コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

中野銀座は鍋屋横丁であった・・・・!

2006-05-09 | 武蔵野乃中乃界隈
Once upon a time 鍋屋横丁は中野銀座と呼ばれていたそうです!

             ・・・・と隣のおじさんが話してくれました。

五月晴れの日、家前で久々の花の手入れをしていましたら、更に久々に隣のおじさんと話す機会がありました。

話は、今立っている家前の一通、一方通行の狭いこの道です。

この道は、歴史由緒ある道であって、以前は商店街が連なっていた道だと教えてくれました。日常品はすべて揃い、銭湯もこの近くに三、四件もあったり、更に町医者医院も四、五件もあったりし栄えていた商店街だったそうです。
確かに、古い家を見ると一風違った家並みが見られ、関心がありましたが、つい遠くをみて足元を見忘れていました・・・・・。
こんな面白い、町だったと地元おじいさんの話で思い知らされました!
ちなみに当時、鍋屋横丁は中野駅周辺より賑わい栄え、夜には露天が建ち並び毎夜お祭のようであったとの事です。
また、映画館、レストランなどもあった一大エンターテイメントエリアだたそうです。

・・・でこの道は、
江戸時代から池上本門寺と並ぶ日蓮宗の名刹として、古くから多くの人の信仰を
あつめてきました堀之内の厄除けのお祖師様と呼ばれて痛そうです。
堀の内 日円山 妙法寺 への参詣道の一端で栄えていた商店街 由緒ある処だったそうです。
有名な落語に「堀の内」があり、誰もが知っている滑稽本「東海道中膝栗毛」で有名な十返舎一九さんの「誹語堀之内詣」にも書かれているそうです。
実際には、青梅街道から鍋横に入り、お題目石と呼ばれています道標を曲がり、参詣道に入るのが一般的なのでしょうが、この家前の道はその参詣道に繋がっている道だったので、中野新橋通りから先に入ってくる参詣者で繁栄していたのかもしれません・・・・。
こんな面白い話を知らないとは、灯台下暗しとはこの私の事でした・・・・・。

古今亭志ん朝さんの落語「堀之内」に、
       この妙法寺 参詣道の賑わいの様子が見受けられます・・・

「あ、そうか。鍋屋横町、鍋屋横町ね。え、なんみょうほうれんげえきょう、なんみょ
うほうれんげえきょう、え(唱え調子で)鍋屋横町鍋屋横町・・・、この辺で聞いてみよう。
ちょいとうかがいァすがなァ、鍋屋横町ってのァこの辺ですか?(うなずかれ)あァ、
そうですか、ヘイ、どうもありがとァンす。え、(若干唱え調子を残し)ここを曲がァれと、

そう言ったな。えェー・・・、あ、いるいるいるいるいる。
ええ?みんなでもってドンブクドンブク叩きながら、ええ? 
お題目唱えてお詣りに行くんだな、この人たち・あァ、ここんところかな、
ありがてェ、ありがてェ、ここ行きゃいいんだな、なんみょうほうれんげえきょう、
なんみょうほうれんげえきょう、お、お、お、お、ありがてェありがてェ、え? 
お堂が見えてきた、お堂が。な! あァ、やっと着いたぞ。
この人にちょいと確かめてみよう。えー少々うかがいますがなァ。
ええー、堀の内の御祖師様ってのァここですか」
「(渋く落ち着いた声で)はいはい、いかにもここが祖師堂ですよ」

                        「志ん朝の落語 4」 ちくま文庫版から

こんな様で当時の賑わいのある様子が目に浮かびます・・・・。

今度、時間をみてこの日円山妙法寺 参詣道を調べてみたいと思います。

近所には、今では珍しい薪で大釜戸を焚きながら大豆を煮て造る美味しい御豆腐屋さんもあったりして、楽しい処を紹介できたならと思います。

このご縁も、高遠の絵島さんの御慈悲かな・・・・


日円山 妙法寺 公式HP

日円山 妙法寺 高円寺寺社史跡マップから

お題目石 中野区HPから

落語「堀之内」の舞台を歩く

落語 堀の内(ほりのうち)あらすじ 千字寄席から  


最新の画像もっと見る

コメントを投稿