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なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

報道

2009年07月24日 | 
のあり方の偏向、マイケル・ジャクソンについては「人種」とくっつけて語られてることが多そうだ。しかし、あっしの見立てはちょっと違う。それ以前のことなんじゃないか。彼は、旧来のアメリカ文化における「かっこよさ」と対極にある全く新しい「カッコよさ」を提示してしまった。それに対するねたみ・嫉み・ひがみから始まったんじゃないか、全てが。

 それまでのアメリカ=マッチョ文化に尽きると思う。アメリカにおけるかっこよさ=筋肉隆々の大男(代表:シュワルツネッガー)OR西部劇に出てくるようなニヒルなアル中ORきっぷで勝負する口達者(例:「カサブランカ」のハンフリー・ボガート)、まあ、全部映画からの見立てですけど。基本的に田舎臭いですね。単純なんですよ。

 考えてみると、マイケルが現れてからじりじりとそういう人物が活躍する映画が減っている。現在、いわゆるアクションスターなるムキムキ男はほぼ全滅状態、アクション映画の内容も「普通の人がどうにかしなくちゃって頑張る」内容ばかり。これは、アメリカにおける旧来のモテ男が価値を失っている証拠だろう。しかし、この価値観の変化は、マッチョ文化にどっぷり浸かっている男どもに対して、物凄い脅威になるでしょ。

 マイケルの歌・ダンスは実に繊細で、かつ隙がない。ライヴ映像で「どこを切ってもカッコイイ」というのは驚異だ。本当にビックリしたんだ。斬新なダンステクニックや振り付け、真似することはできるけど、最初に考え付くまではどうだったんだろうか?それもこれも、マイケルが「客を満足させるショーパフォーマンスとは」ということを真剣に考え、かつ実行するために相当の努力をした結果。で、なのに、それが全部ねたみやひがみ・やっかみの対象になってしまったのではないか。男のヤキモチは恐ろしいよ
 更に続きます。

毎日新聞

2009年07月24日 | 
の「記者の目」に寄稿されたマイケル・ジャクソンに関する記事が、かなり反響を呼んでいるようだ。書いた方は、マイケルのファンなんだろう、彼をめぐる報道についての憤りを率直に書いておられる。この7月はつらい。ファンの方はどうやって過ごしているのだろうか?
 マイケルについての情報は、ほぼNHKの特集番組から得たんですけど。彼の死後に、生前収録された番組を流すのには決断が要ったと思う。NHKには感謝したい。なんかね、頭から離れないんですよ、彼をめぐるいろんなこと、特に報道が。

 マイケルについての報道は、医療に関する報道と重なり合う部分が多々あると思う。特に「割りばし事件」。この件に対する報道のバカさ加減には以前から辟易していたわけだが、当事者の先生が所属していた杏林大の教授の方のインタビューを読んで、事件のいきさつがかなり腑に落ちたもんだから、なおさら腹が立っている。一言で言えば、報道する側のステレオタイプな思い込みに基づく偏見、さらにそこに立脚した、書いている本人も気付いていない「悪意」に正義っぽいことをまぶしつけた記事の書き方。マイケルに対しても同じではないの、というか、マイケルについての報道をあれこれ考えていて気付いたことでもあるんだが。

 彼の映像・音楽を見聞きしてまず、思ったのは「なーんてカッコイイの!!!」でしたね。知らなかった~~。こんなカッコイイなんて。で、もう一つ思ったのは「意外に小柄で華奢な人なんだなあ」ということ。これ、かなり重要な情報だった。
 続きは次回。