★ブログ上は2016年。名古屋ネタです。★
なんだかんだと忙しい日々を送りつつ、たまに時間があれば体調を崩したり、はたまた雨天だったり、としているうちにほぼ1年もの間、旧街道runから遠ざかってしまった。
2016年9月上旬。
代休で平日が休みとなったコスモタイガー。
名古屋の空は綺麗なスカイブルー!
念には念を入れて携帯で尾鷲地区の天気予報を確認すると、☀マークが並んでいる。
ヨシ!決行!
といっても往復の手段は限られてるからね。
近鉄で松阪駅に降り立ったのが9時半。
そして毎度の熊野古道特急バスに乗継。
ちゃんと時刻も調べ直してきたからね。
観光バス仕様の快適なバスに乗客は自分入れて数人。
前回・前々回と2度もお付合いした「梅ヶ谷」を通過し、1時間半余りで「古里」停留所到着。
こんな所に平日に降り立つ物好きは自分一人だけ。
まずは前々回のゴール、古里温泉に挨拶だけしておこう。
徒歩10分弱で到着。
前々回は冷たい雨の中、周囲を見渡す余裕もなく、あったまりたい一心で駆け込んだ記憶しかない。
今日はしっかりシャメも取り、記憶に留めておこう。
さすがにこれから走るのに温泉は入らないけどね。
すでに正午が近い。
さっさと本日のトレーニング開始。
今歩いてきた道を逆走し、何度目かの変則5叉路。
前々回から気になって仕方ない「←一石街道→」の標示板。
つまり今走ってた道がそれにあたるわけ、変則5叉路はいわば熊野古道と一石街道が交わる場所ってことなんだね。
ここからが前々回の続きで、左折する。
昔ながらの民宿や公民館が良い感じで、古道らしさを残している。
民家の裏庭みたいなところで突然道は行止り。
目の前は堤防で、現代では熊野古道はここでいったん途絶えている。
堤防に沿って細道もあるけど、地図を確認する限り、それもこの先で行止りになるようだ。
せっかくだからちょっと寄り道。
案内板に従い、海の方へ。
古里海水浴場。
今日は本当にきれいな海だ。
あと1ヶ月ぐらい早かったら、もう少し活気のある集落が見れたのかもしれないね。
さて、熊野古道に戻って先へと進もう。
少し戻った十字路から踏切を経由し、いったん国道42に出る。
「古里」の交差点だ。
約600mの国道run。
古里トンネルが見えてきた。
そこに案内板があり、左に分岐する山道に入れと指示している。
古里遊歩道として整備されているエリアだ。
佐甫(さほ)道という別称もあるらしい。
登りきったところが展望台。
あんなに灰色だった前々回。
晴れていればこんなに美しい。
小島が連なる風景に、この辺りは「紀伊の松島」とも云われている。
さらに遊歩道を走る。
トレッキング道は足には優しい。
若宮神社。
どこかで聞いたような名前だが、名古屋のそれとは随分違う。
海に向かってひっそりと鎮座している。
鳥居を潜って赤い橋を渡ると、そのまましばらく防波堤の上を走るのが正解らしい。
左側には、のどかな漁港(道瀬港)があり、その向こうには青一色の熊野灘が広がっている。
Y字路になったら右。
海岸から離れ、集落へと入っていく。
300mほどで、左の林道に入るよう、案内板がある。
再び山の中へ。
ここから「三浦峠」の始まりね。
別名を熊谷道とも称し、やはり世界遺産に指定されている。
見上げるほどの階段にため息が出る。
並走する国42は、トンネルに入ってしまう中、熊谷道は延々と登り坂。
でもさすが世界遺産、案内板が整備されてるのは有難い。
約15分。
はい、頂上。
あくまでもトレーニングの一環!
休憩なんかする発想はない。
下りだしてすぐ、道は舗装路になった。
一本道をひたすら下ると、右側に墓地が見え、T字路に。
正面に案内板があるから、指示通り右折。
すぐ左手にある簡素な無人駅舎はJR「三野瀬」駅。
三野瀬集落のメインストリート?
でも誰にも会わないけどね。
のどかだなぁ。
踏切を渡り、国42に合流すれば、再び熊野灘を見ながらのrunとなる。
この辺りは三浦海岸と呼ばれ、美しい海岸が広がっている。
レストラン風の建物がある。
頭上には車用の標識。
「熊野古道、始神峠」の文字。
迷わず左折。
何やら少し広い公園のようになっている。
地元の人が数人、のんびり休憩している。
「始神さくら広場」。
名前の通り、この辺りでは桜の名所とか。
この公園を過ぎた所から右に折れる芝生道が熊野古道なんだね。
傾斜もなく、足に優しい♪
って喜んでるのは今のうちだけ。
徐々に山の中に入っていく。
右側の防護柵は、鹿の害から守るためのものらしい。
案内板に従い、とにかく道なりに。
傾斜がきつくなり、足元が悪くなってきた。
次なる峠が始まったようだ。
世界遺産始神(はじかみ)峠。
距離は短いものの、難所の1つであるとともに、頂上からの景観は江戸時代から行き交う人々に愛されていたという。
再び登るだけ。
木の根っこばかりで走りにくいんだけど~。
汗ダクダクになりながら、何とか登頂!
そして江戸の頃から有名というその景観をパチリ!(冒頭写真)
はい、休憩おしまい!
緩やかな下り坂を下りる。
しばらくすると、明治道と江戸道の分岐点。
迷うねぇ。
ちなみに歩きやすい(走りやすい)のは明治道。
そりゃそうだ。
だいたいこういうのは、古い道が歩きにくいから、バイパスとして新道が作られるわけだから。
でも世界遺産になってるのは江戸道。
旧街道runの趣旨も、江戸がターゲット。
そしてこの江戸道は距離的には短く、760mで国道に出てしまう。
じゃ、江戸道を往復して、ここにまた戻って明治道、ということにしましょうか!
はい、往復約1600m。
戻って明治道を下れば、左手に宮谷池。
まさに深々と。
余計な音のない静かな癒し空間だ。
しばらくは徐々に下りながら、道なりに走る。
大舟川が右に現れ、橋があったら左岸の道へ。
道標に従い、集会所のところで右折して、国42を斜めに横切るのが熊野古道。
しばらくして紀勢本線と並走し、県道734号と交わったら右折し、再び国42を横断。
小学校を過ぎてまたまた国42に吸収されてすぐ、大きな橋を渡る。
下を流れるのは大河内川。
ここも見晴らしの良い絶景ポイントだ。
ここから先はベースアップ。
案内板もポイントとなるべきところには設置してあるし、何より国42に吸収されたり離れたり。
まさに東海道や中山道同様の「斜めに分岐する旧道」が熊野古道なので、地図見なくても「あ!ここ」と勝手に体が反応する。
国42「船津駅前」の信号。
名前の通り、左手奥まった所に、紀勢本線の船津駅がある。
その先で再び国道から分岐し、八重垣神社、龍谷寺と、街道らしい名刹が続く。
案内板に従い、テンポ良く走る。
右手に見えてくる船津小学校は、今も現役の木造校舎だ。
永泉寺もこの辺りでは有名な古刹らしいけれど、リズム良く走ってここはスルー。
あくまでも主人公は熊野古道そのものだから!
じゃなかった、トレーニングだから!
再び国42に吸収され、紀州自動車道の下を潜ると、ちょっと開けた町らしくなってきた。
相賀地区ね。
相賀北の信号を過ぎ、ガソリンスタンドのところで左に分岐。
すでに14時半過ぎ、疲れてきた。
相賀神社。
リサーチによれば、創始年不詳ながら、古来より移設されることなくこの場所に鎮座する名刹とある。
とりあえず神様に手を合わせておく。
ここでコースアウトし、東へ約300m、JR相賀駅に向かう。
ここもまた鈍行しか停車しない無人駅。
鉄チャンとしてはむしろそこが興味をそそられるところで、ここをゴール!
とついさっきまで思ってたんだけどね。
次回のことを考えるとね~。
まだ列車が来るには時間もあるし。
ということで、街道に引き返し、もう少し頑張ってみることにした。
予備案決行だ。
街道を進んですぐ、相賀神社の隣が東雲寺、さらに真興寺、と続く。
特に真興寺は、名前の通り、真田氏が興した寺、という意味らしく、大いに興味をそそられる。
なぜここに真田氏が?とは思うけどね、社伝では真田大助幸昌(幸村の子供)が興したことになっているらしい。
ということはやっぱり真田大助は、豊臣秀頼を伴って大坂城を脱出したのか?
その途中にここに立ち寄り、眼前の海から薩摩の国へ逃れたのかな?
そうでもない限り、こんな所に真田大助が来ることもなさそうだけど…、などと空想をめぐらせてみたりする。
けど、こんな所に中途半端に立ち寄ったらかえって未練タラタラになりそうだし、予備案にした以上、バスの時間が気になってさ。
思い切ってスルー!!(涙)
すぐに堤防にぶち当たり、道は行止り。
堤防道路に上がって右に行けば、すぐに国42に突き当り、銚子橋。
熊野古道はここをそのまま横断し、県道760号を進んでいくわけだけど、コスモタイガーはここでコースアウト。
銚子橋を渡ると、そこは妙に閑散とした感じの海山(みやま)バスセンター。
熊野古道特急以外にも、目の前の国道沿いのバス停には紀伊長島駅と尾鷲駅を結ぶ路線バスもあるようで、ちょっとした集散地になっているらしく、次回のことを思えばここをゴールにするのが無難な選択だろうと判断したのさ。
時計もすでに15時を過ぎている。
少し給水&休憩&着替え。
次回のために時刻表もシャメにしておこう♪
国道反対側には、紀伊長島方面のバス停もある。
時刻表を検討すると、熊野古道特急より先に、紀伊長島駅行の路線バスの方が先に来る!
というより、すぐに来る!
ってことで、予定変更し、2度と乗らないかもしれない路線バスに乗車♪
思わぬ幸運にテンションup!
で、紀伊長島駅に出たら、流れ的にJR紀勢本線鈍行の旅。
真っ当な鉄チャン?に戻った気持ちだ。
多気駅で乗換、松阪下車。
ここで近鉄急行に乗換えれば、あとは毎度の帰路ルート。
今日は暑い中、結構走ったね~。
熊野古道だけで20kmぐらい。
枝葉の部分も含めれば、22~23kmといったところかな?
疲れたなぁ。
近鉄車内では爆睡のコスモタイガーであった。
古里温泉はおススメです!
さすがに走る前には入れませんでしたが、鄙びた地域の温泉情緒ありますよ。
熊谷道・始神峠。
いずれも世界遺産です。
険しいイメージの熊野古道ですが、世界遺産になったおかげで、そのエリアに関しては整備が行き届いています。
道標もポイントには設置されていて、普通に歩いてれば迷うことも恐らくありません。
そういう意味では中山道の山岳部より恵まれてるかな。
真興寺、というか、この相賀地区は機会あれば再訪してみたいですね。
真田大助幸昌は、史実では大坂城で豊臣秀頼に殉じたわけですが、義経北行伝説同様、それでは説明できない史跡があったりしますからね…。
三重県南部のこの辺りは、かつての九鬼水軍のお膝元。
彼らの直接・間接の協力で、目の前の海から薩摩へ渡った可能性は否定できません。
そうでも考えないと、こんな所に大助幸昌が来るとは到底思えませんからね…。
古里海水浴場の海辺の景色も素敵です。
熊谷道はよく整備されていて、世界遺産を走るというのはやはり安心ですね。
熊野古道に分岐する旧道に、地図見なくても勝手に体が反応するのはさすがです。
真田幸村の子供が興した真興寺、興味深いです。