H a n a

ビーグル犬の子犬 ハナがやって来た
Puppy Hana came over

カヌー組立中 10

2013年02月19日 | カヌー作り


配色を検討するためペイントソフトで遊んでみた。
妻と相談の結果上から二番目を採用。



ガンネル(舷縁、船べり)は透明なニスを塗った。
ニスは時間が経つとアメ色になる予定(パドルで経験済み)
ベニヤ板を切り出した時の基準線などは消さずに透けて見えるようにした。
手作りで悪戦苦闘したあとが解るように。



内部は油性の木部用ペンキを塗る、色はアイボリー。
立ち上がり部分を塗りやすくするために 片側づつ立てて塗っている。
マスキングテープを貼るのに結構時間がかかる。
コメント

森の生活

2013年02月07日 | Weblog


ヘンリー.D.ソロー
森の生活
スティーブ.ロウ=編  金関寿夫=訳  ロバート.サブダ=画
佑学社

この絵本は、ソロー自身が書いた言葉によって構成されています。
編者スティーブ.ロウは、ソローの作品の本質と意図を
そこなわないように慎重な配慮の上、抜粋し、
原文の文章を省略した部分は「....... 」でしめしました。



 一八四五年の三月もあと数日で終わろうという日に、
ぼくは斧をかりて、ウォールデン湖の近くの森に行った。
池のすぐそばに、家を建てたかったのだ。
そのための材木を手に入れようと、
矢のように高くのびたマストローブの若木を、
きりたおしにかかった。
 ぼくがウォールデンに行きたかったのは、
べつにそこで安上がりの生活をしたいと思ったからでも、
またぜいたくな生活をしたいと思ったからでもなかった。
ただ自分がやってみたいと思ったことを、
できるだけ抵抗なくしてみたかったからである。



 五月のはじめになって、やっと家の骨組みができあがった。
.........家の片側に、煙突の土台になる部分を作ったけれど、
そのためには、荷馬車二台分の石を、池から丘の上まで、
両手にかかえて運んでこなければならなかった。
壁板と屋根がはれたとたんに、ぼくは中に入って
住みはじめた。七月四日の独立記念日だった..........
 さあ、ここで住むことになるかな、とぼくは
ひとり言をいった。そしてじっさい、
ぼくはそこに住んだのだ。はじめは一時間、
そしてひと夏、そしてひと冬、というふうに。



 朝、ぼくは目覚める。そしてほくのなかには、
かがやく夜明けがある。
 ぼくは早おきして、池で水浴びをした。



 朝早く、ぼくははだしで、畑仕事をする.........
雑草をぬき、豆のくきのまわりに新しい土をもる.........
すると、土からは、雑草じゃなくて、豆がはえてくる.........
 ぼくの一日の仕事はざっとこんなものだった。



 夏の朝など、池で、いつもの水浴びをすませると、
ぼくはよく、日の出から正午まで、
日当たりのいい家の出入り口にすわった。
マツの木、ヒッコリー、ウルシなどにかこまれ、
鳥たちが家のまわりで歌い、
また家のなかを、音もなく飛びぬけていくあいだ、
ひとりぼっちのしずけさのなかで、
ぼんやり夢みながら時をすごしたものだ。
 そして西の窓に落ちる夕陽をみたり、
遠い街道を行く旅人たちの幌馬車の音を聞いて、
はじめて時のたったことを知るのだった。



 夏のある時期がくると、きまったように、
夕方の汽車が行ってしまったあと、
ヨタカたちが、半時間ものあいだ、
夕べの祈りを歌いつづけた........
ときには、森のなかの四つか五つのちがった場所で、
同時に歌っているのを聞くことともあった........
 かれらは、ほとんど時計とかわらぬぐらいの正確さで
うたいはじめ、毎晩日没時から、まちがっても五分以上
ずれることはなかった。



 あたたかい夜には、ぼくはよくボートにすわって、
フルートを吹いたものだ。
すると、その音にさそわれて出てきたかのように、
あたりを泳ぎまわるスズキがみえた。
 また、うねもようになっている池の底には、
森の切れはしがちらばっていて、
その上を月がわたっていくのを見ることができた。
 森にかこまれたこの地平は、すべてぼくのものなのだ。



 九月一日、むこうの岸の小さなカエデの木が
二,三本、すでに紅葉しているのに気づいた........
1週間、そしてまた1週間と、それぞれの木が、
特色をしだいにはっきりあらわしてきて、
鏡のようになめらかな湖面に映った自分の姿に、
見とれていた。
 夏といわず、冬といわず、機関車の汽笛の音が、
農家の庭の上をかすめ飛ぶタカのするどい鳴き声のように、
ぼくの森をつらぬく。
 たくさんのせわしない都会の実業家や、
このあたりの冒険好きの仲買人が、
町に着いたことを知らせてくれる。
 さあ、列車が行っていしまい、
それといっしょに、せわしげな世界も姿を消した。
池の魚も、もう線路の轟音におびえなくてすむ。
そしてこのぼくにも、
なつかしい孤独がもどってくる。



 十一月になって、最終的に冬ごもりに入ってしまうまでに、
ぼくはまるでスズメバチみたいに、
ウォールデンの東北の湖畔に逃げこむことがよくあった。
 そこは、ミツバマツの森から差す日ざしが、
石ころだらけの岸に反射して、天然の炉ばたとなっていた。
 時間のゆるすかぎり太陽であたためてもらうのは、
人口の火であたためられっるより、ずっと気持ちもいいし、
健康的でもあったのだ。
 というわけで、太陽が、まるで立ちさった狩人みたいに
おいていった、まだぬくみのある残り火で、
ぼくは自分の体をあたためたものだった。

 

 ぼくはウォールデンの小屋のなかに、いすを三脚いれていた。
ひとつは孤独のため、ふたつは友情のため、三つは社交のために。
 近辺を旅する人が、わざわざ進路をはずしてまで、
ぼくと、家のなかを見にくることがよくあった。
その口実は、きまって「水を一杯いただきたくて」というのだった。
「水は池でどうぞ」とぼくはそこらを指さして、
ひしゃくをかしてあげたものだった。



 ようやく冬がやってきて、本気で腰をおちつけだした........
すると風が、家のまわりを、
「やっとおゆるしが出ましたので」とでもいうように、
ほえまわるのだった。
 雪がいちばん深いころになると、さすが物好きな旅人も、
一、二週間くらいは、顔を見せない日がつづいた。
おかげでぼくは、野ネズミみたいに、
気楽に暮らすことができたものだ.......
 ぼくはもうさびしくなくなった。
ちいさなミル.ブルック川、風見、北極星、南風、
四月のにわか雨、一月の雪どけ、そして
新しい家に出てきた、最初のクモと同じくらい、
さびしさなんか感じなかった。



 わすれていけないのは、
ぼくがウォールデンにいた最後の冬、
もうひとり、うれしい訪問者があったことだ。
 この人は、村をとおりぬけて、
雪や雨や暗闇をものともせずに、
木立のあいだにぼくの家の明かりを
見つけるまで歩いてきて、
長い冬の夜を、いく晩か、ぼくとともにすごした。
 そこでぼくたちはさまざまな思想や、
古い神話や物語などを話題にして、
思うぞんぶんに議論をたたかわせたものだ。



 春の気配がしてくるころ、
本を読んだり、ものを書いたりしていると、
アカリスが一度に2匹、すぐ足下の床下に入りこんで、
キュッ、キュッ、ゴロ、ゴロと、世にも奇妙な、
つま先で旋回するような、
のどを鳴らすような声で鳴くのだった。
ドンドンと床をふんでやると、
鳴き声はよけいに大きくなる........
 窓の外をながめると、、、きのうまで冷たい灰色の
氷が張っていたところは、いまはもうしずかで、
夏の夜みたいに希望にみちた透明な池にもどっていた。
頭上には、まだなにも見えないのに、
池の胸の奥深くには、夏の夕空が映えて、まるでこの池が、
はるか遠くの地平と交信しているかのようだった。
 ぼくは遠くでコマツグミが鳴いているのを聞いた.......
ウォールデンは死んでいたが、また生きかえったのだ。



 こうしてぼくの森の生活の、一年はおわった。
そして二年目は、一年目と似たようなものであった。
そして一八四七年の九月六日、
ぼくはとうとうウォールデンを出た。
 森を出た理由は、入った理由と同じくらい
まっとうなものだった。たぶんぼくにはそのとき、
まだいくつかのちがう人生が待っているように
思われたのだろう。ウォールデンで、これ以上
ぐずぐずしているかけにはいかなかったのだ。



 ぼくはウォールデンの実験で、
少なくともこのことを学んだ、、、
 一日は、ぼくらの心が目覚めているときにこそ明けてくる。
太陽とは、明けの明星にすぎないのだ。



WALDEN

Henry D Thoreau

 
 









コメント