コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

『ロビンソンの庭』 ニューシネマ インディな先覚者たち 山本政志監督のポップな才に魅せられ・・・ 

2009-09-14 | 記憶の断片
        映画 『ロビンソンの庭』 (1987) ベルリン映画祭ZITTY賞受賞作品
            山本政志監督のポップな才に魅せられ.引き寄せられ・・・

『ロビンソンの庭』撮影当時の記念写真です。
当時(多分’86年だと思いますが・・・? この映画製作体制は、
インディー映画、自主上映映画とメジャーからは分類されていましたが、
監督の才子あり千里眼的な判断でプロとアマが混じり合い、更にはアメリカニューシネマの
ニューヨーク派インディーズ映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)の
カメラマン トム・ディチロ氏を呼び製作されたのがこの『ロビンソンの庭』です。
そしてこの作品、当時日本映画が海外の映画祭で賞をとるには、メージャー系映画会社が絡んでいなければ難しい状態でしたが、この『ロビンソンの』は本当に山本政志監督の前作『闇のカーニバル』での海外での評価とこの斬新な日本流ユニバーサル的な日常と自然の回帰が融合する映画がベルリン映画祭で受けをその実力だけでとったZITTY賞受賞作品です。
現在では海外映画祭で賞を受賞するのは当たり前のようになりましたが、上記のように独立インディーズ映画は大きな世界映画祭映とは無縁であり、その事をこの作品の評価側からから読み取ると今日のニューシネマ体系の走りであり、起爆剤的な先駆作品ではなかったと思います・・・・。
この作品、今観ても色褪せなく今の社会のでもあり、誰もまねのできない斬新な作品です。機会がありましたら劇場でまた観たいものです。
すでにこの山本政志監督の元に集まったメンバーには、主演男優の町田町蔵氏が、町田康 名で小説「きれぎれ」で2000年度第123回芥川賞受賞をしています。
また、この作品の前から山本政志監督に就いていた諏訪敦彦助監督は、
現在監督になり1999年『M/OTHER』で第52回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞してます。

また今日、その後海外合作作品を発表し大学の教授になっているという諏訪敦彦監督の話は噂で聞いていましたが、なんと東京造形大学学長に昨年から就任していた事を知り、あまりの驚きと喜びを感じましたのでその記念にと思い写真をUPしました。
まさにこの時期邦画界では、今主流になっている日本ニューシネマの香りを、この才覚者たちがすでにこの前後インディーズな処に集い古い殻を破り、花開き、その新しい香りを発散し、当時の邦画界を改革していったのではないのでしょうかー。
それが今日、その才覚者たちが切り開いた路の後を、それまで侵入しにくかったTV業界が土足で形振りかまわず我も我もと海外の賞を追いかけてきて、現在の邦画界が形成されたのが今の現状だと思います・・・・。

上のモノクロ写真の一番上手(右側)に写っているのが当時の諏訪敦彦学長です。
諏訪学長の後ろには、元天井桟敷の一員で寺山修二氏と縁深いアップリンクの浅井 隆氏です。

  2008年度入学式 諏訪学長による式辞
 現代社会はインディーズ精神と知識を問い学ぶ学問の場 学校と社会 の必要をストレートに、新しい映像を志していた当時の開拓者たちの気持ちを代弁してくれ、また熱い想いを胸の中に秘め入学した若者にストレートに自分の経験を話し、その精神を伝えた気持ちの良い祝辞なっていますので是非時間をかけ一言づつ意味を噛みしめながら読んで下さい。

  2008年度 入学式の模様 学長  諏訪 敦彦 式辞風景
 絶対、諏訪学長の経験から話されたこの式辞での祝辞言葉が、今後あなたが創造しえる人生の中で良質な”糧”になるヒントの事柄が随所見受けられると思いますので紹介しました・・・・・。

諏訪さんとは、その後、ブリヂストンのスタッドレスタイヤのVP(ビデオPR)に誘って戴きました。長野 北志賀竜王高原でプロスキーヤーの海和俊宏さんを交え撮影し、海和さんの後ろからついていく撮影は思いで深いものです・・・。
また、諏訪さんと電話で話したのももう一昔前の出来事になり、月日の経つのが早いとしみじみと感じられ懐かしさで一杯です。まだ、下町にお住まいなのでしょうか・・・?


   
    あの時のロビンソンスタッフお元気でしょうか? 
    時々、原点に戻りたくなりロビンソンスタッフ一人ひとり皆さまを思いだします!

     『ロビンソンの庭』(1987) goo映画  このスタッフの名前を見れば驚きます!




時間をみて、当時の思い出を書きたいと思います・・・。




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