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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(7)

2013-10-01 | 旧中山道run!!

若干寒いけど、空は晴れ渡り、気分も乗っている。
さぁ、間髪置かず、中山道run、決行だ!!

大高駅に車を置き、毎度おなじみの東海道本線乗継。
といいたいところだけど、違うのは、今日からは青空フリーではなく、普通に切符を購入するってこと。

もう近くなりすぎ?ちゃってね。
青空フリーでも元が取れないのさ。

大高→関ヶ原は、1,280円。
帰りは間違いなくもっと安くなるからね。

ずぼらな性格でさ、前回同様、近けりゃ近いで、家でのんびりし過ぎちゃうんだよね。
関ヶ原駅に降り立った頃には昼12時を過ぎてしまった

といいつつ、前回、夕暮れが近かったのと、少々疲れたこともあり、最後に端折っちゃったからね、簡単に関ヶ原駅周辺を散策してみたくなった。

駅から少しだけ西へ向かう。
八幡神社がある。

ここにひときわ目立つ巨木がある。
「スダジイ」と称するらしい。
また、ここがかつての関ヶ原宿本陣跡だったということらしい。

しかもこの前の道は、かつての北国脇往還(または北国街道:現在の国道365号にあたる)であるとされ、長浜や木ノ本方面に繋がっていたんだね。

さて、今日のトレーニング、始めるとしよう。
せっかくだから、そのまま国道21に出て、十六銀行関ヶ原支店の前に出る。

200mほど前回と重複しちゃうけど、面倒だからここを本日のスタートとする。
「関ヶ原駅前」交差点を再度通る。

左、道路に面して「枡屋旅館」があるけど、かつての旅籠で、今も営業しているらしい。

「関ヶ原東町」の信号を超えると、中山道は左に緩やかに分岐する。
この辺りから落ち着いた雰囲気で走れるね。

「1ツ軒」という交差点でいったん国21に合流するものの、すぐに分岐。
今度は「徳川家康最初陣跡」の案内板がある。
どうやら国道を渡った反対側らしいけど、「東軍」の総大将だからね、敬意を表して寄り道していこう。

階段を駆け上がると、見通しの良い小山の上。
ここに名前の通り、家康は最初の陣を敷いたんだね。
ちなみに山の名前は「桃配(ももくばり)山」ね。


さて、中山道に戻ってrunを再開。
関ヶ原一帯は、2大合戦の地としてあまりにも有名なため、「中山道」は隠れちゃってる感じだったけど、この辺りから松並木が始まり、ようやくに中山道らしさが出てきた。

街道らしい独特の道が続く。
これといった見どころは無いけれど、走ってて楽しい区間だ。
天気も良く、見通しも良いため、心も軽い。

しばらくすると、左から国21のバイパスが現われ、国21の本道と合流するんだけど、ここで中山道はバイパスの上を渡るのが正解。

ちょっとややこしいけど、道なりに走ると「日守西」の交差点に出る。
ここで太くなった国21を横断し、すぐに左に折れる道が中山道なのだ。

地図で見ると、バイパス渡る前の道と繋がっていることが判るから、ここはチェックしておくポイントやね。

国21から離れてすぐ、「垂井一里塚」。

南側(右手)のみ、完全な形で残っている。

さらに200mほどで、今度は「日守」の交差点。
ここは歩道橋があるから、便利だ。
渡って左の道を選び、東海道本線の踏切を渡る。

ここからは少し単調な道が続く。

800mぐらいかな?
2手に分岐する地点に出た。

明らかに右に行く方がメインみたいだけど。

ここが「垂井宿西見附跡」らしい。
ここからが垂井宿ってことね。
で、この右に行くメインストリート?が中山道ね。
愛宕神社が、道に面して、右側にあるのが目印だ。

左手に「本龍寺」を過ぎると、所々にいかにも旧街道らしき建物が現われる。
ちなみにこのお寺の前が「高札場」だったらしい。

すぐ隣、「油屋卯吉家跡」。
名前の通り、かつての油商人の家で、当時のままの旧宅が建っている。

すぐの小さな4ツ角には、南宮大社の大鳥居が目立つ。
残念ながら、本陣跡は説明板と石柱が残るのみ。

大垣共立銀行垂井支店が見える。
ここが枡型になっていて、道の反対側には「亀丸屋旅館」。
ここもかつての旅籠で、現在も営業を続けている、貴重な建物だ。

T字路に突き当ったら左折。
相川橋が見えてきた。

その橋の手前が東見附跡らしい。
さらに「人足渡跡」。

今は橋だけど、ここはかつて、人足によって渡河してたんだね。

さて、橋を渡ろう。
下を流れるのは、「相川」。
そのまんまだけどね。

今日は空気も綺麗だ。
橋の上からは遠くの山並みも映えて見え、思わず足をとめた。(冒頭写真)
遠く雪をかぶるのは、伊吹山かな?

でもさ、この橋渡るのは、実は2回目なんだよね。
美濃路編6でゴールした後、垂井駅に出る際に、ここを通ったんだよね。
あの時はすでに辺りは暗く、景色に見とれる余裕もなかったよ。

橋を渡り終え、すぐに右折する中山道。
50mもしないうちに相川の支流の小さな川を渡ると、見覚えのある風景に。

そう、垂井追分だ!


直進が美濃街道。
「美濃路編」で、宮の宿をスタートし、ここまで辿って完走した、あの美濃街道だ!
懐かしいなぁ!

中山道は左ね。
ここからは再び初めての道。

右手に大型ドラッグストアを見ながら、北東に向かって直進している。
ちょっと単調な風景が続き、runに集中。

やがて左手に常夜燈を発見!
ここが「青野一里塚跡」らしい。

さて、ここでまた寄り道だ。
200mほど先で、案内板に従い左折。
そのまま進むと「美濃国分寺跡」。

「国分寺」。
江戸よりはろか昔の741(天平13)年、聖武天皇の命により、各国に建立されたお寺のことやね。
当時としては、美濃国を代表するお寺だったわけだね。
そしてこれまた「東山道」系の史跡やね。

綺麗に「史跡公園」として整備され、のんびり散策している人も多い。
その隣に歴史資料館が併設され、さらに奥へ進むと、現在の「美濃国分寺」がある。
こっちも江戸初期に建立されてるから、それはそれで歴史があり、参拝客も多い。


ここもまた、東山道と中山道がリンクしていたことを示しているわけだ。

参詣を済ませ、中山道に復帰。
しばらく走り続けると、コンビニがあって、この辺りの幹線道路となっている「県道216号」を斜めに横断し、さらに進む。

すると見えてくるのが「中山道青墓宿」を示す標柱。
この辺り一帯は、「青墓町」で、かつての青墓宿だったことは間違いないらしい。

でもさ!
青墓宿は東山道でしょ!

すでに説明したとおり、中山道は江戸幕府により定められた宿駅制度として、69次の宿場が設置されている。
その中に「青墓」なんてないぞ!
「東山道青墓宿」が正解のはずだけど。

まぁ、いずれにせよ、この道が東山道時代から利用されていたことは間違いないけれど。

その少し先、西町集会所がかつて「円願寺」というお寺の跡らしく、青墓宿の中心的な存在だったらしい。
義経一行もここで休息したとか。

「白髪神社」「延長寺」と続けてあり、確かにこの辺り、昔の雰囲気をわずかばかり残している。

東海道本線の下をくぐり、昼飯(ひるい)町に入ってきた。
トレーニング中だからね、確かに昼飯らしい食事、してないけどさ。

「その昼飯と関係ねぇ~」と云いたいところだけど、関係あるのさ、それが。
善光寺に如来像を運ぶ一行が、ここで昼飯をとった。
それが由来だそうな。

右側に小高い公園が見えてきた。
「大塚古墳」。
前方後円墳らしい。

しばらくすると貨物線の踏切を渡る。
一応、貨物専用の私鉄、「西濃鉄道」の路線ね。
時刻表には載ってないからさ、専門外なんだけど。

時刻表検定1級なんだけどさ、よく「鉄道マニア」と混同されちゃってね。
まぁ、広義の鉄チャンには違いないけどさ。
厳密?な意味での鉄道マニアなら、西濃鉄道もJR貨物も専門分野?なんだろうけど。

その代わり、時刻表は、鉄道だけじゃなく、路線バスや割引切符、駅弁の情報とかも載ってるからさ、微妙に守備範囲が違うのさ。

って、マニアの言い訳はそれぐらいにして、話を進めなきゃね。

線路を渡ったところに「甲塚」
こちらは関ヶ原の合戦にまつわる史跡らしい。

一気に町の雰囲気が変わった気がする。
赤坂宿に入ったようだ。
いかにも宿場町の雰囲気になってきた。

妙法寺の前が、「赤坂宿脇本陣跡」。
さらに100m弱で、小さな4ツ角。

そこにあるのは江戸時代からの道標で、「左 たにくみ道」とある。
谷汲山華厳寺への参詣道を示しているらしい。

両側には古い建物が鎮座し、いかにも宿場町の風景で、素晴らしい。
しばらく足を止めてしまう。

圧巻は4ツ角の南西、「矢橋家住宅」かな。
木造2階建、天保年間に建築されたとかで、国登録の有形文化財に指定されている。

さて、コスモタイガー、当初の予定ではここをゴールにしたかったんだけどさ。
この4ツ角を南に行けば、東海道本線赤坂支線、「美濃赤坂駅」がある。

鉄チャン的にはぜひ乗ってみたい支線。
でも、寄り道し過ぎちゃってね、さっき電車は発車したところ。
つまり乗り遅れちゃったのさ!
何せ1時間に1本だからさ。

痛いなぁ!
美濃赤坂駅に寄るだけ寄って、未練たらたらでウロウロしたけれど、1時間も時間をつぶすのも勿体ないしなぁ。

仕方ない。
予備案を決行するか!

再び4ツ角に戻り、もう一度気持ちを入れ直し、中山道を進もう。
すぐに右手、本陣跡。


で、すぐにまた線路を渡る。
赤坂支線の延長にある貨物線やね。

またちょっと走って、今度は「赤坂港跡」。
「港」なんて海のイメージあるから、一瞬変な感じがするけれど、これは「川」の港だ。
杭瀬(くいせ)川の水運を利用するため、明治時代に整備されたらしい。

元々赤坂宿は、水運が盛んな場所として、平安時代から栄えていたとか。
東山道時代には「杭瀬宿」と呼ばれていて、宿場町としての原型はすでに存在していたとされる。

赤坂大橋で、現在の杭瀬川を渡る。
渡り終わってすぐ、分岐路を左へ。

周囲は静かな住宅街になった。
道はくねくねと、街道らしく続いている。

やがて右側に「中山道一里塚跡」の標柱が建つ。
「池尻一里塚」と称していたらしい。


白山神社を右に見て、さらに走ると、左からやってきた県道230号と合流。
200mほどそのまま道なりに進み、線路をまたいだところで、目を左に向けると駅がある。
養老鉄道養老線「東赤坂」駅やね。

一昨年(2007年!)までは近鉄の路線だったんだけど、現在は近鉄の子会社として分離されながら、揖斐駅から三重県の桑名駅間を結んでいる路線だ。


こちらもまた、なかなか乗る機会のない、ローカル色ある路線だ。
ということで、これが予備案!
ここを本日のゴールとする。

随分前に(まだ近鉄時代だけど)乗車済なので、初乗りじゃないけどね。
わずか数分のミニトリップだけど、楽しいなぁ!

大垣駅で下車し、そのまま東海道本線に乗り換え、帰途に付いたのであった。

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