2月から作り始めたが昨日ようやく完成した。(写真を撮った後首に赤いスカーフを付けた)
作り始めたころの記事はここ。
今日航空便で送ったがオーストラリアまで送料は1320円だった。(以外と安い?)
きっとChadも気に入るだろう。
ChadはPETERBOROUGH MOTORCYCLE & ANTIQUE MUSEUM の息子。
昨年私が訪問した時に工事中だった Bed and Breakfast(民宿?)の部屋が完成したようだ。
Ianは本職は大工。バイクのレストアをしてコレクションを増やしている。
BelindaはANTIQUEを担当している(と思う)
この前まではPETERBOROUGH MOTORCYCLE MUSEUM だったと思うが、最近 & ANTIQUE が付け加えられている。
Bed and Breakfastの写真を見るとインテリアはアンティークだ。
昨日午後、今年初めてバイクに乗った。
林道案内にまだ紹介してなかった三つ森山林道に行ってみた。
林道途中に史跡、八人塚があるので寄った。
ここは何度訪ねても 考えさせられる。
以下に案内板に書かれていた文章を転記しておく。
八人塚 (はちにんづか)
戦国のころ、日向の国(現宮崎県)延岡の城主堀内和泉の守は、戦いに敗れ、ひそかに城をのがれて諸国を遍歴の末、羽後国雄勝郡堀内(現羽後町堀内、堀内の地名は堀内氏に由来する)の地にとどまった。大日向(故郷日向国にちなむ)の姓を名乗って農夫となり、弟は平鹿郡道地村(現雄物川町道地)に移り住んでそれぞれ開拓に従事することになったという。
数年を経て、和泉守の旧臣八人が、はるばる主君のあとを慕い訪ねて再起を勧めたが、争うことの醜さと世の無常を悟った兄弟の心を動かすことはできなかった。悲嘆にくれた八人は、主家再興の願いも今はこれまでかと、主君のいる堀内をはるかに望むこの峠で、切腹して果てた。
和泉守は、その心根を憐れみ、塚を築いてねんごろにその冥福を祈った。以後その命日の五月五日には、その子孫にあたる堀内と道地の大日向一族が毎年欠かさずに墓参をして、その霊を慰めている。
なお、文政九年(一八二六)に堀内の大日向理右衛門氏が「八人供養塔」を建立して菩提を弔い、さらに昭和二十二年(一九四七)には、堀内の大日向作蔵氏が発起人となり、姻戚に当たる当町の佐々木順氏(初代雄物川町長)の揮ごうになる「節士八人塚」が建立され、永くその忠節を顕影することになった。
平成九年八月 雄物川町教育委員会
昔一人でここを訪れた時 山の下草刈りをしていた二井山のご住職と合い、いろいろな話を伺った。八人塚についても興味深い話を聞くことができた。
戦に敗れるということ、敗走するということは 今の私たちには想像できないほど過酷なものだったらしい。氏の歴史観をいつかまたお会いして伺いたいものだ。