goo blog サービス終了のお知らせ 

★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇クレーメル/アルゲリッチのシューマン:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番

2010-03-18 09:27:15 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

シューマン:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番

ヴァイオリン:ギドン・クレーメル

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ

CD:ドイツ・グラモフォン F35G 20075

 今年は、ショパンと並びシューマン生誕200年に当る記念すべき年である。シューマンは大衆的な人気と言う点では、ショパンに比べ一歩譲るのかもしれないが、その内面の精神的な深みでは、逆にショパンを一歩リードするのではないかと私は思う。特に一連の室内楽における充実度は特質すべきものがあり、この点でシューマンに比肩できる作曲家はブラームスぐらいしかいないであろう。ただ、シューマンの場合、晩年に精神的な病に陥ったことが、作品全体の評価を、色眼鏡で見られる傾向があるのは誠に悲しいことだ。

 今回の2曲のヴァイオリンソナタは、最もシューマンらしい、とてもとても内面が充実した室内楽曲に仕上がっている。ただ、華やかさが少ないので、あまり有名でないだけで、ブラームスの3曲のヴァイオリンソナタと比べても、いささかの遜色もない。このCDの録音は1985年11月にスイスで行われたとある。ヴァイオリンのクレーメルとアルゲリッチが全く対等に、優雅に明るく、シューマンのロマン溢れる世界を描ききっているところは、さすが現代の一流のヴァイオリニストとピアニストだけのことはあると、納得させられる演奏内容だ。

 シューマンの2曲のヴァイオリンソナタは、ともすると、暗い情念が内に篭ったような演奏スタイルとなりやすいのだが、ここでの2人のデュオは、誠に伸びやかで、大らかな演奏に徹している。ピアノのアルゲリッチが、ピアノ伴奏というより、クレーメルのヴァイオリンと対等に、絡み合うようにシューマンの世界を演奏しているところが、他のシューマンのヴァイオリンソナタの録音とは一味違う。

 それに、何といってもクレーメルが弾くヴァイオリンのリズム感と音色がとても魅力的であり、聴いているうちに、何かお酒を飲んだ時のようにフラフラとなる、といってはオーバーかもしれないが、リスナーを引き付けずにおかない何かをクレーメルは持っている。聴き終わったときに、自然に口から“ブラヴォー”が出てきそうになる。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇シゲティのモーツアルト:ヴァイオリン・ソナタ集

2010-03-11 10:14:06 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

モーツアルト:ヴァイオリン・ソナタ集(K.305/K.380/K301/K.377/K.526)

ヴァイオリン:ヨゼフ・シゲティ

ピアノ:アンドール・フォルデス

CD:キングレコード KICC 2205

 ピアノ演奏とヴァイオリン演奏の違いは何であろうか。ピアノ演奏は固定された鍵盤を基準に演奏のスタイルが決められるが、ヴァイオリン演奏は、弦と弦とを、演奏家の自由な意思でいかようにも決められ、自由度が一段と高まるように感じられる。その結果、ヴァイオリン演奏には、何とか派といった演奏スタイルが創出されやすい。フランコ‐ベルギー楽派の演奏スタイルなどが、その代表的なものだ。あくまでヴァイオリンらしい美しい音色に固執し、優美に、正統的な演奏スタイルがその特徴だ。「ヴァイオリンの音色に癒される」なんていうのは、おおよそフランコ‐ベルギー楽派の奏法によるものと考えていい。一方、そんなヴァイオリンの“美しい”夢を、敢えて打ち破ろうとしたのが、ヴァイオリンの巨匠、ヨゼフ・シゲティ(1892年ー1892年)なのである。

 アルテュール・グリュミオーのようなフランコ‐ベルギー楽派特有の優美なヴァイオリン演奏に親しんだリスナーが、いきなりシゲティのヴァイオリン演奏を聴いたら多分ショックを受けるに違いない。何しろシゲティのヴァイオリンの演奏ときたら、何んの恨みがあって、ヴァイオリンの音色をこんなにまで、ぎすぎすさせねばならないのだ、と感じるほどなのだ。ちっとも(表面的には)美しく聴こえてこない。しかし、シゲティのヴァイオリン演奏を何回も聴いてみると、何かがちょっと違うのだ。というのは、曲の持つ美しさを表現するのに、ヴァイオリンの音色自体は美しくない方が、逆に曲の本当の美しさを引き出せるのだ、といったシゲティの固い信念を嗅ぎ取ることができる。ヴァイオリンの表面的な美音で、その曲が持つ本来の姿を打ち消してはならない、ということを、シゲティは我々に訴えているようにも思える。

 このCDは、「シゲティ生誕100年記念企画」と書いてあるので、発売は1992年であろうか。“巨匠シゲティの偉大なる遺産”と銘打った10枚のCDからなるシリーズの中の1枚である。録音は、1943年、ニューヨークとある。今から60年以上前の録音だが、音質もまあまあ、鑑賞に耐えうるといったところか。もっとも美音が売りのヴァイオリニストでないので、例えレコードの針音が聴こえても我慢することにしよう。全部で5曲のモーツアルトのヴァイオリン・ソナタが収められているが、やはりK.301/K.377/K.526の3曲が内容に深いものがあるだけに、シゲティの腕が一段と冴える。これまで、ただ美しい曲だと漠然と聴いてきたモーツアルトのヴァイオリン・ソナタが、俄然その骨格を現し、がっしりとした構成美を聴くものに見せ付ける。

 岩井宏之氏も「・・・彼(シゲティ)には、響きの快さ以上に追求すべきものがあった。言うなれば、感覚の楽しみを超えて琴線に触れる音楽ーーがそれである。・・・」(「クラシック不滅の巨匠100」音楽之友社刊)と書いている。シゲティのヴァイオリン演奏を聴いていて、はっと思い当たった。シゲティこそ現代音楽の入り口を叩いた一人ではなかったかと。現代音楽は、ただ単に美しい、癒されるといったこれまでのクラシック音楽に対し、人間の抱える苦しみや痛み、不安など、誰もが日常抱く感情を表現しようとした壮大な実験(成功したかどうかは後世の判断を待つしかない)なのである。シゲティは生前、盛んに同時代作曲家の曲を演奏したこともうなずける。今後、シゲティ再評価の機運が盛り上がることを切に祈りたい。それだけ遠くを見据えた、偉大なヴァイオリニストであったのだから。なお、このCDでのアンドール・フォルデスのめりはりの効いたピアノ伴奏が光る。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇ティボー&コルトーのフランク/ドビュッシー/フォーレ:ヴァイオリンソナタ

2010-01-28 09:30:08 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

フランク:ヴァイオリンソナタ
ドヴュッシー:ヴァイオリンソナタ
フォーレ:ヴァイオリンソナタ第1番 他

ヴァイオリン:ジャック・ティボー

ピアノ:アルフレッド・コルトー 他

CD:東芝EMI CE30-5741

 ティボー(1880年-1950年)とコルトー(1877年-1962年)のこの“フランス音楽 ヴァイオリンソナタ傑作選”ほど、私のクラシック音楽リスナー歴に影響を与えた録音は、そうないといってもいいほどだ。LP時代から聴き、そしてCD時代になっても、いささかもその価値は衰えることはない。録音時期は、1929年、1927年、1942年と今から90年近く前なのでさすがに音自体は今の録音とは比較にならないが、決して聴きづらくはないのが救われる。2人の巨匠が残したこの録音は、今聴いても、作品の真髄を余すところなく表現し、しかも聴くものに分りやすく、そして感銘を与えてくれる名盤中の名盤と言っても過言ではなかろう。もう、こんな凄いコンビは現れないのでは、と思わせるほどの名演奏を聴かせてくれるのだ。

 フランクのヴァイオリンソナタを弾くジャック・ティボーのヴァイオリンは、フランスの作曲家の作品とは思えないほどの、がっちりとした構成力を存分に見せ付ける演奏で、その堂々として、しかもゆったりとした弾きぶりは、これが真の巨匠の演奏だということの印象を深く刻み付けられる。第1楽章の出だしからして、静かな雰囲気の奥に佇む情緒を巧みに描ききる。第2楽章は、時に激しく、時に遠くを見通すようにゆっくりと、その交互に来る異なる曲想を見事に調和させている。第3楽章は、望郷の歌のような、なんとも懐かしい優雅なメロディーを、ティボーとコルトーは連綿と互いに弾き続け、時間の経過を忘れる程だ。そして第4楽章は、真正面から取り組んだ、あまたあるヴァイオリンソナタの中でも、最も感動的な曲といってもいいだろう。それをティボーのヴァイオリンとコルトーのピアノは、考えられる最上のデュオで、感動的に聴かせてくれる。脱帽!

 ドヴュッシーのヴァイオリンソナタは、フランクのヴァイオリンソナタとはがらりと趣が異なり、いかにもフランスのヴァイオリンソナタだということが、ティボーとコルトーのフランス人のコンビによって、はっきりと肌で感じ取れる演奏内容となっている。第1楽章は何とも洒落た感覚が横溢している演奏内容。第2楽章は、ヴァイオリンとピアノが互いに会話しながら、あたかも散歩をしているような気分で、いかにものんびりといった雰囲気。第3楽章は、感覚が研ぎ澄まされそうな、鋭敏な曲であるが、ティボーとコルトーは、ここでも絶妙のコンビぶりを存分に発揮し、聴くものにはっきりとその存在感を植えつける。名演奏家同士の掛け合いの凄さを見せ付けてくれる。

 フォーレのヴァイオリンソナタ第1番は、いかにもフォーレらしさに覆われたフランスのヴァイオリンソナタの傑作の一曲。第一楽章は、流れるように濃密な雰囲気を発散させながら、軽快に突き進むが、ティボーとコルトーは、互いの演奏を高めあいながら、徐々に気分を盛り上げていくところが、何ともただならぬ凄さを醸し出す。やはり巨匠同士の演奏なのだ。第2楽章は、ほの暗い情緒に包まれた、独特な雰囲気のある曲だが、ここでも2人の腕が冴える。第3楽章は、コケテッシュなヴァイオリンとピアノのやり取りが印象的だ。第4楽章は、これまでの暗中模索の流れを一挙に吹き飛ばすような、軽快そのもの曲想で、ティボー、コルトーのコンビは、なんと格調高く、優雅に演奏していることか。この楽章一つとっても、とても他の演奏家には歯が立たない。2人のコンビは、とてつもない名人技を聴かせてくれるのだ。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇塩川悠子&遠山慶子のモーツアルト:ヴァイオリンソナタ選集

2010-01-19 09:32:35 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

モーツアルト:ヴァイオリンソナタ第30番/第25番/第41番

ヴァイオリン:塩川悠子

ピアノ:遠山慶子

CD:カメラータ・トウキョウ 32CM-17

 今年に入った1月11日、日本を代表するピアニストの遠山慶子氏が、毎日芸術賞を受賞を受賞したというニュースが飛び込んできた。これは遠山慶子とウェルナー・ヒンクの新しいCDアルバム「モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ選集」が第51回毎日芸術賞(毎日新聞社主催)を受賞したというもの。以前、“ヒンク&遠山”のコンビによるシューベルトのソナチネを収めたアルバムを紹介したが、同じコンビで今度はモーツアルトを演奏したものだ。私は今回受賞したCDはまだ聴いてはいないが、同じコンビでのシューベルトのソナチネを演奏したCDを聴いているものとしては、むべなるかなという思いがする。そんなことで、“遠山慶子&モーツアルト:ヴァイオリンソナタ”ということを考えていたら、そうだ!大分前に“塩川悠子&遠山慶子”のコンビでモーツアルトのヴァイオリンソナタのCDを買ったことを思い出し、早速、引っ張り出して聴いてみることにした。

 この“塩川&遠山”が演奏したCDには、モーツアルトのヴァイオリンソナタの原点とも言うべき何かが隠されているのだ。というのは、モーツアルトのヴァイオリンソナタは、通常のヴァイオリンソナタとは異なり、ヴァイオリンとピアノが対等な立場で演奏されることが前提になっている。それどころか、「これはピアノソナタだ」という人がいるくらいピアノを前面に据えた曲なのだ。塩川のヴァイオリンは、実に的確にモーツアルトの優雅な旋律をつむいでいくが、その演奏は優美さの中に、一本線がピーんと張ったような小気味よさが何とも言えずいい。そして、ピアノの遠山の演奏は、実に恰幅良く、堂々と演奏されており、モーツアルトのヴァイオリンソナタの真髄をピアノ演奏の面で十二分に披露してくれている。この“塩川&遠山”のコンビによるモーツアルトのヴァイオリンソナタ集を聴いていると、この時代(1986年録音)に、日本人は既にクラシック音楽を完全に吸収し、世界レベルの演奏をしていたのだ、という思いがする。その意味でもこのCDは貴重な存在だ。

 ヴァイオリンの塩川悠子は、1946年6月東京に生まれる。1957年家族でペルーに移住。リマ交響楽団と共演し、コンサート活動をスタート。1965年メンデルスゾーン・コンクールで金賞を受賞する。これまで多くのオーケストラとの共演を行うほか、エディンバラ、ルツェルン、ロッケンハウス、サルツブルク、モント湖、リッチフィールド、マールボロなどの著名な音楽祭に出演。夫であるピアニストのアンドラーシュ・シフとの共演をはじめ、室内楽での演奏も積極的に手がけている。演奏活動は、世界的にわたっているが、日本へもしばしば帰国し演奏を行っている。CDもバッハの無伴奏ソナタとパルティータや今回取り上げた遠山慶子とのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタなどが有名。

 ピアノの遠山啓子は、1934年東京生まれ。ピアノは個人的レッスンを受け、1947年第1回全日本学生音楽コンクールで東日本大会一等に入賞する。1952年に、来日中のアルフレッド・コルトーの前で演奏し、即座に才能を認められ、1954年に渡仏。パリのエコールノルマル音楽院でコルトーに師事。1955年同音楽院を首席で卒業する。1956年には日本でのデビューを飾った。さらに再度渡仏し、1963年にパリで海外デビューを果たす。1978年、第5回日本ショパン協会賞受賞。また、ロン・ティボー国際コンクールおよびゲザ・アンダ国際コンクールの審査員も務める。草津国際音楽アカデミー&フェスティバル講師。そして今回、ウェルナー・ヒンク(ヴァイオリン)と録音を続けてきた「モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ選集」(全5枚)シリーズが第51回毎日芸術賞を受賞した。
(蔵 志津久) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇シゲティのベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ全曲ライブ録音盤

2009-12-22 09:33:22 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ全曲集(第1ー10番)

ヴァイオリン:ヨーゼフ・シゲティ

ピアノ:クラウディオ・アラウ

CD:VANGUARD CLASSICS OVC 8060-63

 ベートヴェンのヴァイオリンソナタ10曲は、ベートーヴェンの他の曲に比べて、そう肩肘を張らなくても聴ける、身近なベートーヴェンといった感覚の曲が多く含まれているので、馴染み深く、親しみが湧く。私にとって、第5番の“春”は、新春の最初に聴く曲と以前から決めている。つまり、ベートーヴェンの交響曲第9番“合唱”で年を越し、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番“春”で新年を迎えるのが、定番化しているのである。ベートーヴェンの他のジャンルの作品群、交響曲全曲、弦楽四重奏曲全曲、ピアノソナタ全曲などは、そう簡単に聴くというには少々気が引ける。これらのベートーヴェンの作品群は、裃を着て真剣勝負という雰囲気が常に付きまとう。これに対し、10曲のヴァイオリンソナタは、どことなくインティメイトな香りを漂わせているように感じられるのだ。もっとも、“クロイツェルソナタ”のような真剣勝負の曲も含まれてはいるのだが・・・。

 昔から、名ヴァイオリニストはベートーヴェンのヴァイオリンソナタを録音し、名盤も数多く残されている。今回のCDは、ヨーゼフ・シゲティが名ピアニストのクラウディオ・アラウとともに残したライブ録音盤の歴史的名盤である。つまり、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを語るなら、この録音は決して無視はできないという、貴重な録音である。これは、1944年初頭に米国ワシントン国会図書館で3日に分けて行われたベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全曲演奏会の実況録音である。残念ながら音響の状態は芳しいものではないので、万人に推薦するには気が引けるが、あまり録音状態に引き込まれず、演奏の本質を聴き取る境地に、既に達しているベテランのクラシック音楽リスナーには、必聴のCDであることは疑う余地はない。

 ここでのシゲティの演奏は、ライブ演奏特有の緊迫感が溢れるものになっていることに、まず圧倒される。60年以上経った今、このCDを聴いてもその迫力が身近に感じられるのである。何とも恐ろしい話だ。今、発売されているCDのほとんどはスタジオ録音なので、まず、その点だけでもこのCDの方が圧倒的に上を行っている。一曲一曲に込めたシゲティの集中力は強烈で、その存在感は他のヴァイオリニストを大きく引き離す。このため、普段は親しみのあるヴァイオリンソナタが、何か神々しくも感じられる曲に、その存在が一段も二段も格上げされたかのようにも感じられるのである。他のヴァイオリニストがヴァイオリンの美しい音色を強調するあまり、表現できなかった曲の奥深さを、シゲティはものの見事に表現しているということなのだろう。シゲティにとって、ヴァイオリンの美音なんてテンから興味がなかったのかもしれない。

 このCDは全部で4枚からなり1番から10番まで順番に収められているので、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全曲を聴くには最適なものとなっている。第1番からシゲティは全力投球で演奏している様がききとれるが、流れとしては、第9番の“クロイツェルソナタ”に向けて徐々に盛り上げているようにも受け取れる。第9番の演奏は、何かものにでも取り付かれたような弾きぶりが、強く印象付けられる。それに対し最後の第10番は、少し流して終わりの曲にしたという印象を受ける。ピアノ伴奏のクラウディオ・アラウもシゲティの迫力に押されたのか、いつもの悠然としたスケールの大きい演奏は影を潜め、鋭敏なピアノ伴奏に徹している。それにしても、ヴァイオリンの美音には一切無頓着でいて、聴いた後、圧倒的なヴァイオリン演奏の印象をリスナーに残すヴァイオリニストは、シゲティの前にも後にもいない。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽◇カントロフのドビュッシー/ラヴェル:ヴァイオリンソナタ他

2009-12-10 09:46:27 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ドビュッシー:ヴァイオリンソナタ

ラヴェル:ヴァイオリンソナタ/フォーレの名による子守唄/ツィガーヌ

ヴァイオリン:ジャン=ジャック・カントロフ

ピアノ:ジャック・ルヴィエ

CD:RVC R32E-506

 このCDは、ドビュッシーとラヴェルのヴァイオリンソナタを中心に収めてある。ドビュッシーもラヴェルも、これら2つのヴァイオリンソナタを聴くには、私は午後の昼下がりが一番ぴたりと馴染む。夜でもなく、朝でもない。ゆったりとしたときが流れ、その流れに沿って優美なヴァイオリンの音が柔らかな曲線を描いて進んでいくのだ。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタのように、深遠で、時には戦いが始まるような激しさは微塵もない。さりとてモーツアルトのヴァイオリンソナタやシューベルトのソナチネのような軽快さが支配する世界でもない。レースのカーテンが微風によって、音もなく空間を泳ぎ回る様子と似たような世界を、リスナーに楽しませてくれる。特にこのことが顕著なのがドビュッシーのヴァイオリンソナタで、ラヴェルのヴァイオリンソナタはというと、ドビュッシーよりもっと輪郭がはっきりとしているのが特徴だ。

 ヴァイオリンのジャン=ジャック・カントロフの演奏は、実に、繊細に、軽妙に演奏しており、この2曲を聴くには、理想的な演奏スタイルと言わざるをえない。特にピアノのジャック・ルヴィエとのコンビは絶妙といえる。やはり、この2曲のヴァイオリンソナタは、大上段に構えて弾くよりは、即興的で感覚を重視した演奏法が相応しい。一方、このCDに収められたラヴェルのツィガーヌなどは、逆に大上段に構えて、劇的に演奏した方が、メリハリが利いて強い印象を聴くものに与える。例えば、ジネット・ヌブーのような激しさ(あまり激しく弾くものだから、手から血が噴き出すほどだったという)でツィガーヌを弾くと、聴いた後のインパクトは相当強いものとなる。このCDでのカントロフの演奏は、ヴァイオリンソナタの場合と変わらず、優美に弾いており、迫力はもう一つという感もするが、首尾一貫した演奏スタイルは、ツィガーヌの別の一面を垣間見せてくれているようだ。

 私にとってドビュッシーもラヴェルも、これぞ西洋音楽の極みという思いが強いが、共に、1889年のパリ万博で演奏されたインドネシアのジャワ音楽(ガムラン)を聴き、以後の作曲に大きく影響を受けたのだ。つまり、二人の音楽は、西洋音楽の中にあって東洋音楽の要素を取り入れ、和音や旋律がエキゾチック仕上がっているのが大きな特徴といえる。何のことはない、我々東洋人がもともと持っている感性が、二人の曲には組み込まれているのである。西洋音楽の極みというより、西洋音楽と東洋音楽の美しい出逢いとでも言ったらよいのであろうか。ラヴェルに至っては、ジャズやブルースにも関心が強く、ヴァイオリンソナタの第二楽章は何故か「Blues」なのである。

 カントロフは、1945年にフランスのカンヌに生まれている。ニース音楽院を経てパリ音楽院に学んだ。これまでの主なコンクールでの受賞歴を見ると、1962年カール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールで第1位、1964年第11回パガニーニ国際コンクールで第1位、1967年第12回ロン=ティボー国際コンクールで第4位など、その実力が裏付けられる。パリ管弦楽団の首席コンサート・マスターも務めた。実に繊細で、豊かな感情表現に富んだヴァイオリン演奏を行うことでは、現在世界のトップクラスに位置づけられる演奏家だ。一方、ジャック・ルヴィエは、1947年生まれのフランスのピアニスト。パリ音楽院で学ぶ。1967年ヴィオッティ国際音楽コンクールおよびバルセロナ国際コンクールで第1位、1971年ロン=ティボー国際コンクールで第3位と多くの受賞歴を誇っている。1970年にカントロフらとピアノ三重奏団を結成しているだけに、このCDでのカントロフとの共演は、繊細で優美な点で両者は全く同質な側面を覗かせ、見事な演奏を披露している。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇漆原朝子のヴァイオリン小品集“Ave Maria”

2009-11-24 09:30:06 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

~ヴァイオリン小品集“Ave Maria”~

アヴェ・マリア(バッハ~グノー)/ロマンスop.94より(シューマン)/予言の鳥(同~アウワー編)/朝の歌op.15~第2番(エルガー)/愛のあいさつop.12(同)/ラ・カプリシューズop.17(同)/小舟で(ドビュッシー~ショアズネル編)/亜麻色の髪の乙女(同)/レントよりおそく(同)/ロマンスop.28(フォーレ)/子守歌op.16(同)/フォーレの名による子もり歌(ラヴェル)/子供の夢op.14(イザイ)/ロマンティックな子もり歌op.9(クライスラー)/美しきロスマリン(同)/マズルカop.81-1(シベリウス)/ロマンスop.78-2(同)/アヴェ・マリア(シューベルト~パールマン編)

ヴァイオリン:漆原朝子

ピアノ:ベリー・スナイダー

CD:ファンハウス FHCE-2025

 漆原朝子のヴァイオリン演奏は、派手さとか外見の見栄えばかりとは無縁の、爽やかさ、曲への深い洞察力や愛情に満ち溢れている。微妙なニュアンスの表現においても、決して神経質にならず、あくまで滑らかに、風の揺らぎが頬に当って心地よく感じられるような、澄んだ音色を自然な流れの中に身を置いて聴くことができる。これは、余程その曲の本質を捉え、その作曲家が何を表現したいのかを知り抜いていないと、到底できない業であろう。演奏技術は奥に控え、ヴァイオリンの持つ優美さや力強さを前面に押し出している。このアルバムでは、バッハ~グノーのアヴェ・マリアに始まり、シューベルト~パールマンのアヴェマリアで終わっているのを見ても分るが、単なるヴァイオリン曲の小品の寄せ集めではなく、一日の始まりが祈りで始まり、そして祈りで暮れていくような、そんなドラマ仕立てのような感じさえ受ける。

 実は私は漆原朝子のヴァイオリン演奏を1メートル先で聴いたことがある。これは東京・新宿の住友三角ビルの朝日カルチャーセンターで行われたレクチャーコンサートである。この日は野田清隆氏のピアノ伴奏でモーツアルトのヴァイオリンソナタK547とK481それにシューベルトの幻想曲を、漆原朝子のレクチャーを交えた演奏が行われたのである。私が印象に残ったには、曲の解説と演奏の間に行われた、体や息をどう捉え、それをどう演奏に反映させるのか、という話である。話というより、参加者全員が漆原朝子が先生役になり、体のバランスのとり方や呼吸の仕方の“特訓”を受けたのである。何故、ここでそんな話を出すかというと、演奏時の体の重心の置き方、呼吸の仕方そのものが、演奏の質に如何に大きな影響を及ぼすかが、私はそのとき初めて理解できたからだ。このCDの演奏でも、そのことを強く感じることができる。

 漆原朝子は、日本を代表する国際的ヴァイオリニストの一人である。東京芸大附属高校在学中に、第2回日本国際音楽コンクールにおいて最年少優勝並びに日本人作品最優秀演奏賞を受賞。その後、東京藝術大学に入学した翌年、文化庁芸術家在外研修員としてジュリアード音楽院に留学。1988年にNHK交響楽団定期演奏会公演でデビューしたのに続き、ニューヨークでもデビューリサイタルを行っている。1987年第4回アリオン賞、90年モービル音楽賞奨励賞などを受賞している。現在は東京藝術大学の准教授として後進の指導にも当っている。

 漆原朝子のこのヴァイオリン小品集のCDは、気軽にいつでも聴ける愛らしいものに仕上がっているが、私がこれは凄い録音だと感じているのは、シューマンの3つのヴァイオリンソナタと3つのロマンスを収めたCDである。これは02年6月19日に神戸新聞松方ホールでのライブ録音盤だ。ピアノ伴奏は同じくベリー・スナイダーである。ここでの漆原朝子の演奏は、完全にシューマンに同化し、シューマンのほの暗く、ロマンチックな情念といったものを、ものの見事に表現し切っている。シューマンのヴァイオリンソナタを、ここまで見事に弾き切った日本人ヴァイオリニストを私は知らない。漆原朝子のこれからの活躍が大いに期待される。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇デュメイ/ピリスのブラームス:ヴァイオリンソナタ全曲

2009-11-10 09:26:05 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ブラームス:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番/第3番

ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ

ピアノ:マリオ・ジョアオ・ピリス

CD:ポリドール(独グラモフォン) POCG-1618

 オーギュスタン・デュメイのバイオリンの音色は、聴けば聴くほど、とろけるほどまろやかで、さわやかな雰囲気に酔いしれることができるが、このCDでも、ピアノのピリスとの共演でその特徴を遺憾なく発揮して、あっという間にブラームスの3つのヴァイオリンソナタを聴き終えてしまう。第1番と第2番に比べ第3番は、デュメイの特徴にさらに深みが加わり、相性が良いピアノのピリスとのやり取りが、一層出来栄えを豊かのものにしている。このCDは1991年8月、ミュンヘンで録音されてもので、今から18年前の録音ということになる。デュメイ42歳のときであり、ヴァイオリニストとしての油の乗り切った演奏を聴くことができる。

 デュメイは、ヴァイオリニストとしてのほか、指揮者としても活躍しており、ベルギーのワロニー王立室内管弦楽団の首席指揮者に加え、08年秋からは関西フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任している。さらに2011年からは、関西フィルの音楽監督に就任し、今後、年3回来日するというから、これからはさらに一層、日本との関係が深いクラシック音楽家になっていくことになる。「関西フィルと欧州演奏旅行を行い、世界市場に向けてCDも発売したい」と語るなど意欲満々なので、これから指揮者としての腕も大いに楽しめそうだ。

 デュメイは、1949年にパリに生まれ、10歳でパリ音楽院に入学、13歳で同音楽院を卒業している。その後、アルテュール・グリュミオーと出会い、4年間ベルギーで師事している。要するに真性のフランコ・ベルギー楽派のヴァイオリニストなのだ。気品に富んだ美しいバイオリンの音色は、ここから来ていることが理解できる。デュメイで特筆すべきことが一つある。それは、デュメイほどの著名なヴァイオリニストなら国際コンクールでの入賞の経験があるはずだと思うが、ないのである。これはデュメイの考えで国際コンクールに参加しなかったのか、参加したが入賞できなかったのか(これはないと思う)、さらにはたまたま参加するチャンスに恵まれなかったのか、いずれかは私には分らない。

 ただ、「今のクラシック音楽界はあまりにも国際コンクールに傾斜しすぎているのではないか」ということを、デュメイが言いたいのではなかろうか、と私には思えてならない。国際コンクールに優勝したかどうかで、演奏家のギャラが跳ね上がったり、集客率が高まったりするものだから、ますます加熱する。こんなことは他のジャンルの音楽ではほとんどない。いい演奏かどうは聴衆が判断するから、コンクールに優勝したかどうかはあまり意味がないのである。ところが、クラシック音楽だけが違うのである。クラシック音楽のコンサートに来る聴衆は、自分の耳に自信がないからこんなことになるのであろうか、とひねくれ者の私は考えてしまう。自分にとっていい演奏だったら大いに拍手をし、いくら国際コンクールの優勝者の演奏だって、自分にとっていい演奏でなかったら、拍手はしないか、せいぜい付き合いの拍手を2、3回しておけばいいだけの話なのだ。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇前橋汀子 ベスト・コレクション~ヴァイオリン小品集~

2009-10-20 09:13:30 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

~前橋汀子 ベスト・セレクション~

クライスラー:プニャーニのスタイルによるアレグロ/エルガー:愛の挨拶/シューベルト(ヴェルヘルミ):アヴェ・マリア/ドヴォルザーク(クライスラー):スラヴ舞曲/チャイコフスキー:メロディー/パガニーニ(クライスラー):ラ・カンパネラ/メンデルスゾーン(クライスラー):五月のそよ風/ブラームス(ヨアヒム):ハンガリー舞曲第1番/マスネ(マルシック):タイスの瞑想曲/チャイコフスキー(プレス):感傷的なワルツ/プロコフィエフ(ハイフェッツ):「3つのオレンジへの恋」より行進曲/ラフマニノフ(プレス):ヴォカリーズ/ボッケリーニ:メヌエット/サン=サーンス:白鳥/シューベルト:セレナーデ/ドビュッシー(ハイフェッツ):美しき夕暮れ/ドボルザーク(クライスラー):わが母の教え給えし歌/ヴィターリ:シャコンヌ

ヴァイオリン:前橋汀子

ピアノ:前橋由子/若林 顕/東 誠三

CD:ソニー・ミュージック・ジャパン・インターナショナル SICC 10070

 このCDは、日本を代表するヴァイオリニストの前橋汀子が、1984年~2000年にかけて録音した「ヴァイオリン小品集100」(全6作)から選曲された18曲を収録したベスト盤である。これらの曲を見ると華やかな曲がちりばめられているので、ともするとムードに流れた、バックグランド音楽みたいな演奏の感じを受けるかもしれないが、前橋汀子がこれらのヴァイオリンの小品を弾くと、1曲1曲が実に滋味溢れた曲に変身し、何か曲の中にリスナーが引き込まれ、その曲が本来持っている魅力に改めて気が付かされるような気分になれる。

 実は、私は以前、ヴァイオリンというと直ぐグリュミオーを思い出し、その甘美なまでの美しい音色に慣れ親しんでしまい、それ以外のヴァイオリンの音色には拒否反応を起こしてしまうという状況にあった。いってみれば、フランコ・ベルギー楽派のあくまで、自然で合理的なボウイング、細かなニュアンス、美しい音色に魅せられていたのである。そのため前橋汀子の師であるシゲティのヴァイオリンの奏法などには抵抗感を抱いていた。しかし最近になってヴァイオリンの演奏を聴いてみると、シゲティの奏でる、ヴァイオリンの表面的な音色の美しさでなく、どちらかといえば荒削りではあるが、その曲の持つ本質を抉り出すような、滋味溢れた演奏に引き付けられるようになってきている。

 前橋汀子の演奏も、師のシゲティのように、ただ表面的な美しさを追求するのではなく、あくまでその曲の本質に迫り、その曲の持つ究極の美しさを我々リスナーに教えてくれる。その意味で、以前の私であったらなら前橋汀子の奏でるヴァイオリン演奏には惹かれなかったが、今ではこのCDを携帯音楽プレーヤーに入れ、時間があれば常に聴いている。もう何回聴いたか分らないほど聴いてきたこれらの曲が、また新しい魅力を持って私の前に現れてくれる喜びは大きい。ムード音楽的に聴ける演奏もそれはそれで気軽に聴けて楽しいものであるが、前橋汀子の演奏のように、滋味溢れる演奏で、しかも日本人でなければ出せない感性が、今の私とって何ものにも代えがたく、懐かしさで心が満たされる。ともすると無国籍の技巧第一主義がはびこる現在のクラシック音楽界で、前橋汀子の存在感は今後一層光を増すことになろう。

 前橋汀子は、あまりにも著名なヴァイオリニストなので、どのような経歴を持っているのか、これまで気にしてこなかった。そこでこのCDのライナーノートを参考に、経歴を整理してみたい。5歳から小野アンナにヴァイオリンを学び、桐朋学園高校では斉藤秀雄、ジャンヌ・イスナールなどに師事している。17歳で日本人としては初めて旧ソ連国立レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルグ音楽院)に留学する。その後、ニューヨーク・ジュリアード音楽院で学び、スイスではヨーゼフ・シゲティ、ナタン・ミルシュテインに薫陶を受けている。そして、レオポルド・ストコフスキーの指揮で、ニューヨーク・カーネギーホールで演奏会デビューを飾る。04年に日本芸術院賞を受賞。現在、大阪音楽大学教授として後進の指導にも当っている。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇漆原啓子の“マイ・フェヴァリット・メロディー”

2009-06-23 09:13:52 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

~マイ・フェヴァリット・メロディー~

バルトーク:ルーマニア民族舞曲
クライスラー:プニャーニのスタイルによる前奏曲とアレグロ/美しきロスマリン/ロンドンデリーの歌/ベートーベンの主題によるロンディーノ
パラディス:シティリアーノ
サラサーテ:序奏とタランテラ
ラフマニノフ:ヴォカリーズ
シンディング:アダージョ
シベリウス:ロンディーノ/ワルツ
ラフ:カヴァティ-ナ
エルガー:愛のあいさつ
 

バイオリン:漆原啓子

ピアノ:岩崎 淑

CD:フォンテック FOCD3114

 漆原啓子は、高校3年生の時(1981年)、第8回ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールにおいて最年少の18歳で日本人初の第1位を獲得した後、1988年にCD“ケイコ・ブリランテ”を発売したが、このCDを聴いたとき、その集中したバイオリン演奏に圧倒されたことを今でも思い出す。20歳前の女性がかくも曲に本質に迫り、物にとりつかれたように演奏するさまは、何か鳥肌でも立つような感覚に襲われ、そのとき以来、漆原啓子の名前を聞くと「只者のバイオリニストではない」という意識がこびり付くことになった。

 以前、CD“ケイコ・ブリランテ”を紹介したとき私は「その出来栄えは凄いの一言に尽きる。単に曲の表面をなぞるのではなく、内面からこみ上げてくるようなその曲への愛着感が、聴くものを感動させる。味覚でいえばコクのある味とでもいえようか、何度でも聴いても飽きない。さらにバイオリン小品集では欠かせない、小粋なセンスも持ち合わせている。漆原啓子がなぜこのような演奏ができるのか、不思議なような気もする。ウィニアフスキーとかチャイコフスキーは民族音楽との密着度が強い作風であり、こんな曲で、本場の人々をも一目置かせる演奏というのは、漆原啓子だけに与えられたものなのか」と書いた。

 そんなわけで1990年に録音された、この漆原啓子の多分2枚目のCDである“マイ・フェイヴァリット・メロディー”を購入したときは、こんなポピュラーな小品を一体どんな演奏をするのであろうかと、半分は期待、半分は不安(?)に駆られながら聴いた記憶がある。結果は見事肩透かしを食った感じで、“ケイコ・ブリランテ”で見せたようなあの鬼気迫るような演奏ぶりとは一線を画し、実にナイーブにこれらの小品を演奏しており、今度は半分は安心、半分は漆原啓子の持つ多様性を垣間見たような感じにさせてくれた。そして、今回、このCDを再び聴いてみると、一曲一曲を実に丁寧に細やかな神経で、情感たっぷりに弾き込み、滋味溢れる演奏に仕上がっていることを改めて感じることができたのだ。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする