dm_on_web/日記(ダ)

ダンスとか。

ダンス・フィルム・ヴァリエーション/Iプログラム:伝説のスターダンサーたち

2009-09-27 | ダンスとか
渋谷・イメージフォーラム。
▼「カルメン・アマヤ・フォーエバー」(編集/シネマテーク・ドゥ・ラ・ダンス、1998年)
『フアン・シモンの娘 La Hija de Juan Simon』(1935年)
『Oのマリア Maria de la O』(1936年)
『ファンダンゴの魔術師 El Embrujo del Fandango』(1941年)
『ジプシーのダンス Danzas Gitanas, Original Gypsy Dances』(1941年)
『SEE MY LAWYER』(1945年)
『夜の音楽 Musica en la Noche』(1955年)
『FOLLOW THE BOYS』(1944年)
『DANZAS GITANAS』(1941年)
『LOS TARANTOS』(1963年)
▼「ジョセフィン・ベーカー:1926年−1939年のアーカイブ」(編集/シネマテーク・ドゥ・ラ・ダンス、1998年)
『トムソン・ジャズ・オーケストラとのバナナのダンス』(1926年)
『Les Hallucinations d'un pompier』(1927年)
『プランテーション』(1927年)
『ジョセフィン・ベーカー』(1926年)
『Ring de Coliseum』(1931年)
『裸の女王 Zouzou』(監督/マルク・アレグレ、1934年)
『サン=ラザル駅の公演』(1936年)
『タムタム姫 Princesse Tam Tam』(監督/エドモン・T・グレヴィル、1935年)
▼「サミア・ガマル エジプトのオリエンタル・ダンス」(編集/シネマテーク・ドゥ・ラ・ダンス、1998年)
いかにも「シネマテーク」という感じのプログラムで狂喜。まずカルメン・アマヤを初めて見る。力強く高速で叩き出されるサパテアードはほとんどタップみたいな細かさで、いわゆるフラメンコのイメージとは相当違う。上体や腕も複雑に動くしカスタネットもすごいグルーヴ。とても一度に全部を受け止め切れない。晩年の映画の中の踊りに至ってはもう壮絶なテンションで全身が「噴火」している。ジョセフィン・ベイカーもこうしてじっくり見るのは初めて。迫力のある体でコメディをやるので愉快ではあるものの、単に踊り手として見てしまうと、まあ別に、という感じ。サミア・ガマルは50年代のエジプトのコメディ映画やミュージカル映画からの抜粋集。オリエンタルダンスというのはベリーダンスともまた違うみたいで、水平方向に胴を揺することはなくひたすら体をくねらせているのだが、あまり印象に残らなかった。どの映画でも同じ笑顔を常にキープしていて、典型的な「セックスシンボル」の風情。
コメント

Dance Triennale Tokyo 2009

2009-09-27 | ダンスとか
▼エステル・サラモン 『Dance #1/Driftworks』
Eszter Salamon, Dance #1/Driftworks

表参道・スパイラルホール。
ハンガリー出身でドイツで活動している振付家。女性によるデュオ。昼の神村&手塚に続いて「状態」系というか、見るのに特殊な集中力を要するパフォーマンス。疲れる…。床にうつぶせになった状態から、それぞれが小さな律動を体に起こしながら、姿勢や互いの関係を変化させていくのが前半。後半は二人ともが声を出してイライラしながら動き回る。原則や原理(これはどういうパフォーマンスなのかというコンセプトあるいはルール)がなかなか見えず、それをあれこれ推測し続けて時間がどんどん経ってしまうのはちょっと空しい。むしろそれをわかってしまった上で、楽しんだり味わったりということがしたい。とはいえ全部終わってしまっても一貫した何かを把握するのは難しかった。プログラムノートには「表現というものが、登場人物やその心理状態の再現=表象よりもむしろ内的でフィジカルな構成の作業から生じてくる」と書かれていたけど、二人のパフォーマンスは、少なくともぼくの目には「フィジカル」であると同時に多分に「文化的」「歴史的」にも条件づけられているように見えた。限定詞なしのフィジカルな「身体」一般、あるいは代理表象や言語活動(象徴界)から切り離された感覚的経験の束みたいなものをそれ自体として掘り下げていくということが、本当に可能なんだろうか(動物や狂気などといったフラットな状態に陥る以外に)、ということを考えた。むしろ、そうしようとすること自体、ものすごく観念的な(言語活動と深く関わった)作業であらざるを得ないんじゃないか。
コメント

実験ユニット 『毛穴の高気圧』

2009-09-27 | ダンスとか
吉祥寺・Art Center Ongoing。
出演/神村恵、手塚夏子
イスに座って向かい合い、ゴチャッとモノが置かれたテーブルを挟んで、雑談。目が悪いことについて。同じようなことを何度も、台本なしでしゃべるうちに、体が「余計な」動きをし始める。ストレスとフローがせめぎ合ってヘンな方向に不安定なエネルギーが出力されてしまう、という具合だろうか。体の状態はどんどん変わる。つい話している方に目がいってしまうので、途中から、聞いている方に注目するように意識してみた。話している時の体、聞いている時の体、あと、考えている時の体。モノをさわったり動かしたりするのなどが互いにキューになっているのだと後から聞いた。タイマーが鳴るやいなや神村が走って逃げ出し、手塚がそれを取り押さえようとする解体社みたいなシーンの緊迫度はすごかった。その後は裏に引っ込んでしまった神村からの指示に従って手塚が動く。神村が出て来て、録音した声に従って自分もやる。そしてまた最初と同じような話をしながら、上り階段と下り階段に分かれて互いに遠ざかっていく。
コメント