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ダンスとか。

ダンスビエンナーレ TOKYO 2004 (Eプロ)

2004-11-26 | ダンスとか
青山劇場。
▼李淑在/ミルムル・ダンス・カンパニー 『ハングル・チュム』
Sook-jae Lee / Milmul Dance Company, Korea Alphabet Harmony
ハングルを人文字でやる「モジモジくん」みたいな作品。大所帯だがダンサーはあまり巧くない。まずはソシアルダンスとバレエの混ざったようなもの(音楽は懐かしいC&Cミュージック・ファクトリー)、次いでレオタードに陰気な「電子音楽」のアメリカンなモダンダンス、そしてヨーロッパ正調のいわゆる「コンテンポラリーダンス」、最後は大団円で、イントレを使って大きく「ハングル」と書く。ここは完全にモジモジくん。文字を一個ずつ解説していくわけではなく、ダンスが展開していく中に時折ヒラッと出てくるから、ハングルを見慣れている人の目にはそれがゲシュタルトの図みたいにいきなり見えたりするのだろう。平仮名や漢字と違って幾何学的な形態だからあまりダンス的ではない気もするが、ダンスを見ていたら不意に「ぬ」とか「そ」とか浮かび上がってくるところを想像すると笑える。50分。
▼水と油 『断崖』
三人での新作。水と油は久しぶりに見たが、シュールとかギャグとかではない完全に「動きのための動き」のような部分が結構あって意外だった。大きな空間の中に巨大なテーブルがあって、その上を小野寺修二が歩いてくる冒頭など、画的に迫力のある場面が印象に残るが、マイム的な部分はあまり盛り上がらなかった。「遠く離れて座っている二人のコーヒーカップが糸でつながれている」とか、そのこと自体は確かにシュールではあるけれどもそこへ至る必然性が何も用意されていないのでまずフックを欠くし、そこから逸脱に次ぐ逸脱という展開が起こるわけでもない。中盤にヒッチハイクのネタ、最後は再びカフェのテーブル。35分。そもそもぼくは筋というか、意味のレヴェルに関心が薄く、何か細々したことが始まるとつい無意識の内に流してしまっていたりする。とりわけ笑いという効果が狙われていたりする時には、動きにその終着点が見えてしまうか、あるいは終着点を目指して動いているという事実が見えてしまう。すると過程としての動き自体の様々な様態はどうでもよくなる。意味に奉仕するだけの動き。そういうものじゃなく、意味以前の動きが見たい。意味以前の何か、あるいはシニフィアンスのありさまをひたすら注視したい。いや意味以前などといって意味を前提条件にする必要は全くないのだが、それは必ずや新しい意味を生み出し、意味のレヴェルでの驚きにもつながっていくに違いなく、にもかかわらずそのこと自体は差し当たりどうでもよいとするこのような姿勢でのみ関わりをもてる意味には関心がある、といっても許されるかもしれない。ところで、いつも藤田桃子の独特な仏頂面が気にかかっていることを今回初めて意識した。小野寺のようにリアクションがクドくなく、また高橋や須賀ほどフツーでもなく、硬質な異物感がシチュエーションの中で絶妙に屹立する。冷たく、しばしば何を考えているのかわからないが、そのくせ狡猾である。リアクションを取らないので、目のフォーカスはたいてい別の誰かに合わさっているのだが、視野の隅で画を支えているのはいつもこの人だったりする。
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