8月
というと、バカの一つ覚えみたいに「戦争は悲惨だからやめましょう」というプロパガンダ(?)が流れますね。今や、戦争なんか、当時とは全く別物になってるのにね。ドローンに撃たれて殺されるってわけだ。機械なんぞにやられてたまるか、と思うけど、農薬撒くドローンをちょっと作り替えればすぐ兵器になるでしょうしね。人間よりかうんと正確に殺せると思うんだ。そうなると、トレンドがドローン操縦士の資格になったりさ。
最近、新聞読むのもうやめようかと思い始めている。文章がどーしよーもないんだもの。まあ、毎日新聞ですけどね。紋切り型の表現、どうにかならんのでしょうか?「見据えた」だの「前を向いた」だの「目を輝かせる」だの「指摘する」だの「注文を付ける」だの・・・・・あ~~!!この帰結を読むと心底ばからしくなるのだ!!結局何が言いたいんだ、あんた!そうやって、主張をどこかに捻じ曲げようとしてるのが見え見え。やんなるよ。
新聞小説もつまんないしなあ。サイバラの漫画も最近は毒気を抜かれてしまった感。
戦争といえば。ばあさんがよく自慢してたのが「憲兵にたてついた」という話。実は内容がさっぱり分からなかったのだが。説明が下手だったから、あの人は。内容よりも、戦時中はそれほどに「憲兵」なる存在は恐怖の対象で、そいつに逆らってそれが通った、というのはかなり珍しい事&勇気のいることだったんだろう。というか、戦争が終わったら、その「憲兵」連中はどうなったんでしょうか?誰か調べてよ。
戦争についてはむしろ、あちこちの雑誌にちょこちょこ書いてあった話の方が印象が強い。暮しの手帖は特集もつくってますが、もっと面白い話もあった。確か、本社に真っ黒に塗装された缶詰が送られてきて、中身を調べてほしいとの事、大学や缶詰メーカー等々の方が集まって調べてみたら、中身は大方の予想通り粉末卵で、それが缶の中にぎっちぎちに入っていて、真空状況を調べられなかった、という話とか。普通は缶詰の上にちょっと隙間があるように充填するもので、それをギッチギチに詰め込むのはかなり技術も必要のはず、どうやったのか?という話とか、そこまでして戦地に食品をちょっとでも多く届けたかったのかとか。食べられるレベルの保存状態だったことも驚異的だったそうです。
その話に、どなたかからこんなリクエストが来たんですよ「粉末卵だったら、ぜひ飯盒の蓋で卵焼きを焼いて、その写真を載せてほしい」。確か、南方の激戦地で食べるものが全くない状況の時、アメリカ軍の落とし物に、こんな缶詰が何個もあったんだそうです。でも、爆薬かも、ということで1か月以上手を付けない、間に、どんどん仲間が餓死(戦死じゃないんだよ)してゆく。いよいよ切羽詰まって、とにかく開缶しよう、中身が食べられるものらしい、と判断するのに半日以上、で、恐る恐る飯盒の蓋で卵焼きをつくって残った人たちで食べた。その卵焼きに皆が涙を、涙を。と書いてあった。
その方の部隊は9割がた死んで、やっと日本に引き揚げてきたら、家族は空襲で全滅していた、その後は人殺し以外なんでもやって生きてきた。という話。卵焼きの写真をその方はどんな気持ちで見入ったんだろうか。
こういうのが戦争のリアルだと思うんですよね。
もう一つ、よく覚えているのが、箸とネギの話。子供だったその人は、いつも腹がすいていた。ご飯は雑炊で、どんどん薄くなる。水を飲んでるのと同じですよね。空腹のあまり箸をかじるようになって、箸には鰹節みたいな味がする、と本気で思っていたそう。
ある時、珍しくネギが食卓に出て、そのネギの根っこを庭に植えてみたら、少しづつだけども伸びてきた。そうこうしてるうちに疎開しなくちゃならなくなって。久しぶりに帰郷したとき、お父さんが「庭のネギを出してやれ」とお母さんに言ったんです。そしたらお母さんが「そのネギなら、昨日あなたがあんまり何もないのかって怒るから、切って使っちゃいましたよ。あなた、みそ汁にして食べたじゃない」って言い返した、その口調は「何もかも嫌だ」と言ってるようで。その人は翌日即疎開先に戻って、結局ネギを見に行くこともしなかった、という話。
結局、大人のトラブルって子供だの弱いとこに行くんですよ。いつもそうだけど、戦争はその究極ってこと。