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時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(17)

2014-03-17 | 旧中山道run!!

与川道。
気になって仕方ないんだよ~。
このまま大桑から先に行くことも考えたけどね、急ぎの旅でもないからさ。

とはいえ、また南木曽駅かよ!
毎度毎度同じ路線、同じ電車も飽きるよね。

ってことで、久々に現地までドライブしよう!

まぁ、名古屋人が南木曽駅まで車で行くなら、高速利用なら中津川ICで降り、国道19号を走るか、一般道なら、多治見・土岐経由で、ひたすら19号を行くのが普通なんだけどね。

へそ曲がりなコスモタイガー、名古屋市郊外の日進市・長久手町(現長久手市)を通りぬけ、瀬戸市から国道248、途中の「品野」で国道363に入り、中津川を目指すのだ。

くねくねした山沿いの国道だから、当然19号より時間もかかるんだけどね、こっちの方が楽しそうだもん!

実はこの国道363に沿って、静かに眠る旧街道がある。
「中馬街道」。

街道オーラに敏感になってるからね、確かにその気になって運転していると、ところどころ、街道を思わせる分岐道やお寺・神社等の史跡が点在している。

特に途中の柿野地区・曽木地区周辺は、旧中馬街道沿いの静かな温泉地として、かなり良い雰囲気だ。
いずれゆっくり再訪してみたいな~。
というか、中馬街道そのものを、いずれ走ってみたいものだ。

そもそも中馬ってなんだ?
簡単に云えば、江戸時代の貧しい農民たちが、自分の牛や馬を使って荷物運送を担い、アルバイトしてたんだね。
もちろん公式には認められなかったけどね。
それらが盛んに行き来したため、道自体がこう呼ばれるようになった。

もっとも中馬なんて、結構あちこちにあった風習らしく、「古道たち⑨・⑪」で紹介した飯田街道も、足助宿(現豊田市足助町)辺りでは中馬街道と称されることもあったらしい。

1つ1つじっくり見学したいところではあるけれど、それじゃ南木曽駅に何時着くのやら…。
ってことで、休憩しつつも先を急ぐ。

明智~岩村間は、第3セクター「明知鉄道」が寄り添うけれど、363は再び山中へ。
中津川市内に入って国19に合流。

途中、コンビニに寄って軽い昼食を済ませ、中津川から先はオーソドックスに「木曽高速」を走り、ようやく南木曽町に入った。

もっとも南木曽駅周辺には、車を長時間停車させるスペースはない。
前回・前々回のお散歩?の際、チェックしてあったところにハンドルを切る。

南木曽駅からだと、木曽川を挟んでちょうど反対側に大きな公園がある。
その名も「天白公園」!
どこかで聞いたような名前だけど。
つつじの名所らしく、毎年4月末には、かなりの人気らしい。

もっとも今はまだ暑さ残る9月。
ほとんど誰もいない。

コスモタイガーが日頃走っているエリア内にも同名の公園があるしね、何だか妙な親しみを感じる。
無料の観光用駐車場も広く、これなら安心して放置?できる。
(ちなみに南木曽駅前にも「駅前での長時間駐車は不可、観光の方は天白公園に停めてネ」という趣旨の注意書きが各所に貼ってあるから、堂々と?長時間駐車できる。)

この天白公園の脇から、これまた北に向かう、古道の雰囲気漂う静かな道がある。
「川西古道」といい、木曽川東岸の中山道に対し、西岸を行く形で、野尻宿まで延びていた、江戸期の生活道路だったとされている。
当時の庶民の暮らしを偲ばせる史跡も点在し、なかなか楽しいウォーキングコースとなっているらしい。

今日走る予定の与川道も、川西古道も、「信濃路自然歩道」として整備され、一部を除き、案内板も設置されている。
こうなると、いずれ川西古道も走ってみたい、という衝動に駆られたりする。

ここ南木曽駅を拠点に、中山道・与川道・川西古道。
3つのお楽しみがありながら、結局、もっとも肝心の中山道が、実は一番見どころがないってことやね。

あえて古道の反対、南側に進むと、すぐに福沢桃介記念館。
かつて、桃介さんの別荘だったらしい。

その隣は「山の記念館」という建物で、かつての名古屋市庁妻籠出張所。
どちらも興味は湧くけれど、キリないからね、外から眺めるだけにしておこう。

さぁ、お散歩は終了!
この記念館の前を本日のスタート地点とする。

木曽川を渡って、案内表示に従い、民家の間を抜けると、南木曽駅前に出る。
ここからはしばらくは(約1km)前回と重複で、例の「園原先生の碑」の前を通り、三留野宿本陣前も通過。

そして気になって仕方なかった、分岐点に到着!(旧中山道編16参照)
さぁ、いよいよ与川道!

なぜそんなに気になるのか?というと…。
当時のこの辺りの中山道は、今の「木曽高速」からは想像が難しいけれど、険しい山々と木曽川の絶壁のわずかな間隙を縫うような悪路で、まさに難所中の難所だったらしい。

いつの頃からか、庶民は、山側の与川集落を経由するルートを行き来するようになる。
これが与川道の原形だ。

そんな折、徳川家重公(のちの9代将軍)に、京都伏見家のお姫様(比宮)が輿入れすることになり、そのルートとして中山道を選択。
その際、我が尾張藩が、バイパスとして「与川道」を大がかりに普請・整備したとされる。
尾張人の端くれとして、せっかくここまで来たからには…!って感じやね。

山の中を延々と彷徨うようなルートで、別の意味で険しい上に、「本道」に比べてかなりの大回りなんだけどね。
崖崩れ等で足止めされる心配もなく、当時の利用者には、結構重宝されたらしい。

このような事情から、広義の中山道と位置付けられることも多く、それどころか、信濃路自然歩道として、むしろこの与川道の方が積極的に整備されている。
南木曽町設置の案内板にも、堂々と「与川道を中山道歴史の道として整備した」旨が明記してあるしね。
市販の地図等にも、堂々とこちらを「中山道」と注意書きしてあるものもあった気がする。

だからこの分岐点も、「本道」を示すものは何もなく、あるのは「中山道(与川道)」を示す標識が建っているのみ。
ちゃんとリサーチしておかないと、まんまと罠にはまってしまうことになるわけだね。

さぁ、右の坂を登ろう!
一気に人家もまばらな山の中に入った感じだ。

急激なカーブと登り坂。
汗も一気に噴き出す。

この先、アスファルト道から外れ、森の中の獣道のようなところを案内板は示している。
リサーチによると、僅かながらも石畳が残っているらしい。

…んだけどね、草茫々!
道なんか消えちゃってて、通れねぇぞ~!
石畳なんて、まったく見えないし。

9月、まだ実質、夏だしね。
草が伸びる頃だしね、時期が悪かったかなぁ~。

でもさ、「中山道歴史の道として整備する」って高らかに宣言した案内板、さっき見たばかりだけど。
自分の見落としかと思い、何度も行き来しつつ確認するけど、やっぱりこの道以外考えられないし。
ちょっと残念な思いに駆られる。

仕方なく、アスファルト道をそのまま迂回?し、登りきった所にあるのが、「廿三夜塔」。
二十三夜のお月さんを拝んで豊作を祈った農民たちの信仰の跡らしい。

標識は古いながらも、その後は要所要所に現れ、どんどん標高を上げながら進んでいく。

っていうかさ、この先の道のりは、言葉での説明は不可。
自然歩道の標識の通りに走るだけ。

クロカン道も走る。
農家の庭も走る。
あぜ道?も走る。

一人がやっとの畑の中の狭い道を行く。
途中、金網のゲートに阻まれる。
良く見ると「押す」とあり、自分で開けて通り抜ける。

こんなところをお姫様の行列が、ホントに通ったのか?
バイパスとはいえ、ここが天下の中山道とは信じがたい。

自販機など当然見当たらない。
給水、持ってきて良かった~!

それどころか、誰にも会わない。
時折、アスファルト道に出て、古い農家らしき家がポツンと現れるだけで、あとは自分の足音だけが聞こえる。

わずかばかりの家並みが…。
与川集落に入ったらしい。

ここ与川は、周囲の風景とのバランスで、とても月が綺麗らしく、古くから「与川の名月」として有名だったらしい。
これだけの山の中だからね、きっと今でも綺麗なんだろうけど。
もっとも、こんなところで夜を迎えるようじゃ、困るんだけどね。

再び家並みが途切れ、再び山中のクロカンが続く中、黙々と走る。
やや平坦になった所で、前方に灯篭と石仏がいくつか並んでいる。

「阿弥陀堂」。
もっとも古いもので、1692(元禄5)年、ということらしい。

さらに進むとすぐに「らんかん橋」。
当時ととしては、橋に欄干は珍しいものだったらしい。
多分、これもお姫様のお輿入れに際し、立派にしたんやろね。

まだ起伏は続く。
マジ、足はガクガクだ。

馬籠峠越え(旧中山道編15参照)や、その前の十三峠(旧中山道編13参照)の方がまだマシだ。
息つく暇もないといっても過言ではないぐらい、起伏が続く。

さらにここに来て、あることに気付き、今1つテンションが上がりきらない。
視覚的には、飽きもなく、緑多い山の中、所々の眺望も素晴らしく、クロカンコース(あるいはハイキングコース)としては申し分ないんだけどね。

ふと気付いたんだけど、まだ今日はあんまり写真も撮ってないんだよね。
起伏が険しくて、足場も悪いってのもあるけどさ、何となく「旧街道」的な見所が少ないんだよね。

一里塚跡とかさ、本陣跡とかさ、高札場跡とかさ…。
やっぱりバイパスはバイパスなんだと、実感する。

腐っても鯛!
いくら国19沿いとはいえ、「本道」には特有のオーラがあることは確かだ。

そうこうしているうちに、僅かながら視界が開け、アスファルト道に出た。
「根の上峠」。

ここで南木曽町から大桑村に入るらしい。
この大桑村は、逆に与川道、そんなに興味ないらしい。

一応、「信濃路自然歩道」には指定されているから、それなりに標識は設置されているけれど、このアスファルト道をひたすら下るのみの単純な道のりだ。

6kmぐらいかな?
野尻の集落に入ったらしく、家並みも散見されるようになった。

国19を超え、すぐのT字路が、中山道本道との交差地点。
横切る道沿いには、見覚えのある「野尻宿」の街並みが続いている。

「本道」沿いに、「野尻郵便局」がある。
ここから見る中山道は、まずまず街道らしい雰囲気あるかなぁ。
今日はあまり写真、撮ってないから、ここで1枚撮影し、ゴールとしよう!

地図上では、15~16kmぐらいの距離だけど。
とにかく平坦なのは、最初と最後の僅かな部分だけ。
誰ともすれ違うことなく、黙々と登ってるか下ってるか。
足場も悪かったし、疲れたなぁ…。

さぁ、車まで戻ろう!
随分来た気がするけれど、中央本線普通で2駅。
南木曽駅に戻ってきた。

徒歩10分弱で、対岸の天白公園到着!
まだ17時前で、明るさは充分残っている。

まぁ、車だから時間を気にしなくて良いのはありがたいし、せっかくだから、公園内をサクッと散策しよう。

山の斜面を利用した感じの、広大な公園で、よく整備されている。
ここから見る「桃介橋」も、前回とは違う顔を見せてくれる。(冒頭写真)

さて、この南木曽駅周辺は、これで3回目。
何やらお腹いっぱいな気もするけれど、川西古道にも色気を感じたりする。

まぁ、次回どうするかは、またゆっくり考えよう!
今日は疲れた。
まだこの後、ドライブが残ってるし!

さすがに帰路は、コンビニ以外は寄り道もせず、国19を名古屋方面にひた走るのみであった。
コメント (2)
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