会議や打合せには必ず目的がある。その目的とは議題に対して、その時点における回答を与えることである。会議におけるディスカッションは議題が回答を得るまでの過程であり、ストーリーである。また論理の組立てである。様々な軌跡を描く思考の流れとも言えるだろう。
これは数学問題を解き回答を得ることにも似ている。与えられた数学問題の直後に回答を記述することはまずない。回答に至るまでには必ずいくつかの計算過程を通らなければならない。証明問題などは論理の組立てそのものである。しかし議論の目的にのみに着目すれば、回答あるいは結論のみ得られればそれでこと足りる。では、数学問題の計算過程を記述したものとはいったい何なのか。またそれは何を意味しているのか。
これを会議に置き換えるなら、これこそが議事録に他ならない。そして議事録とは対象とした議題が、如何なる過程を経て、どのような論理の組立てによって、思考がどのような軌跡を描いて結論に至ったのか、回答を得たのかを説明するものである。数学問題の計算過程と等価とみなすことのできる記述、これが最も簡潔な議事録と言えるであろう。また極めて秀逸な議事録であると言えるであろう。つまり議題と結論を結びつける要素はすべて揃っており、不要なものは一切無い。
しかし、秀逸であることに違いはないが、これを議事録の理想と決め付けるものではない。そもそも人が語り合う会議は数学ではない。論理と理論、およびメカニズムによって回答を得る数学と異なり、人は多くの場合、論理と感情の交点から回答を得る。数学の計算過程はまったく無味乾燥であるが、人の手になる議事録には多かれ少なかれ味わいがあり、書く人によって味わいが異なるのもそのためである。
議事録の定義付けにも幾つかの方法があろうが、要は議事録に何を求めるかによって大きな差異が生じる。行われた会議が業務の的確かつ確実な遂行を目的とした手段であるなら、記述内容の客観性は高いほどよい。つまり、おのずと数学の計算過程に近い内容の議事録になる。結果として文字数が最少となるためボリュームの小さな簡潔なものになる。故に要点が浮き彫りになる。片や、場の雰囲気や出席者の気持ちなども含め、可能な限り忠実に会議の様子を再現することを議事録に求めるのであれば、議題に直接関係がないものであっても情報量は多いほどその目的に接近する。これの究極が録音であり、昔でいうところのテープ起こしである。業務の一環とはいえ、状況によってはこのような記録や記述が必要となる場合もあるであろう。
しかし、もし議事録に求めるものを取り違えた場合は、ノイズだらけで極めて要点が読み取りにくい等の問題が発生し得るので、この点要注意である。
議事録には両極がある。一方が数学計算であり、他方が録音である。その折々に対応して、この両極の範囲内のどこかの点に求められる議事録の姿が存在する。「文書によって、第3者にいったい何を伝えたいのか」。文書作成の基準、および方法論の起点はこの一言に尽きるであろう。
これは数学問題を解き回答を得ることにも似ている。与えられた数学問題の直後に回答を記述することはまずない。回答に至るまでには必ずいくつかの計算過程を通らなければならない。証明問題などは論理の組立てそのものである。しかし議論の目的にのみに着目すれば、回答あるいは結論のみ得られればそれでこと足りる。では、数学問題の計算過程を記述したものとはいったい何なのか。またそれは何を意味しているのか。
これを会議に置き換えるなら、これこそが議事録に他ならない。そして議事録とは対象とした議題が、如何なる過程を経て、どのような論理の組立てによって、思考がどのような軌跡を描いて結論に至ったのか、回答を得たのかを説明するものである。数学問題の計算過程と等価とみなすことのできる記述、これが最も簡潔な議事録と言えるであろう。また極めて秀逸な議事録であると言えるであろう。つまり議題と結論を結びつける要素はすべて揃っており、不要なものは一切無い。
しかし、秀逸であることに違いはないが、これを議事録の理想と決め付けるものではない。そもそも人が語り合う会議は数学ではない。論理と理論、およびメカニズムによって回答を得る数学と異なり、人は多くの場合、論理と感情の交点から回答を得る。数学の計算過程はまったく無味乾燥であるが、人の手になる議事録には多かれ少なかれ味わいがあり、書く人によって味わいが異なるのもそのためである。
議事録の定義付けにも幾つかの方法があろうが、要は議事録に何を求めるかによって大きな差異が生じる。行われた会議が業務の的確かつ確実な遂行を目的とした手段であるなら、記述内容の客観性は高いほどよい。つまり、おのずと数学の計算過程に近い内容の議事録になる。結果として文字数が最少となるためボリュームの小さな簡潔なものになる。故に要点が浮き彫りになる。片や、場の雰囲気や出席者の気持ちなども含め、可能な限り忠実に会議の様子を再現することを議事録に求めるのであれば、議題に直接関係がないものであっても情報量は多いほどその目的に接近する。これの究極が録音であり、昔でいうところのテープ起こしである。業務の一環とはいえ、状況によってはこのような記録や記述が必要となる場合もあるであろう。
しかし、もし議事録に求めるものを取り違えた場合は、ノイズだらけで極めて要点が読み取りにくい等の問題が発生し得るので、この点要注意である。
議事録には両極がある。一方が数学計算であり、他方が録音である。その折々に対応して、この両極の範囲内のどこかの点に求められる議事録の姿が存在する。「文書によって、第3者にいったい何を伝えたいのか」。文書作成の基準、および方法論の起点はこの一言に尽きるであろう。