浦和美園駅前。
6月の西日暮里に続いて二度目。まるで荒れ野のような、広大な駅前の駐車場(?)で、風が冷たく、「夏」のイメージ全開なネタが季節外れになってしまったけれども、やっぱり面白かった。とはいえ前半はなかなか場が盛り上がらなくて、明らかに体感温度が関係していたのだと思うし、それが、中盤で客席に「赤い薬」が配られる場面を境にして一気に観客の集中度が変化した(ように感じられた)のも、実に興味深いと思った。顔見知りでも何でもないのに、観客は客席という場を共有した時点で何か無意識的な「共同体」を構成することがままある。何となく笑えない時はどうしたって笑えないし、盛り上がる時は全体でもって盛り上がる。しかもある時、スイッチが入ったようにしてその変化が明確に起きたりする。笑い声とかそういうことばかりでなく、ある時は散漫な意識で少し引いて見ていたり、ある時は息を詰めて集中して見ていたりするそのテンションが何か感じられて、自分にも影響を与えるし、自分も否応なくその一部を構成してしまう。そんなことをすごく感じた。
6月の西日暮里に続いて二度目。まるで荒れ野のような、広大な駅前の駐車場(?)で、風が冷たく、「夏」のイメージ全開なネタが季節外れになってしまったけれども、やっぱり面白かった。とはいえ前半はなかなか場が盛り上がらなくて、明らかに体感温度が関係していたのだと思うし、それが、中盤で客席に「赤い薬」が配られる場面を境にして一気に観客の集中度が変化した(ように感じられた)のも、実に興味深いと思った。顔見知りでも何でもないのに、観客は客席という場を共有した時点で何か無意識的な「共同体」を構成することがままある。何となく笑えない時はどうしたって笑えないし、盛り上がる時は全体でもって盛り上がる。しかもある時、スイッチが入ったようにしてその変化が明確に起きたりする。笑い声とかそういうことばかりでなく、ある時は散漫な意識で少し引いて見ていたり、ある時は息を詰めて集中して見ていたりするそのテンションが何か感じられて、自分にも影響を与えるし、自分も否応なくその一部を構成してしまう。そんなことをすごく感じた。