管理者が社員に対して次のように言ったとしましょう。
「お前たちはいい歳をした大人だ。何が良くて何が悪いか、どんなことが危険でどうすれば安全か、自分で考え判断できて当然だ。自分の行動には責任を持て。我々が経験上知りえている重点事項や要点は教えよう、それ以外のことはすべて自分で判断して行動せよ。」
さあ大変なことになりました。社員たちのやる気や積極性が一気に活性化する反面、言われた通りではなく自分で判断して行動するのですから、結果に対しては自分が(も)責任を負わなければなりません。これは少なからぬプレッシャーですが、だからこそ社員は真剣に物事を考えるようになります。こう発言した管理者は「社員を信用する」スタンスに基づいています。どのような問題にせよ最終的にはすべての責任は管理者にかかるのですから、信用するスタンスに立たなければ、このように発言することはとてもできません。中には危うい部下もいます。しかしあえて信じてやるのです。驚くべき方法の発想や新技術の出現や、安全レベルの飛躍的向上の可能性はこの中にあるのです。
片や、社員の行動を微に入り細に入りこと細かく指示し、あるいは規制し、僅かなエラーも許さないとする管理方法があります。ルール違反はないか、サボっている者はいないかと、常に目を光らせ、パトロールし、時には個人のロッカーまで空けて中を調べる。このような管理者は「社員を信用しない」スタンスに立っていると言えるでしょう。社員は窮屈には感じても、とにかく言われたことさえやっていれば文句を言われることはないのだから、気は楽です。しかし社員個々の活力は著しく低下し組織全体を沈滞感と閉塞感が占めます。よって言うまでもなく、驚くべき方法の発想や新技術の出現や、安全レベルの飛躍的な向上の可能性は固く閉ざされることになります。
対照的な二つの管理方法とそれにより発現するものの差異。こういったことは安全のみにとどまらず、仕事の取組み方、進め方、会社人としてのあり方等、多くの事柄に通じることでもあります。
「お前たちはいい歳をした大人だ。何が良くて何が悪いか、どんなことが危険でどうすれば安全か、自分で考え判断できて当然だ。自分の行動には責任を持て。我々が経験上知りえている重点事項や要点は教えよう、それ以外のことはすべて自分で判断して行動せよ。」
さあ大変なことになりました。社員たちのやる気や積極性が一気に活性化する反面、言われた通りではなく自分で判断して行動するのですから、結果に対しては自分が(も)責任を負わなければなりません。これは少なからぬプレッシャーですが、だからこそ社員は真剣に物事を考えるようになります。こう発言した管理者は「社員を信用する」スタンスに基づいています。どのような問題にせよ最終的にはすべての責任は管理者にかかるのですから、信用するスタンスに立たなければ、このように発言することはとてもできません。中には危うい部下もいます。しかしあえて信じてやるのです。驚くべき方法の発想や新技術の出現や、安全レベルの飛躍的向上の可能性はこの中にあるのです。
片や、社員の行動を微に入り細に入りこと細かく指示し、あるいは規制し、僅かなエラーも許さないとする管理方法があります。ルール違反はないか、サボっている者はいないかと、常に目を光らせ、パトロールし、時には個人のロッカーまで空けて中を調べる。このような管理者は「社員を信用しない」スタンスに立っていると言えるでしょう。社員は窮屈には感じても、とにかく言われたことさえやっていれば文句を言われることはないのだから、気は楽です。しかし社員個々の活力は著しく低下し組織全体を沈滞感と閉塞感が占めます。よって言うまでもなく、驚くべき方法の発想や新技術の出現や、安全レベルの飛躍的な向上の可能性は固く閉ざされることになります。
対照的な二つの管理方法とそれにより発現するものの差異。こういったことは安全のみにとどまらず、仕事の取組み方、進め方、会社人としてのあり方等、多くの事柄に通じることでもあります。