cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(3)~前編

2022-09-11 | 旧東高野街道run!!

【2018年9月某日】

社宅で過ごす休日2日目。
つまり昨日東高野街道⑵を走り終えた翌日!

昨日は雨のせいで何となく不完全燃焼。
もとより狭い社宅で終日過ごすタイプでもない。
予報によれば曇時々晴で、雨の心配もなさそうだ。

朝から急いで洗濯や食事等を済ませ、昨日の続きをやることを早々に決断。
幸いアクセスも無茶苦茶良くて近いから、少し遅い出発でも全然大丈夫。

まずは現地へ。
といっても昨日の帰路を逆に行くだけ。
まずは徒歩でJR大阪天満宮駅(地下鉄南森町駅に併設)へ。
ちょっと距離あって30分弱かかるけどさ。
日本一長いとされるアーケード街、天神橋筋商店街を通るから気にならないのさ。
何気に名古屋の大須界隈を思わせるエリアで、退屈しないのさ。

そしてその大阪天満宮駅から東西線→片町線(学研都市線)で1本、乗車時間20分少々。

はい、野崎駅到着。
そこから徒歩約5分で、昨日ゴールした野崎まいり公園に挨拶し、その隣ともいえる十字路で、昨日と同じシチュエーションで記念のシャメをしておく。(冒頭写真)

時計はちょうど13時を指している。
さっそくトレーニング開始!
といいつつ、いきなり寄り道で、せっかくだからこの奥すぐのところにある野崎観音(慈眼寺)に挨拶しておこう。
この辺りでは名の知れた名刹らしいからね。

スタート早々、冒頭シャメの道をいきなり登る。

そういえば周囲の道路標識などを見たら、いつのまにか大東市に入っているんだね。
前回のラスト数km、雨が気になってベースアップしてたから、市境にも気づかなかったようだ。
大阪市のベッドタウンともいえる中小都市が同じような住宅街を形成しており、分りにくいことは確かなんだけどね。

わずか3分ほど参道を登っただけなのに汗がじっとり。
まずは登り切ったところにある「みはらし台」。
さすが登っただけあって、大東市・四条畷市の市街地が綺麗に見下ろせる。


降りてきて、野崎観音の立派な本堂にお参りして、今日のトレーニングの無事を祈願しておく。


本来はさらに奥深く入れば、野崎城址があるらしいが、全くと言ってよいほど「街道」は進んでない。
飯盛山城の支城として…と資料にはあるから、あの三好長慶に関係してる城なのは間違いなく、後ろ髪を引かれるところではあるが、先を急ぐこととする。(※旧東高野街道編⑵~後編参照

さぁ、参道を降りて街道に戻ろう。
目線的には住宅地が続くだけで単調ではあるが、道的にはひたすらこの道を南に進むだけ。
一気に取り戻す感じで、リズム良く走る。

めのこ橋跡、なんて標柱もあるが、跡形もない。
ただここが旧街道だと確認はできる。

瓦堂跡が十字路に立つ。

残念ながら、詳しい由緒を示すものはない。

旧街道はさらに直進。
次の信号のところでちょっと寄り道、左折すること約100m。
十林寺という素敵なお寺。

ここでも今日の行程の無事を祈願しておく。

通称阪奈道路、府道8号を渡ればすぐに国170(旧道)に合流する。
今度は両側に立派な学校が見えてきた。

同じ系列ではあるが、右側が大阪産業大学。
そして左手は大阪桐蔭高校。

そう、高校野球ファンなら誰もが知っているであろう、あの大阪桐蔭である。
旧街道とはもちろん関係ない施設ではあるが、話のタネにはなりそうで、思わず記念にシャメをする。


さらに南下を続けると、「中垣内」の交差点で、そこに魔法瓶やポットで有名な会社の大阪工場。


工場を過ぎたあたりが市境で、東大阪市に入ったらしい。
でも残念ながら、街道を忍ぶ史跡はないなぁ。

しばらく走ると、やっと街道らしい「浜地蔵尊」の案内板を発見!
何と車庫の中?にお地蔵さんが!


ここからまた平凡な国道run。
逆に迷うことはないけど、単調ではある。

とはいえ、しばらくすると国道は右斜めにカーブし、旧街道がそのまま直線で分岐、ホッとする。
そこから約400mで、小さな橋の手前にあるのが、「大峰登山百二度供養塔」。

よく分からないけど、102回も登ったんだから、凄いね!

分岐したとたん、見所が徐々に増えてきた。
左側に立派な鳥居があるのは、石切神社への参道。


結構な名刹であることは容易に想像できるけど、東高野街道が目的のコスモタイガーは目もくれず、そのまま直進。
すぐに近鉄けいはんな線の高架下をくぐる。

ふと足元を見ると、古い道標が残り、「すぐ石切」と読める。
この辺りは旧街道らしい雰囲気が残り、楽しいrunだ。

はい、見たことある変則交差点に出た!
「箱殿東」の交差点。

なぜ見たことあるかって?
実はここ、この間走破したばかりの暗峠越奈良街道との交差点なのさ。

とはいえ、ここまでの走行距離はわずか5kmほど。
まだまだ足取りは軽い。

(※次号へ続く)

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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(2)~後編

2022-07-04 | 旧東高野街道run!!

(前編より)

打上の四辻をそのまま南下。
…と言いたいところだが、50mも進むとあっさり行き止まり。
その先は学研都市線「寝屋川公園」駅前のロータリーと化している。

仕方なく四辻は右折して西に行くしかない。
要するに現代では伊勢奈良道を少しだけ走ることになるんだね。

信号で府道20号に。
ここを左折(南下)。
寝屋川公園駅の裏を通る感じになる。

次の十字路もそのまま直進。
きっと東高野街道は、寝屋川公園駅構内を突っ切って、この辺りで府道20号に吸収される感じなのだろう。

しばらくは道なりに。
1kmぐらいかな?
右手に昔ながらの酒屋さんが目印で、そのすぐ先のT字路となる。

府道はそのまま緩やかに右折なわけで間違えそうだが、実はここを鋭角に左折するのが正解。
そこに立派な石灯篭が建っている。
高さ約3m、「二月堂灯篭」と呼ばれ、1843(天保14)年のものだという。(冒頭写真)

ここからは旧家の軒先を走るようにくねくねしてるからちょっとややこしい。
小さな児童公園があればそこを左折。

地蔵堂が目印。
それを過ぎれば小さな水路のような川に(讃良川)に出会う。
この川が市境になっており、行政区域は四条畷市になるらしい。

その川の手前を右折。
要するに水路&市境に沿って走る。

さっき別れたばかりの府道20号に再び合流。
そのまま府道を南下、つまり四条畷市に入り、すぐにJRの忍ヶ丘駅に出た。

何だか久々の活気を感じるね。
でも街道らしさは全くない。

資料と案内板を確認しながら府道20号でそのまま駅前ロータリーを素通り。
分かりにくいんだけど、左手に内科医院があって、その反対側に車は通行止めになってる小道があってさ。
ここを右折するのが旧街道らしい。

道なりに進めば途中から普通の車道になって、交差点に出る。
右側に立派な焼肉屋があれば正解。

で、この交差点から視線を少し左に移すと、そこに整備された緑道がある。
これが旧街道なのさ。
左手には「蜻蛉池公園」という児童公園。
かつてはそういう名前の池だったんだろうね。

といっても100mにも満たない緑道でね、すぐに公道に吸収され、しばらくは道なりに。
「三徳稲荷大明神」と刻印された石碑があり、ここで右折。
この辺り、曲がり角も多いが、市が設置した案内板が要所要所に建てられており、ありがたい。

またすぐに左折。
右手の立派な「ハコモノ」は、四条畷市市民総合センターなるもので、名前の通り、市民のための複合施設だ。
図書館やコンサートホールがあるようだ。

それを過ぎてまた案内板に導かれて右折。
100m先で左折。

しばらくすると国道163、通称学研都市連絡道路を潜るんだけど、制限高1.8m!
身長173cmのコスモタイガーにはギリギリだ。
背中を丸めて潜る。

潜った直後、分岐してるから右斜めへ。
あとは道なりに進めば、歴史民俗資料館の前に出る。

ここで少し足を止め、見学でも…、という考えもあったんだけど、トレーニング中でね。
汗もかいてるからお邪魔するのは申し訳ない。

それより数分前から雨脚が強くなってきてね。
体冷やさないよう、先に進むとしよう。
そして、予定変更して、どこかキリの良いところをゴールにしよう。

旧街道はすぐ先でコンビニにぶつかり、府道20(旧国道170)へ出る。
左手にある小公園は、和田賢秀なる人物の墓と伝わっているが、ごめん、雨のため写メする余裕もない。
楠木正成の息子、正行の家臣で、この場所で高師直と戦って命を落としたとされる。

しばらくはこの府道がそのまま旧街道ということらしい。

四条畷神社前の交差点に出た。
ここから左の丘陵を登っていくとそういう名前の神社があり、そこから登山道を行くと飯盛山城があるんだけどね…。

戦国武将、三好長慶が一時期天下取りの拠点としたお城としてコアな歴史ファンには有名なお城。
最近の研究で、あの織田信長より先に天下に近づいた人として注目されている人物とお城なわけなんだが、この天候の中、かなりのクロカンになりそうだし。
そもそも旧街道とは直接関係ないし…。
と言い訳してパスする(涙)

さらに1km超走ったかな?
左に分岐する道をやっと発見!
この道は旧街道らしい雰囲気だから、すぐにピンとくる。


ありがたいことに雨は再び小降りになってきた。
約800mほどで左手、野崎まいり公園。
ここに丁寧な東高野街道マップが設置されている。


街道ウォーカーの多くがここを拠点にする人が多いんだろうね。
ってことでコスモタイガーも予定変更して、今日はここでゴールにしておこう。
距離は少し少なめの12~13kmというところだが、この天候では仕方ない。
時計はまもなく15時になろうというところ。

そして50m先の十字路から少し登る形で慈眼寺、通称野崎観音がある。

さらにその奥には、飯盛山城の支城とされる野崎城跡もあるんだけどね。

また雨が強くなってきたからさ、入口だけにして、今日のところは退散しよう。
十字路で旧街道をコースアウトし、西へ向かって歩けば、5分少々でJR学研都市線の野崎駅だ。


降ったりやんだりと落ち着かない天候だったなぁ。
お腹もすいた。

とりあえず社宅に帰ることとしよう。
学研都市線、正確には片町線。
初乗車だからそれはそれで良しとしよう。

そのまま東西線に入り、大阪天満宮駅(南森町駅)で下車すれば社宅はコスモタイガー的には徒歩圏内。
途中で傘か合羽でも買って歩いて帰るとしよう。

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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(2)~前編

2022-05-29 | 旧東高野街道run!!

【2018年9月某日】

朝から曇天で、この時期にしては暑さも和らいでいる。
この天気じゃ掃除や洗濯するのも憚られるし、溜まったブルーレイをひたすら見て過ごす…、という性分でもないんだよね。

…てことで、東高野街道の続きとしよう。

すっかり慣れてしまい、何の感慨もない京阪特急に始発の淀屋橋駅から乗車、枚方市駅で交野線に乗換。

前回、着替えも考慮して帳尻合わせのように京阪「交野市」駅まで走ったけどさ、着いてすぐ走るのであれば、「交野市」駅まで行く理由はなく、「郡津」駅下車。
無人駅で、売店もコンビニも周囲にはない。
はい、とりあえず記念にシャメしときましょ(笑)(冒頭写真)

時計はまだ正午前。
ここにいてもしょうがないから、そそくさと前回の「梅が枝」の立体交差地点へ移動。
そしてやっぱり記念?で前回と同じアングルでパチリ。


リュックの紐を締め直し、さっそく本日のトレーニング開始とする。
高架の府道18号に上がる。

いきなり渡るのが何とも優雅な名前の天野川。
渡ってすぐ左折する堤防道路で、これにて東高野街道復活となるわけね。

とはいえ、左手に老人ホームらしき建物が目立つ程度で、街道らしさはない。
わずかに「茄子作」という変わった町名にそれを忍ぶ程度である。

「私部(きさべ)西4北」の信号で国168にぶつかり、旧街道は再び消滅。
とりあえず国道を走るしかなさそう。

そのまま100mほど南下すると、車止めがあって自動車は通行できないけれど、右斜めに向かう道がある。
はい、これ、旧街道ね。

普通の住宅街の道だから不安になるけど、右手に突然現れるのが「本尊掛松跡」


ここを通った法明上人というお坊さんが、仏様を描いた絵を松に掛けた、なんて話らしいが、文字通り「跡」でしかない。
ただ、ここが旧街道であることを教えてくれたのは嬉しい。

さらに50mほど進むと、左後方からの道が合流し、「上ノ山辻」という追分となっており、道標とお地蔵さんが今も大切に安置されている。

この合流してきた道も「山根街道」ということらしく、道標には「右宇治」と読めたから宇治に向かう街道なんだろう。

「茄子作南町」で大幹線国道1号と交わる。
高架は第2京阪道路だ。

両側は工場が続く。
恐らくこの辺は旧街道は消失してるんだろうね。

高架から約300m。
右に分岐する生活道路発見!
ちょうどそこにお地蔵さんもあるのが良い目印で、これが旧街道であることは間違いない。

この道は途中から歩行者専用になり、パチンコ屋の軒先?を通る。
でも歩行者専用部分はすぐに終了。

そのまま南東に、道なりに進むだけ。
両側には畑が続き、長閑な一角となっている。(2022年現在、大掛かりな土地区画事業により大半の畑は消失、旧街道は残されているようです)

資料によればこの辺りに一里塚があったらしく、それを示す小さな標柱があったらしいが、走る方に気持ちが入ってて見逃したらしい。
(いや、まぁ…、それが目的なんだけど^^;)

ポツポツと民家が並びだしたら少し広い道路へ合流。
目の前にはJRの線路。
最近ではすっかり通商の「学研都市線」が根付いちゃったけど、鉄チャンとしては正式名称「片町線」と紹介しておきたい。

そして線路を渡ってすぐ右折。
旧街道は星田駅の真ん前を通るわけさ。


まだトレーニング開始して1時間弱。
さすがにここでゴールにはできんな~。

駅前ロータリーをそのまま素通りしてすぐ、Yの字に分岐。
これは右のやや狭い方が正解。

急に街道らしい風景となった。
くねくねとしたうねりを楽しみつつ、信号で府道154号と交差。

さらに直進すれば、駅近なのに旧街道らしい静かなで趣ある風景が続いている。


しばらくは街道らしいうねりが続く。
やがて府道20号に吸収される。

ここで旧街道は消失ってことなんだろうな。
信号を超えると喫茶店があるんだけど、この喫茶店の裏手辺りを通っていたと推察されるけど、現在は何の痕跡もなく、この府道を行くしかない。

そしてこの辺りで行政区域が交野市から寝屋川市に。
というより、地図をよく見ると、街道自体は消失しているものの、市境が何もない田んぼの中を微妙にうねっており、昔の旧街道を表しているような気がする。

信号から約300m。
小さな水路を渡れば、その水路に沿う形で狭い農道がある。
ここを右折し、約50m先。

T字路になっていて、ここで旧街道復活!

地図を確認すると、さっき府道に吸収された場所の延長戦であることが確認できる。

道なりに走ればしばらくして小さな十字路で、ここにあるのが「弘法の井戸」。

丁寧に説明書きも設置されているが、現在はすでに井戸としての役割はなさそうだ。


府道20号を斜めに横切り、直進。(信号まで迂回してね♪)
左にカーブしたところにまたまた小さな十字路で、「打上の四辻」と呼ばれている。

名前の通り、この東高野街道と交わる形で、東西に伊勢奈良道が通る。
そして1857(安政4)年建立の道標が今も我々現代の旅人をやさしく迎えてくれている。


それにしても心配なのは空模様。
曇天だから走りやすいと思ってここまで来たけどさ。
何だか今にも降り出しそうな雰囲気だ。

そんな心配をしながらも、コスモタイガーの足は先へと進んでいる。

※後編へ続く。

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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(1)~後編

2022-03-30 | 旧東高野街道run!!

山田池からそのまま府道144号を進むこと約200m。
「出屋敷」交差点の手前で、民家と民家の間で左折する小道がある。

車1台やっと通れる幅だが、実はこれが東高野街道で、何やら一気にタイムスリップしたような風景になる。
道路がオレンジにカラーリングされているのが目印だ。(冒頭写真)

両側に古いお屋敷が続き、この一角だけ別世界のようだ。
古い里程標も残されている。
どうやらこの出屋敷地区の東高野街道は五畿七道の「南海道」でもあるようで、それを知れば納得の風景ではある。


府道18号に吸収された。
ここからまた何の変哲もない府道run。

信号を渡った先には、右側に枚方市立の体育館と陸上競技場が現れ、一気に令和の時代に。
せっかくだから陸上競技場を見てみよう。

こんなお盆のさなかにどこかの学生たちが練習している。
凄いなぁ~!
と思いつつ、それを記念にシャメするコスモタイガーも走ってる最中なんだけどね(笑)


さて、足を進めましょ!
再び府道run。
相変わらず見所は何もない。

途中、右手に大きなパン工場。
名古屋に本社がある、あのパンメーカーだ!
こんな所で名古屋の匂いを感じたりする。

隣り合うように浄水場があり、この辺りで行政区域は交野市となる。
さらに府道を進み、「出鼻橋」で小さな川を渡る。

ここで左に曲がれば、ようやく堤防から降りるような感じの農道らしき道で、ようやく喧噪から離れる。
でも両側は田んぼ?が続き、ちょっと不安ではあるけれど。

でもこの道で間違いない。
さらに足を進めると、やがて古いお屋敷が増えてきて、郡津(こうづ)集落の素敵な風景となる。

そうなると本日のゴール予定地まであと少し!

集落を出たあたりで街道は右にほぼ90度カーブ。
すると左側、田んぼの中に風化した標柱。

案内板も何もないけれど、「古代天野川地方条里区画●●?」かな?

要するにこの一帯は古くから開かれ、区画整理されたってことやね。
それにしても「天野川」とは素敵な名前ではあるが、実は東高野街道はこの先でその川と巡り合う。
というより、さっきの出鼻橋の小川はその天野川の支流になるんだよね。

ここで街道は京阪電鉄交野線の線路により遮られる。
また、線路と立体交差している立派な幹線道路は、先ほどまで散々走らされた府道18号。
余所者にはちょっとややこしい造りになっているが、その交差近くに東高野街道を紹介する立派な案内板がある。

うーーん、立体交差の陰みたいな場所で、これはちょっと目立たないからもったいないなぁ。


さて、このまま北西100mほどのところに京阪の郡津駅があるからさ。
ここをゴールに…と思いつつ、いったん郡津駅へ向かったものの、無人駅だし、周囲は自販機と公衆電話があるだけで何もない。
まだ15時前で、そんなに急いで帰途に付く状況でもない。

というわけで、ダウンジョグがてら、隣の交野市駅まで走ることとする。
立体交差のところに戻る。

東高野街道=府道18号、になるからさ。
そのまま府道に沿えばすぐの交差点が「梅が枝」。

ここで本日の旧街道runとしては終了とし、左折して京阪沿いの道を交野市駅に向かう。
片側1車線なのに、結構な交通量が、交野市の中心に近いことを教えてくれる。

はい、交野市駅で本日のトレーニング終了!

文字通り、交野市の中心駅で、それなりの体裁は備えているから、着替えたり休憩するにはちょうど良い。
山越えをしたわけでもないからね、まだ体力的な余力はあるものの、この先のルートと交通アクセスのバランスを考慮すると、この辺で区切りとしておきたいのさ。

まだ初回だからね、社宅に戻るルートも簡単!
というより往復とも京阪だけ。

交野線のちょっとローカルチックな雰囲気を味わい、枚方市駅で本線に乗り換えれば、まだ明るい時間帯に社宅最寄りの北浜駅到着。
平日は多くのビジネスマンが行き交う淀屋橋・北浜界隈も、お盆期間中だと交野市駅周辺より静寂な、ちょっと不気味なタウン。

スーパーで買い物を済ませて帰宅。
コスモタイガーも溜まったブルーレイでも見ながら静かに過ごすとしましょうか。
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コスモタイガー漂走記~旧東高野街道編(1)~前編

2022-02-25 | 旧東高野街道run!!

御幸橋たもとに戻ってきた。
ここが東高野街道の起点なのさ。
振り返れば目の前には今登ってた男山。(冒頭写真)

右折が旧東海道57次(京街道)で、現在のコスモタイガーの通勤ランのコースでもある。
東高野街道は直進で、まさに今走ってきた道を進むことになる。

だからあえて脇目も降らずに黙々と走ってきたさ。
楽しむのはこれから!
今走ってきた道は見なかったことにしよう(笑)

ということで、ようやく旧街道runをスタート!
線路を渡れば石清水八幡宮の正門鳥居で、記念のシャメをしておく。


まだ汗もかいてない段階で見所満載でね、先へ進めない。
左手はさざなみ緑道として整備され、八幡八景なるものの1つらしい「安居(あんご)橋」が残されている。

1本道で、道標も整備されているのが嬉しい。
相槌神社という可愛らしい神社の前で升形のようになっている。
それにしても神社お寺が並ぶようにあるから、いちいち気にしていたら前に進まない。

その中でもひと際目立つた佇まいは徳迎山正法寺。
参道の先にある正門(唐門)は重要文化財に指定されている。

忙しいなぁ!
200m程で「京街道里程標碑」。
要するにここは追分になっていて、左の道は「在所道」ということらしいね。
もちろんコスモタイガーは直進。

さぁ、ようやくエンジンが掛かってきた。
300mほどで「一区公民館」が左にある。
ここを過ぎてすぐ、Yの字分岐で、ここは右の狭い方を行くらしい。

民家の間に「血洗池の碑」なんてあるから、かつてこの辺に薄気味悪い池でもあったのだろうか。
で、ここでまた狭いながらもY字分岐になってて、今度は左。

そのまま走れば広い道路に出た。
渡ったところには京阪バスの停留所(大芝・松花堂前)がある。

少し寄り道。
この広い道を100mほど東に行けば、バス停の名前通りの八幡市立松花堂庭園・美術館。


何だかお弁当の名前みたい…、と思っちゃうわけなんだが、実はそれは大当たりなんだよね。
コスモタイガーもリサーチして初めて知ったクチだから偉そうなことは言えないが、江戸初期の僧侶兼茶人兼書道家(芸達者!)の松花堂昭乗さんという方がここに庵を構えたということらしい。

そしてその松花堂さんが好んだ茶器や器などをベースに、後世、料亭として有名な「吉兆」があやかって作成されたものが松花堂弁当、になるとか。
松花堂さんご本人が考案したわけではなさそうなので、由来というにはちょっと微妙なものを感じるが、ともかくここには当時の立派な庭園などが今も残されている。

ぜひ観賞を…!と言いたいところだが、何と先日の大阪北部地震によりここも一部被災しているらしく、臨時休館中。
うーーん、残念。

あの地震、コスモタイガーも出勤途中、阪急電車の中で、しかも震源地近くの高槻市近くでまともに遭遇したからなぁ…。
こうして走っていられる平穏な日々に感謝感謝。
それに、お天道様に「寄り道するな」と言われてるのかもしれない。

街道に戻って南下を続ける。
しばらくするとさっき一区公会堂で別れた道と再合流。
この辺りは閑静な住宅街で、特段何もない。

400mぐらいかな?
信号のない横断歩道、右手前方にカラオケ喫茶があるT字交差点に出た。
ここはホントに目立たないからぼーっとしてると直進してしまいそうだけれど、実はここで右折。
そして緩やかに坂を登っていくことになる。

恐らくこの辺りは厳密な意味での街道は消失してるんだろうなぁ。
フツーの住宅街の中、直線の道が続いている。

幹線道路と思しき立派な道をトンネルで潜る。
街道は緩やかな左カーブを描いた先にあるのが、達磨堂円福寺。
約3万坪という広大な境内を持つ名刹らしい。

でもね、トレーニング中なのさ!
それに達磨さんについては、中山道の高崎市を走ってるときに楽しませてもらったからさ!(※旧中山道編31参照
外見だけ拝ませてもらって、先へ急ごう!
記念に案内板だけシャメしておく。


そのまま道なりに…と言いたいところだけれど、ここで旧街道は境内に沿って右折するらしい。
寄り道?して直進してみる。
100m弱で国1(京阪国道)に出て、そこに「洞ヶ峠茶屋」なる和風建築の蕎麦屋がある。

そう、ここがあの「洞ヶ峠」の頂上(といっても標高63m)で、現在も県境(京都府八幡市・大阪府枚方市)となっており、東高野街道はここから大阪府枚方市に入るわけだね。
決断せずどっちつかずの態度を取る日和見な人のことを「洞ヶ峠を決め込む」なんて言うけど、その語源となった場所。

山崎の合戦の際、明智光秀と羽柴秀吉双方から援軍を要請された筒井順慶は、とりあえずここ洞ヶ峠まで来て陣を構えたにも関わらず、どっちの味方に付くか迷っているうちに肝心の戦が終わってしまったという逸話から来てるんだよね。
もっとも最近の研究では、この逸話、創作の可能性が高いらしいけれど。

現在の洞ヶ峠は、この蕎麦屋が何となく雰囲気を残しているだけで、他に見るべきものは何もない。
目の前は国1(京阪国道)で、何の迷いもなさそうな車が結構なスピードで行き交っている。

さぁ、街道runに戻ろう。
境内らしき森に沿って走れば、両側とも何の変哲もない団地が建ち並ぶ住宅街の中。
京阪国道の1本西の裏道というイメージだ。
たまに右に左にうねるカーブがわずに旧街道であることを教えてくれる。

はい、また広い道に出て行き止まり。
ここは右折すると、すぐに西松屋高野道店がある。
この辺り、住所自体が「高野道」という字名なんだね。

で、西松屋を過ぎてすぐ左へ分岐するのがその高野道(東高野街道)。
この道はちょっと落ち着いた感じのうねり道で、街道の雰囲気がわずかに感じられる。

大きなショッピングモールの裏を走ると、やがてT字路で正面に工場らしきものに塞がれ、はい、またジ・エンド。
ここで旧街道は消失していることは明らかだ。

ってことで、しばらくはどこを走っても問題ないような状況だけど、一応リサーチ通りここは左折し、さらに100mほどで道なりに90度右折。
すぐ左側に国1(京阪国道)が寄り添う。
この辺り一帯は、枚方企業団地というそうで、町工場が連立してるだけの中を道は直線的に進んでいる。

信号に出ると、目の前に「ニトリモール枚方」。
ここで国1に出ましょうか。

残念ながらしばらくは街道らしさ0の京阪国道を走るしかなさそうだ。
涼しげな大型ショッピングモールに目もくれず、ひたすら足を進めるコスモタイガー。

1km以上、我慢の国道run。
曇ってるとはいえ、余計に暑さを感じるシチュエーション。

「出屋敷北」の交差点。ここでやっと左に分岐する。
300mほどは静かな道。

突き当たると府道144号で、結構な交通量だ。
正面には広大な山田池公園。

約1200年前にできたため池(山田池)を中心に整備された府営公園で、総面積73.7ヘクタール。
ジョギングコース・展望台・バーべQ広場なども設置されている。

せっかくのジョギングコース、しかも涼しそうな公園で、走っていきたいのは山々だけど、それじゃここで終わってしまいそうだ。
入口だけシャメしておこう…。


「暑いなぁ…」と心底思いつつ、旧街道に足を進めるコスモタイガーなのだ。

※後編に続く

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