。なくてはならない道です。この歌
 の眠れないのは比喩的な意味ではなく、流域の人間も含めた動植物みんなが眠っている時間なのに、
 ということでしょう。煌々と照る満月と、それに照らされている山と、それらを感動をもって見つめ
 ている自分は眠らないでいる、という歌でしょう。(鹿取)
★一夜をこんなにゆっくりと詠み、読み手を惹きつける力がある。(崎尾)