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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ダニエル・ハーディング指揮サイトウ・キネン・オーケストラのR・シュトラウス:アルプス交響曲<ライヴ録音盤>

2018-10-09 09:34:54 | 交響曲

 

R・シュトラウス:アルプス交響曲

    夜
    日の出
    登り道
    森に入る
    小川に沿って歩む
    滝で
    幻影
    花咲く高原で
    牧場で
    茂みや藪で道に迷う
    氷河で
    危険な瞬間
    頂上で
    幻
    霧が立ち上る
    太陽が陰り始める
    悲歌
    嵐の前の静けさ
    雷雨と嵐、下山
    日没
    結尾
    夜

指揮:ダニエル・ハーディング

管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ

オーボエ:フィリップ・トーンドゥル
ホルン:ラデク・バボラク
トランペット:ガボール・タルコヴィ

録音:2012年8月23、25日、キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)<ライヴ録音>

CD:ユニバーサルミュージック UCCD51021

 指揮のダニエル・ハーディング(1975年生まれ)は、イギリス、オックスフォード出身。サイモン・ラトルのアシスタントを務め、1994年にバーミンガム市交響楽団を指揮してデビュー。これがクラウディオ・アバドに認められ、1996年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮する。同年には、最年少指揮者としてBBCプロムスにもデビューを果たす。2003年マーラー室内管弦楽団初代音楽監督就任。2004年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と初共演を行う。2002年シュヴァリエ勲章を受賞。2007年ロンドン交響楽団首席客演指揮者に就任。同年スウェーデン放送交響楽団音楽監督に就任。2016年パーヴォ・ヤルヴィの後任としてパリ管弦楽団音楽監督に就任した。このようにハーディングは、現在、世界の若手指揮者の中の旗手ともいうべき存在に成長を遂げている。日本とも関わりが深く、1993年タングルウッド音楽祭で小沢征爾に師事したほか、2012年軽井沢大賀ホール初代芸術監督に就任、さらに2011年~2016年新日本フィルハーモニー交響楽団のミュージック・パートナーを務めた。

 サイトウ・キネン・オーケストラは、長野県松本市で毎年8、9月に開かれる「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(旧称:サイトウ・キネン・フェスティバル松本)」で編成されるオーケストラで、公益財団法人サイトウ・キネン財団が運営に当たっている。 桐朋学園創立者の一人である斎藤秀雄の没後10年に当たる1984年、斎藤の弟子の小澤征爾と秋山和慶を中心に、国内外で活躍する斎藤の教え子たちが結集し、同年9月に東京と大阪で開かれた「斎藤秀雄メモリアル・コンサート」で特別編成された桐朋学園斎藤秀雄メモリアル・オーケストラがその母体。設立当初は小澤・秋山の意思に共感した斎藤の門下生100名以上が国内外より集まり演奏会を開催。1992年9月に長野県松本市で「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が開催され、以後同フェスティバルに合わせてオペラ・声楽曲の上演、シンフォニーコンサート、音楽塾を開催するほか、東京でもコンサート活動を行っている。世界的にも高い評価を受けているオーケストラで、2008年グラモフォン誌による「世界のトップ20オーケストラランキング」で19位(日本から唯一の選出)に選出された実績を持つ。 年度ごとに編成されるオーケストラのため、各パートのメンバーは不定期出演。指揮は、小澤征爾(総監督)のほか、秋山和慶、飯守泰次郎、下野竜也がその都度担当している。

 R・シュトラウスのアルプス交響曲op.64は、1915年に完成した単一楽章の交響曲である。 初演は、1915年10月28日、ベルリン、フィルハーモニーでR・シュトラウスの指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏で行われた。交響曲とはなっているが、実質的には22からなる連作交響詩と言ってもいい内容となっている。R・シュトラウスが若い時に登ったドイツ・アルプスのツークシュピッツェの印象をもとに作曲された作品で、全部で22の場面の情景が描かれている。R・シュトラウスといえば、交響詩については名作を多く遺しており、この得意の手法を基に新たな交響曲をつくり上げようといと意図したもののようだ。22の表題の曲が流れるように進む展開は、リスナーとっては、自分がアルプス山脈を走破する気分でこの曲を鑑賞でききるわけで、特に山が好きなリスナーにとってはこの上ない快適な音楽に違いない。22の各部分は、切れ目なく演奏される。第1曲目の「夜」は、冒頭のゆっくりとした下降音型の夜の動機から始まり、トロンボーンが示す山の動機が荘重に響き渡る。そして、最後は、さまざまな動機が懐かしむように回想される第21曲目の「結尾」を経て、第1曲目の「夜」と同じ「夜」を表現する第22曲目でこの交響曲は終わる。これほど赤裸々に自然のありのままの姿を表現する音楽を聴き終えると、何とも言えない爽快感が感じられる。

 このCDは、長野県松本市で行われた2012年の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」のライヴ録音盤である。ちょうど20周年という記念の年に当たっていたため一層の盛り上がりを見せたが、残念ながら小澤征爾総監督は健康上の理由で指揮をすることはなかった。代わって指揮をしたのが、ダニエル・ハーディングであった。サイトウ・キネン・オーケストラは、常設のオーケストラとは異なり、音楽祭の度にメンバーが変わる。このハンディをこれまで小澤征爾総監督の手腕で最高の演奏へとまとめ上げてきたのである。そうなると、ダニエル・ハーディングが、この個性の強いサイトウ・キネン・オーケストラの団員をまとめ上げることができるのか、という一抹の不安が頭をもたげる。ところが、このCDを聴き始めると、その不安は徐々に一掃されることに気付く。私は、これまで何度もアルプス交響曲の演奏を聴いてきたが、これほど感動的な演奏を滅多に聴いたことはない。オーケストラメンバー一人一人の熱気が、火の玉のようになって演奏会場を覆い尽くす。単にスケールの大きい表現と言ったような月並みの演奏内容でなく、指揮者とオーケストラのメンバーが一体となり、神々しいアルプス山脈の細部にわたり、ある時は力強く、ある時は清々しくも、あくまで大らかに表現し尽くすのである。特に、第18曲:嵐の前の静けさ、や第19曲:雷雨と嵐、下山などは、手に汗をかきながら聴く有様。一人一人の楽団員から自然に湧き上がる自然への讃歌が、輝かしくも会場全体に響き渡る様子が生き生きと聴き取れる。全ての歯車が十二分にかみ合った演奏とはこういうものかと感じ入った次第である。サイトウ・キネン・オーケストラ、そしてダニエル・ハーディングの実力や恐るべし。(蔵 志津久)

 

 

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◇クラシック音楽CD◇エリアフ・インバル指揮ベルリン放送交響楽団のリスト:ファウスト交響曲

2018-05-15 09:36:47 | 交響曲

 

リスト:ファウスト交響曲

      第1楽章 ファウスト 
            第2楽章 グレートヒェン 
            第3楽章 メフィストフェレス

指揮:エリアフ・インバル

管弦楽:ベルリン放送交響楽団

テノール:ジャニー・ツァン

合唱指揮:ディートリヒ・クノーテ

合唱:ベルリン放送合唱団

CD:コロムビアミュージックエンタテインメント COCO-73007

 リストの名を聞くと直ぐに思い浮かべるのが、「前奏曲」を代表曲とする交響詩、ピアノ協奏曲第1番~第3番、「パガニーニによる大練習曲 」「巡礼の年」「ハンガリー狂詩曲」などのピアノ独奏曲であろう。これらのいずれもが、演奏効果の上がる外面的に華やかで名人芸的な要素を持った作品群であり、それによって知らず知らずのうちに我々の中にリスト像が形づくられることになる。このほか、リストは2曲の交響曲も遺している。この2曲の交響曲とは、3人の人物描写によるファウスト交響曲とダンテの神曲によるダンテ交響曲の2つの作品だ。今回のCDはファウスト交響曲であるが、この曲は、我々が常日頃抱いているリスト像からかなりかけ離れたところにある。構成力は堂々としており、いたずらに名人芸を追い求めるようなことはない。むしろ内面の精神世界を重視するような面が強い作品なのだ。そんなところから、このファウスト交響曲は、我々が抱いている既成のリスト像を根本から崩すことにもなりかねない、ある意味で厄介な曲とも言える。このことが原因なのかどうかは分からないが、現在、演奏会で「ファウスト交響曲」が取り上げられることはあまりなく、結果として知名度も高くない、という悪循環に陥ってしまっている。何とももったいない話ではある。

 このCDで指揮をしているのが、イスラエル、エルサレム出身のエリアフ・インバル(1936年生れ)である。地元の音楽アカデミーでヴァイオリンを学んだ後、レナード・バーンスタインの推薦によって奨学金を得て、パリ音楽院なので学ぶ。1963年「グイード・カンテルリ指揮者コンクール」で第1位を獲得し、一躍世界的な注目を浴び、以後各国の主要オーケストラと共演を行う。1974年~1989年フランクフルト放送交響楽団の音楽監督を務め、この間、同楽団を世界の一流レベルに押し上げ、黄金時代を築く。その後、ベルリン交響楽団(現ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)の音楽監督(2001年~2006年)、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(2009年~2012年)を歴任。1970年代から、日本においては東京都交響楽団と強い結びつきを保ち、1991年の初登壇以後、特別客演指揮者(1995年~2000年)、プリンシパル・コンダクター(2008年~2014年)を務めたのち、2014年から桂冠指揮者となり、現在に至っている。マーラーの交響曲を得意とし、全集も録音している。東京都交響楽団とは、ニ度のマーラーの全交響曲演奏会を開催。レパートリーは、古典から近現代に至るまで幅広い。

 リストのファウスト交響曲の「ファウスト」とは、ドイツを代表する文豪ゲーテの畢生の大作・戯曲「ファウスト」のことである。この「ファウスト」は、15世紀~16世紀に実在したといわれているファウスト博士の伝説が基となっている。全体はプロローグ、第一部、第二部からなり、一部の発表から二部の完成まで25年もの期間をかけた大作。<プロローグ>悪魔メフィストフェレスが神に「ファウストを誘惑しても良いか」と尋ねる。神は「人はまどいつつも正しい道を忘れはしないものだ」と言ってメフィストにファウストを誘惑する許可を与える。<第一部>老学者ファウストは、あらゆる学問を極めつくしていたが結局「我々は何も知ることができない」と失望する。自殺を企てるが、思いとどまる。悪魔メフィストフェレスが彼に近づき、この結果ファウストとメフィストは契約を結ぶ。メフィストによって20代の青年に若返ったファウストは、グレートヒェンに一目惚れする。彼女は身も心もファウストに捧げるが、逢い引きするために母に飲ませた睡眠薬の分量を誤り、母を死なせてしまう。<第二部>神聖ローマ皇帝の城。メフィストが新しい金融システムを帝国議会に吹き込み、破綻しかけていた財政問題は解決する。報酬として海岸沿いの土地を得る。そして、この土地の干拓事業に乗り出す。事業はほぼ成功したかに見えるが、老夫婦を立ち退かせるのに失敗して、殺してしまう。建築工事のつるはしの音に聞こえるのは実は彼の墓を掘る音であるが、彼は仲間のために働くという最高の幸福を予感して、「瞬間よ止まれ、汝は美しい」と言う。たちまちメフィストとの契約が遂行され、彼は死ぬ。そして、かつてグレートヒェンと呼ばれた少女の霊の取りなしによって、天高く上ってゆく。

 このようなストーリーを持つ「ファウスト」であるが、ストーリー自体が重要ではなく、悪魔メフィストとファウストのやり取り自体が重要なのである。つまり、悪魔メフィストの方がむしろ良識的であることがある、といった価値観の転倒が次々に起きることに、「ファウスト」の真の価値が存在すると言われている。リストのファウスト交響曲は、「ファウスト」に登場するファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレスの3人の描写がそれぞれ第1楽章、第2楽章、第3楽章に割り当てられている。インバルの指揮は、これらの3人の性格をそれぞれ明確に表現し切った棒捌きで、58分の長大な曲でありながら、リスナーを全く飽きさせない見事なもの。第1楽章の「ファウスト」は、主人公であるファウストの前に次々に現れる難題に、ファウストが悩みながら立ち向かい、苦境を克服していく様が、インバルのメリハリのある指揮で詳細に語られる。堂々とした男性的な息づかいが聞えてくるような力強い演奏が印象的。第2楽章の「グレートヒェン」に入ると、一転して繊細で愛情あふれた女性的なメロディーが全体を通して美しく歌われる。グレートヒェンの優雅で慎ましい振る舞いが、自然にリスナーの目の前に現れてくるような演奏内容に納得させられる。そして最後の第3楽章の「メフィストフェレス」の演奏に入ると、如何にも悪魔らしい舞いをこれでもかとばかり表現して、オーケストラの持つ魅力を十二分に発散させる。そして最後は、ベートーヴェンの「第九」やマーラーの交響曲のように、合唱を伴ったテノールの独唱で締めくくられる。それにしても、このリストの大作、ファウスト交響曲が、現在演奏会であまり取り上げられないのは、全く納得がいかない話ではある。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ブルックナーと同郷のフランツ・ウェルザー=メストがロンドン・フィルを指揮したブルックナー:交響曲第7番

2018-04-10 11:05:11 | 交響曲

ブルックナー:交響曲第7番(ノーヴァク版)

指揮:フランツ・ウェルザー=メスト

管弦楽:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ワーナー・クラシックス WPCS‐28001

 指揮のフランツ・ウェルザー=メスト(1960年生れ)は、オーストリア、リンツ出身。ミュンヘン音楽大学で学ぶ。1979年「カラヤン国際指揮者コンクール」で参加者中最年少でありながらセミ・ファイナリストの一人に選ばれる。その後、スウェーデンのノールショピング交響楽団の首席指揮者に就任して、指揮者としての本格的キャリアをスタートさせる。1990年ロンドン・フィルの音楽監督に就任し、1992年にはロンドン・フィルとともに初来日を果たす。1995年チューリッヒ歌劇場の音楽監督に就任し、同歌劇場の知名度を飛躍的に高めた。1998年ウィーン・フィルの定期公演へのデビューを果たす。2002年クリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任。そして、2010年小澤征爾の後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、カラヤン以来約半世紀ぶりに地元オーストリア人の監督職就任として話題を集めた。2011年と2013年にはウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」を指揮。2014年総監督との意見の対立からウィーン国立歌劇場音楽監督を辞任。現在はクリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めている。

 ブルックナーの交響曲第7番は、第4番と並んで人気が高い曲である。1881年作曲が開始されたが、第2楽章の執筆中に尊敬するワーグナーが危篤となり、ブルックナーは「ワーグナーの死を予感しながら」書き進めたという。そして1883年2月13日にワーグナーが死去すると、その悲しみの中でコーダを付加し、ワーグナーのための“葬送音楽”と名付けた。そして、1883年9月5日に全4楽章が完成する。初演は1884年12月30日、アルトゥル・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によりライプツィヒ歌劇場で行われたが、ここで大きな成功を収めた。ブルックナーの交響曲は深遠で、しかも高度な演奏技術を要することから、初演時には正しく評価されない場合が多いいが、この交響曲第7番だけは例外で、初演時から高い評価を得ることができたという。編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ワグナーチューバ4(テノール2とバス2)、コントラバス・チューバ、ティンパニ、シンバル、トライアングル、弦五部からなる。

 ブルックナー:交響曲第7番の第1楽章は、アレグロ・モデラート。冒頭、チェロとホルンによって、柔らかな第1主題が奏でられる。第2主題は木管楽器の愁いを帯びたメロディーが印象的。第2楽章は、アダージョ。「非常に荘厳に、かつ、ゆっくりと」という指示が書かれている。ホルン奏者が吹奏する4本のワグナーチューバが加わり、ワグナーへの追悼の音楽が静かに演奏される。この2つの楽章でのフランツ・ウェルザー=メストの指揮ぶりは、あくまでロンドン・フィルの自発的な演奏に身を任すように、自然体で臨む。繊細な演奏であるが、決して冷たくならず、暖かみがそこはかとなく滲みだすような演奏内容となっている。特に、ワグナーの死を悼み、ブルックナーが悲しみ振り絞るように作曲したという第2楽章は、フランツ・ウェルザー=メストとロンドン・フィルが完全に一体化し、ブルックナーの心情に思いを馳せるかのようにしみじみとしたその演奏内容は、リスナーの胸に深く、ぐさりと突き刺さるようだ。そして、死者の冥福を祈るように第2楽章の終わりを迎える。

 第3楽章は、スケルツォ。“非常に速く”の速度標語がある三部形式。中間部のヘ長調のどかな曲想を挟み、如何にもブルックナーのスケルツォらしい、男性的で野性味たっぷりの雰囲気にあふれている。フィナーレの第4楽章は、“運動的に、あまり速くなく”と表記された自由なソナタ形式で書かれており、3つの主題を持つ。他のブルックナーの交響曲の終楽章に比べて、軽快な親しみやすさにあふれている。この辺が、第7番が初演の時に好評を得た理由なのかもしれない。一般のリスナーにとっては、ブルックナーの交響曲は、あまりにも巨大で、深遠過ぎる印象がするのだから。この2つの楽章でのフランツ・ウェルザー=メストの指揮は、前の2つの楽章とはがらりと様相を変え、ロンドン・フィルをぐいぐいと引っ張り、巨匠的な演奏を存分に聴かせる。我々がブルックナーの交響曲に抱く印象そのままに、スケールの大きな音の伽藍を、リスナーの目の前に聳え立たせる。このCDを聴けば分かることだが、フランツ・ウェルザー=メストのブルックナーの指揮には、少しの不自然さがない。すべてが自然の流れの中で奏でられる。これはフランツ・ウェルザー=メストが、ブルックナーの生地に近いリンツの出身であることが、大いに関わっていることは疑いの余地がないことだ。
(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団のメンデルスゾーン:交響曲全集 (第1番~第5番)

2017-11-07 07:29:38 | 交響曲

メンデルスゾーン:交響曲全集(第1番~第5番)

     <DISC1>メンデルスゾーン:交響曲第1番/第5番「宗教改革」
     <DISC2>メンデルスゾーン:交響曲第2番「讃歌」
     <DISC3>メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」/交響曲第4番「イタリア」

指揮:クラウディオ・アバド

管弦楽:ロンドン交響楽団

ソプラノ:エリザベス・コンネル
ソプラノ:カリータ・マッティラ
テノール:ハンス・ペーター・ブロッホヴィッツ

合唱指揮:ジョン・アレイ

合唱:ロンドン交響合唱団

CD:ユニバーサルミュージック UCCG‐4326~8(3枚組)

 この3枚組のCDは、メンデルゾーンの交響曲の第1番から第5番までを、クラウディオ・アバドの指揮、ロンドン交響楽団の演奏で聴くことのできる、クラシック音楽ファンにとってはまたとないアルバムである。メンデルゾーンの交響曲というと第3番の「スコットランド」と第4番の「イタリア」の2曲が突出していて、コンサートやFM放送などでしばしば演奏される。ところが残りの3曲はというと、あまり聴く機会に恵まれない。第5番の「宗教改革」はともかくとして、交響曲第1番と交響曲第2番「讃歌」に至っては、「果たしてどういう曲だったか?」と考え込んでしまうクラシック音楽ファンも少なくないと思われる。どうしてこのようなことになってしまったのか、よくは分からないのであるが、次のような推測が成り立つかもしれない。第1番は愛称も付けられていない上に、交響曲に熟達してない時期の若書きの作品ではないのか、という誤解。第2番の「讃歌」は声楽付きでしかも演奏時間が1時間10分を超えるという長大な曲なので、そう滅多に演奏されることがなく、そうなると曲への愛着が深まることはない。ところがこの2曲をよく聴いてみると、第3番「スコットランド」や交響曲第4番「イタリア」に比べても魅力は失せない。それどころか第1番の持つ瑞々しさは魅了十分だし、第2番「讃歌」に至っては、メンデルスゾーンの「第九」とでも言ってもいいような壮大な作品(メンデルスゾーンはこの曲は交響カンタータだと語っている)に仕上がっている。実は、メンデルスゾーンは、これら5曲の交響曲を作曲する前に、既に交響曲に相当する12曲のシンフォニア(弦楽のための交響曲)を書き上げている。だから、第1番といえども決して若書きの作品ではないのである。

 交響曲第1番は、メンデルスゾーンが15歳の1824年に書かれた、フルオーケストラを用いた作品である。この作品は実験的な要素も見受けられるが、如何にも若者らしい素直な息吹が感じられる。第3楽章には八重奏曲の第3楽章スケルツォを管弦楽編曲したものを代用している。この曲は成功を収め、メンデルスゾーンの名声の礎を築くことになる。続く第2番は、2部形式をとっており、第1部は3つの楽章からなり、第4楽章に当たる第2部は独唱と合唱付きで、あたかもベートーヴェンの「第九」を思い起こさせる作品。この曲は「讃歌」と銘打たれており、ライプツィヒにおける印刷技術発明400周年を祝して書かれたもの。合唱における歌詞は、作曲者自ら聖書から選んだ9つの部分に讃美歌「今やみなは神に感謝するだろう」が続く。この合唱交響曲についてメンデルスゾーンは「交響カンタータ」と呼んでいたという。メンデルスゾーンの傑作の一つとして、もっと演奏されて然るべき作品である。第3番「スコットランド」は、メンデルスゾーン33歳、1842年に作曲された。メンデルスゾーンの場合、交響曲の番号と作曲時期が一致せず、これが最後の交響曲となった作品。スコットランドを旅行した印象をもとに書かれた作品で、書き始めてから13年近くたって完成し、4つの楽章が切れ目なく演奏される。この曲はヴィクトリア女王に献呈された。第4番「イタリア」は、イタリア旅行中に受けた印象を基に作曲した作品。帰国してからしばらくした、1833年に完成し、5月にロンドンで初演された。交響曲第5番「宗教改革」は、ルター派プロレスタントによる宗教改革における1530年の「アウグスブルク信仰告白」を記念する300周年の祝典のために作曲された。。初演は1832年で、第2番、第3番、第4番より先に作曲された作品。メンデルスゾーンはこの曲の出来に満足せず、総譜の出版を認めなかったという。このときメンデルスゾーン20歳なったばかりであり、若さゆえの躊躇があったのだろう。

 指揮のクラウディオ・アバド(1933年-2014年)は、イタリア、ミラノ出身。ヴェルディ音楽院を経て、ウィーン音楽院で指揮を学ぶ。1959年に指揮者デビューを果たした後、カラヤンに注目されてザルツブルク音楽祭にデビュー。1968年にミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年には音楽監督、1977年には芸術監督に就任。その後、1979年ロンドン交響楽団の首席指揮者、1983年同楽団の音楽監督に就任。ここにおいてこのコンビは黄金期を迎える。1986年ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任し、レパートリー拡充に尽力。この時期、ウィーン・フィルとの共演が増え、ベートーヴェンの交響曲全集など数々のレコーディングを行うが、その後辞任。1990年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就任し、名実共に現代最高の指揮者としての地位を確立する。在任期間中ベルリン・フィルとの録音として、ベートーヴェン交響曲全集(2回目・3回目)や、ヴェルディのレクイエム、マーラーの交響曲第7番・第9番、ワーグナー管弦楽曲集などがある。2000年に胃癌で倒れ、以後の活動が懸念されたが、その後一時回復し、ベルリン・フィル辞任後も新たな指揮者活動を続けた。2003年以降はルツェルン祝祭管弦楽団などや、自身が組織した若手中心のオーケストラ(マーラー室内管弦楽団、モーツァルト管弦楽団等)と活動。予定されていた来日演奏会が突如キャンセルされた後の2014年1月20日、胃癌により80年の生涯を閉じた。

 このCDにおいて、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団の名コンビは、隅々にまで神経が行き届いた、ダイナミック感溢れる比類ない名演奏を聴かせてくれる。交響曲第1番においては、若々しいメンデルスゾーンの息吹が感じられるような躍動感ある演奏内容を披露する。がっしりとした形式美を最大限発揮し、この曲の魅力を余すところなく引き出すことに成功したと言ってよかろう。特に力強い響きが印象に残る。第5番「宗教改革」は第2番、第3番、第4番より先に作曲された作品であるが、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団のコンビは、深遠な曲の雰囲気を最大限に表現し、立体感溢れる作品として描き出し、聴き応えあるものに仕上げた。メンデルスゾーンはこの曲の出来に満足せず、総譜の出版を認めなかったというが、そんなことを微塵も感じさせない、圧倒するような音づくりはみごとというほかない。交響曲第2番「讃歌」は、第4楽章に当たる第2部が独唱と合唱付きで、あたかもベートーヴェンの「第九」を思い起こさせる作品。クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団は、徐々に曲を盛り上げて行き、総力で第2部の独唱・合唱を演じ切る。その高揚感溢れる演奏内容は、ベートーヴェンの「第九」の再現と言っても言い過ぎでないほどの熱演に圧倒される思いがする。交響曲第3番「スコットランド」は、それまでの演奏内容とはがらりと変わり、静寂さに溢れる演奏を聴かせる。印象派の絵画のような微妙な光の輝きが全体を覆い尽くすような演奏内容で、そこには思索にふけっているメンデルスゾーンが佇んでいる。私はこんな詩的で哲学的な「スコットランド」をこれまで聴いたことがない。最後の交響曲第4番「イタリア」は、がらりと変わり、明るい「イタリア」がくっきりと浮かび上がる。アバドは、イタリア人なので共感を覚えるのであろうか。そのきらきらとした輝かしい響きは、リスナーの心の底に響き渡る。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ヨン・ストゥールゴールズ指揮BBCフィルハーモニックのニールセン:交響曲全集

2017-05-09 08:20:38 | 交響曲

<ニールセン交響曲全集>

ニールセン:交響曲第1番
      交響曲第2番「4つの気質」
      交響曲第3番「おおらかな交響曲」
      交響曲第4番「不滅」
      交響曲第5番
      交響曲第6番「素朴な交響曲」

指揮:ヨン・ストゥールゴールズ

管弦楽:BBCフィルハーモニック

ソプラノ:ジリアン・キース(交響曲第3番)
バリトン:マーク・ストーン(交響曲第3番)
ティンパニ:ポール・ターナー、ゲライント・ダニエル(交響曲第4番)
クラリネット:ジョン・ブラッドベリー(交響曲第5番)
サイド・ドラム:ポール・パトリック(交響曲第5番)

CD:Chandos Records CHAN 10859(3枚組)

 このCDは、ニールセンの交響曲全6曲を3枚に収録したアルバムである。カール・ニールセン(1865年―1931年、ニルセンとも表記)は、デンマークの作曲家。同国を代表する作曲家としてだけではなく、北欧の重要な交響曲作曲家の一人に数えられる。フィンランドの大作曲家のシベリウス(1865年―1957年)と同じ年に生まれたが、シベリウスは後半生は作曲活動から遠ざかったので、二人の作曲活動時期はほぼ重なる。また、交響曲の作品数もシベリウスが7曲であるのに対して、ニールセンは生涯で6曲の交響曲を遺した。このほかニールセンは、3つの協奏曲、管弦楽曲、オペラ、室内楽曲、歌曲、合唱曲を数多く遺している。ニールセンは、1884年王立コペンハーゲン音楽院に入学し、作曲などを学ぶ。卒業後の1888年「弦楽四重奏曲第1番」「弦楽五重奏曲」「弦楽のための小組曲」などの作品を発表。1892年交響曲第1番を完成させ、作曲家として活動を開始した。そして作曲家としての名声を得た後、王立コペンハーゲン音楽院の院長に就任している。

 BBCフィルハーモニックは、1926年に設立された、英国マンチェスターを本拠地とする英国放送協会(BBC)傘下のオーケストラ。現在の楽団名になったのは1991年。2002年からはイタリア出身の指揮者ジャナンドレア・ノセダが首席指揮者を務めた。2011年には後任のファンホ・メナが就任、ノセダは桂冠指揮者となっている。このBBCフィルハーモニックの首席客演指揮者を務めるのがフィンランド出身のヨン・ストゥールゴールズ。2014年~2015年に発売された「シベリウス:交響曲全集」とこの「ニールセン:交響曲全集」の2つの“生誕150周年記念盤”の世界的ヒットによってヨン・ストゥールゴールズは一躍脚光を浴びる指揮者となった。ヨン・ストゥールゴールズは、ニールセン150周年に向けて、BBC3やブリッジウォーター・ホール、「ニールセン&シベリウス音楽祭」などでの演奏の実績を積み重ねた上でのニールセン:交響曲全集の録音(2012年―2015年)だけに、ニールセンへの深い愛着に満ちたものへと結実しており、万人を納得させるだけの説得力の強い演奏内容に仕上がっている。

 交響曲第1番 は、4楽章からなる爽やかで牧歌的な若き日の力作となっている。形式的には古典的なスタイルに拠っているが唐突かつ頻繁な転調を伴う独特な和声進行や半音階的な旋律に作曲者独特の音楽語法が表れている。この交響曲第1番から交響曲第4番の冒頭は、全てティンパニーの一撃で始まるというニールセン独特の始まり方が印象的。初演は1894年3月14日にコペンハーゲンの王立劇場において行われ、好評を博した。交響曲第2番 「四つの気質」は、人間の四つの気質をテーマにした古い木版画にインスピレーションを得て作曲されたと言われている。交響曲第3番 「大らかな交響曲」は、壮大で牧歌的な曲で、第2楽章のバリトンとソプラノのヴォカリーズの美しい響きが印象的。

 交響曲第4番 「不滅」は、6曲中最も有名な曲であり、単一楽章からなる交響曲。第一次世界大戦中の暗い時代に書かれた作品で、ニールセンは「これはもし誰かが作品の内容について尋ねたら、戦争のようなものと言ってよい」(新田ユリ著「ポポヨラの調べ」五月書房刊)と語ったという。交響曲第5番は、完成度の高い交響曲。第1楽章の最後の部分のスネア・ドラムのアドリブ部では、舞台下手側で叩いていた奏者が、舞台上手奥に移動して徐々に遠ざかっていく細かい演出も含まれている。交響曲第6番は、 「素朴な交響曲(シンフォニア・センプリーチェ)」と名付けられてはいるが、その内容は容易に捉えがたい。 

 これらのニールセン:交響曲全集を収録したヨン・ストゥールゴールズ指揮BBCフィルハーモニックのCDの演奏は、ニールセンの作曲の意図を明快に読み取り、分かりやすい形でリスナーに送り届けてくれる。少しの曖昧さもなく、柔らかく、暖かい音色は何とも聴いていて心地良い。ニールセンの交響曲は、我々にとってはシベリウスの交響曲ほど身近ではないが、この全集を聴くことによって、ニールセンの交響曲への親しみが深まるのではないだろうか。有名な第4番 「不滅」や完成度の高い第5番のほかにも、ソプラノとバリトンの歌声が美しい第3番、そして若々しい息吹が感じられる第1番などが聴き応えがある。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇追悼 ロリン・マゼール&ベルリン・フィルのブルックナー:交響曲第7番/第8番

2014-08-12 10:49:01 | 交響曲

ブルックナー:交響曲第7番/第8番

指揮:ロリン・マゼール

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:EMIミュージック・ジャパン QIAG50068~69  

 クラシック音楽界の巨匠であり、世界的指揮者のロリン・マゼールが2014年7月13日、肺炎による合併症のため死去した。84歳であった。昔懐かしく想い出す巨匠たちの中で、最後まで現役で指揮していたのがマゼールであった。これで一つの時代が過ぎ去ったという思いが強くする。私が、最後にマゼールの指揮を聴いたのは、2013年4月13日、会場は、サントリーホールであった。曲目はベートーヴェン:序曲「コリオラン」/交響曲第4番/交響曲第7番の3曲で、オーケストラは、ミュンヘン・フィル。何故、ミュンヘン・フィルなのかというと、マゼールは、ティーレマンの後任として、2012年にミュンヘン・フィルの首席指揮者に就任したからだ。この辺にマゼールの人柄が滲み出ていると思う。既に世界のクラシック音楽界の頂点にいる巨匠が、空白の席を埋めるために首席指揮者を引き受けるということは常識的には考えにくい。マゼールが真に音楽を愛していたからこそ、求められれば歳や地位などなど関係なく応じたのであろう。マゼールはその昔、カラヤンの後任を探していたベルリン・フィルの音楽監督に就任が確実視されていたが、いざ蓋を開けたらクラウディオ・アバドが音楽監督の座を得たのだった。当時、マゼールの落胆ぶりはかなりのものだったという。そんなことも、マゼールのその後の音楽人生に何らかの影響を及ぼすことになったと思う。カラヤンが華やかな道を歩んだのに対し、マゼールの道は、その実力の割には、どことなく陰が付きまとっていたようにも感じられるのである。

 私が、最後にマゼールの指揮を聴いた時に書いた文章があるので、マゼールへの哀悼の意味を込めて、再度掲載させていただくことにする。「演奏会が始まり、序曲『コリオラン』、そして交響曲第4番の第1楽章、第2楽章の順番で、この新コンビの音がサントリーホールに響きわたり始めた、が・・・、どうも、これがあの若い頃、才気あふれる指揮ぶりで世界に名を轟かせたマゼールの指揮かな?と思わせるような平凡な演奏に終始したので、がっかりとすると同時に、春眠暁を覚えずではないが、不覚にも、うとうとしてしまった。天下のマゼールも寄る年波には勝てないのか、というような不遜な考えが時折、頭をもたげながら。オーケストラのコンサートは、通常、夜の7時スタートが多いいが、この日のコンサートだけは、土曜日なので午後の1時にスタートであった。ということは、その日の指揮者もオーケストラも、スタートから直ぐにエンジン全開とは行かなかったのではないか、ということに後で気が付いた。この推測が当たったのかどうかは分からないが、第4番の第3楽章辺りから徐々にエンジンが掛かり始めたようで、第4楽章に入ると、マゼールとミュンヘン・フィルの息がぴたりと合い、緊張感がホール全体を包み込み始めた。こうなるとマゼールの指揮は、俄然若さを取り戻して、軽快な足取りでミュンヘン・フィルを巧みにリードする。ミュンヘン・フィルもそんなマゼールの指揮ぶりに一部の隙もなく応える。そして、最後の曲目ベートーヴェン:交響曲第7番の演奏は、第1楽章から異常な緊張感に包まれた演奏に終始した。マゼールの指揮は、そう大きなジェスチャーを伴わないが、オーケストラの持てる力をフルに発揮させる、天性の才能に恵まれていると思う。そんな指揮ぶりにオーケストラも知らず知らずに、全力を振り絞り、この日の名演奏を生んだように感じた」

 今回のCDは、マゼールが音楽監督の座を逃したそのベルリン・フィルを指揮したブルックナー:交響曲第7番/第8番である。録音は、第7番が1988年2月24日~25日、第8番が1989年6月4日、7日である。マゼールというとマーラーの交響曲での録音で評価が高いが、どうもブルックナーの交響曲の録音はというと、マーラーほどでもないように感じられる。これはいったい何故なのかと考えながら、このCDの近藤憲一氏の書いたライナーノートを見ていたら次のように解説されていた。「レコーディングにおいても広範なレパートリーのほとんどを残してきたマゼールだが、ブルックナーは、1999年にバイエルン放送交響楽団と交響曲全集をライヴ録音しているものの、それ以前に限ると録音は意外なほど少ない。・・・それは、ブルックナーの音楽がマゼールの美意識と多少のズレがあったからだろうか。いや、ブルックナーを敬して遠ざけていたのではあるまいか。その証拠に、(その後録音された)4つの交響曲演奏に共通して、いわばマゼールのアクとも言うべき個性を矯めた、しかし優れてブルックナー的な音楽世界が見事に描かれている」。今回、私は、このCDのマゼール&ベルリン・フィルのブルックナー:交響曲第7番/第8番を聴き終えて、改めてマゼールが、ブルックナーの交響曲とどう対峙したのかを考えてみると、正に、マゼールはブルックナーの交響曲作品を崇高な作品として捉え、それ故、いたずらに手を加えることはせず、作品にすべてを語らせるという姿勢がひしひしと窺えたのである。マゼールは、ブルックナーが作曲した交響曲に、敬愛を込めて接したとしか言いようがないのである。

 ブルックナーの交響曲というとどれも器楽編成が巨大だという感じを持つが、実は第1番~第6番まではそれほど巨大な編成を取ってはおらず、ブラームスの交響曲とそれほど大差はない。ところが、第7番では4本のワーグナー・チューバが登場し、第8番と第9番では木管が3管編成となり、8本のホルンが使われる。このほか第8番にはハープが登場する。そんなわけでこのCDの第7番と第8番の交響曲は如何にもブルックナーらしさが発揮される作品だ。第7番で名高いのは第2楽章で、ブルックナーは敬愛するワーグナーの訃報に接し、葬送音楽を作曲した。ここでのマゼールは、ブルックナーの悲しみを心の奥底から絞り出すようにベルリン・フィルを指揮する。少しの誇張もなく、ただただ真摯に音楽に立ち向かう姿勢が強く感じられる演奏となっている。ベルリン・フィルもそんなマゼールに一心同体となり、懸命に演奏してる様が手に取るように分かる。第7番でブルックナーは好評を持って迎えられたが、一方、第8番は理解されず、改訂版をつくらざるを得なかった。ブルックナーの交響曲は、その後原典版の良さが認識され、このCDでは原典版に則ったノヴァーク版が使われている。第8番は、ブルックナーがベートーヴェンの交響曲的精神とワーグナーの楽劇的世界を融合させ、4年の歳月を費やして作曲した、いわばブルックナーの交響曲の総決算ともいうべき曲となっている。その第4楽章は、特に壮大で、同時に美しい曲想で満たされているが、マゼールは、地の底から吹き上げるような力強い指揮ぶりを見せると同時に、敬虔な祈りみたいな精神性の高い演奏に終始する。今回聴いた第7番と第8番でのマゼールの指揮は、正攻法そのものではあるが、常にブルックナーから発せられる宗教的な高まりを、最大限にまで表現し尽くし、見事というほかない。合掌。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇小澤征爾&ボストン交響楽団のマーラー:交響曲第1番「巨人」(「花の章」付き)

2014-06-10 10:41:36 | 交響曲

~若き日の小澤征爾、ボストン交響楽団との記念碑的録音~

マーラー:交響曲第1番「巨人」(「花の章」付き)

指揮:小澤征爾

管弦楽:ボストン交響楽団

録音:1977年10月3日~17日、ボストン

CD:ユニバーサルミュージック UCCG4428

 マーラーは、ロマン派の後期から、無調音楽の現代音楽への過渡期の時代に交響曲や歌曲を中心として優れた作品を数多く残した作曲家だ。いわゆる世紀末的な厭世観に覆われた内容の曲もその中には含まれている。そのためか、一時代前には、ドイツ・オーストリア古典派から見ると、エキセントリックな異様な雰囲気を漂わせた作曲家という評価がなされ、一方、現代音楽派からすると、保守的なロマン派の音楽から抜け出せない中途半端さが目立つ作曲家だということになってしまう。ところが、近年に入りマーラーの評価は、うなぎ上りに高まっており、最近のコンサートの多くがマーラーの作品を競って取り上げている。これは、いったい何を意味するのであろうか。結論からいうと、これまで、現代音楽に可能性を求めてきた聴衆が、どう聴こうとしても、納得のいく作品に巡り会うことができず、現代音楽は、どうも我々とは別次元の音楽ではないのか、と感じ始めてしまい、そのままずるずると現在に至っているのが実情であろう。では、現代の聴衆はどこに向かおうとしているのか。その一つの回答が、マーラーではないのか。古典的な形式にのっとってはいるが、その息遣いは、限りなく現代人のそれに近いものが感じられる。核戦争の恐怖にさらされる現代人の精神には、潜在的に厭世観が忍び寄る。でも、明るい、平穏なの未来も信じたい。それもあまり宗教性が少ない方がいい。そうなると、マーラーが求めた世界との共通点が浮かび上がってくるのだ。

 今回のCDは、1977年10月に若き日の小澤征爾がボストン交響楽団を指揮したマーラー:交響曲第1番「巨人」(「花の章」付き)の録音である。通常、マーラー:交響曲第1番は全4楽章で演奏されるが、このCDでは、第2楽章として「花の章」(アンダンテ・アレグレット)が加えられ、全5楽章からなっている。これは、この曲の初演時のもので、現在一般に演奏されるのは、初演時にはあった第2楽章を省略して行われている。マーラーが1893年にハンブルグでの上演時に発表したこの交響曲の表題は、次の通りになっていたのだ。<第1部>「青春の日々からー花、実、いばら」。第1楽章「春と永遠。序奏部は長い冬の眠りからの目覚め」、第2楽章「花の章」、第3楽章「順風満帆。<第2部>「人間喜劇」。第4楽章「難破ーカロ風の葬送行進曲」、第5楽章「地獄から天国へー深く傷ついた心の突然の爆発」。ここには、はっきりと第2楽章「花の章」と記されている。ところで、この文章を読むと、ずいぶんくどくどとした説明がついた交響曲なのだろうと思わざるを得ない。何か、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の説明文でも読んでいる気分になる。それもそのはず、マーラー:交響曲第1番「巨人」は、最初、当時の流行であった交響詩として作曲され、その後、交響曲作品に直され発表されたのだ。

 早速、若き日の小澤征爾がボストン交響楽団を指揮したマーラー:交響曲第1番「巨人」(「花の章」付き)を聴いてみよう。第1楽章から小澤征爾の繊細で、流れるようにオーケストラを歌わせる指揮ぶりには、感心させられる。すべてが自然の佇まいを見せ、決して強圧的な指揮ではない。団員たちの自主性に任せているようにも聴こえるが、その裏には小澤が思い描くマーラーの世界が圧倒的なスケールで展開される。これにはボストン交響楽団の演奏技量の卓越さが、小澤に思う存分の仕事をさせているようにも聴こえる。当時の小澤とボストン交響楽団の信頼関係の強さが、この録音から聴き取れる。通常では演奏されることのない第2楽章「花の章」は、実に抒情的な音楽で溢れかえっていることが聴き取れる。ここからは後期ロマン派の爛熟した空気を存分に感じ取れる。小澤征爾&ボストン交響楽団の演奏も、一層繊細さを増し、マーラーの世界へとリスナーを誘い込む。マーラーの明るい希望に満ちた若々しい姿がそこにはある。何故この美しいアンダンテ・アレグレットの楽章が、通常省略されるのかが私には分からない。続く、第3楽章は、ボストン交響楽団の深みのあるオーケストラの音色にしばし聴き惚れる。第4楽章は、葬送行進曲ふうの楽章だ。マーラーがモーリッツ・フォン・シュヴィントのエッチング「狩人の葬列」の影響を受けて書いたと言われており、しみじみとした内面の精神の世界が、小澤征爾&ボストン交響楽団により充分に表現され尽される。第5楽章は、「嵐のように激動して」と記されている通り激しいオーケストラの音が交差する。小澤の指揮もこれまでとは一転して力の限りを表現する。しかし、他の指揮者と小澤が異なるのは、そんな場面でも決して美意識を失わないこと。この録音を聴き終えて、やはり小澤征爾は世界の頂点を極めた指揮者だけのことある、と納得がいった演奏内容であった。

 ところで、マーラー:交響曲第1番には、「巨人」という副題が付けられていいるが、これは、マーラー自身が4楽章版を出すときに付けたものだそうだ。その当時、マーらーは、ジャン・パウルの小説「巨人」を愛読していたため付けたという。内容は、主人公のアルバーノが成長を遂げる過程を描いたもので、マーラー:交響曲第1番の内容とはそう直接の関係はなさそうだ。この曲を売り出す際、商業的な観点から「巨人」という言葉がことさら強調され過ぎたようでもある。ところで最近の小澤征爾は、体調も復調した様子であり、指揮をする姿をまだまだ見ることができそうだ。5月29日には小澤征爾が出席して、東京で「第23回モンブラン国際文化賞 アート・パトロネージュ・アワード2014」を受賞式が行われた。モンブラン文化財団では、毎年世界各国の芸術分野からアートパトロンを選出し「モンブラン国際文化賞」を授与しているが、今年は世界11ヵ国でそれぞれ1人の受賞者が選ばれ、日本からは、小澤征爾が、音楽塾および小澤国際音楽アカデミーにおける音楽活動が高く評価され、選ばれたもの。小澤征爾は、今も第一線の指揮者として活躍すると同時に、若い演奏家の教育にも熱心に取り組んでいる。今回、小澤征爾指揮ボストン交響楽団のマーラー:交響曲第1番「巨人」(「花の章」付き)の演奏は、若き日の小澤征爾が、ボストン交響楽団と共に作り上げた記念碑的録音とでも言えるものだ。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団のラフマニノフ:交響曲第2番

2014-05-20 13:07:52 | 交響曲

~ゲルギエフが手兵のマリインスキー劇場管弦楽団を指揮した名盤~

ラフマニノフ:交響曲第2番

指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ

管弦楽:マリインスキー劇場管弦楽団

CD:ユニバーサルミュージック(DECCA) UCCD-2101

 ラフマニノフの音楽は、甘美なメロディーに加えドラマティックな構成で書かれた作品が数多くあり、そしてそれらを愛好する多くの熱烈なファンがいる。私などは、最初ラフマニノフの音楽を聴いたときは「ほんとにこれがクラシック音楽?」と思ったほど。まるで映画音楽かミュージカルの音楽を聴いているみたいな感じがしたからだ。クラシック音楽は、ラフマニノフが作曲活動をし始めたころから、後期ロマン派の影響力が薄れ、現代音楽へと大きく舵を切ったわけであるが、ラフマニノフはこれらの現代音楽には興味は持たず、もっぱらロマン派の影を追い続けたのである。当時は、「進歩的な音楽は、12音音楽のような現代音楽で、ロマン派の音楽は、古い、発展性のない音楽」と捉えられ、多くの作曲家は、現代音楽の潮流へと向かったわけである。今から思うと、このことが今日のクラシック音楽の低迷に繋がったのではないか、と私には思える。当時、もう先はないと思われたラフマニノフの音楽は、現在行われているコンサートの中でも人気のある曲目の一つになっている。一方、現代音楽はどうなったかというと、あまり一般のコンサートで取り上げられることはなく、現代音楽の同好の士の集まりの中だけで生き続けているというのが実態ではなかろうか。確かに、ラフマニノフの音楽には、革新性は薄いとは思う。絵画で言えばルノワールのようなものかもしれぬ。ピカソやベーコンのような斬新性は感じられない。でも、自宅の居間に飾る絵画は、多くの人は、ベーコンよりルノワールを飾るのではなかろうか。これからのクラシック音楽を考える際には、ラフマニノフの音楽の持つ大衆性をもう一度見つめなおす必要性があるのではないのか。

 そういうわけで、今回はラフマニノフ:交響曲第2番を聴いてみることにした。この交響曲は、昔は、演奏されるとき、一部を省略した版での演奏が通例だったようであるが、プレヴィンが全曲を通して演奏した以降、いまでは、全曲を通して演奏されるのが当たり前となった。このことを見ても、最近になりようやくラフマニノフの真価が、多くのリスナーにより評価され始めたとみてもいいだろう。当初は、冗長とみられていたラフマニノフの曲も、今、よく聴いてみると内容の充実した、安定した音楽であることが聴き取れるのでる。この交響曲第2番は、音楽院時代の作曲の師であるタネーエフに献呈され、初演は、1908年1月にマリインスキー劇場で行われた。この作品は、その年のグリンカ賞を獲得し、これによりラフマニノフは作曲家としての自信を取り戻したという。この曲をロシアで演奏すると、あちこちからすすり泣きが聞こえることがあるという。それは何故か?ラフマニノフは、ロマン派の後継者であると同時に、民族音楽に深く根差した曲を作曲した作曲家でもあった。このことも現代音楽に欠けている重要な点だ。民族的な感情は、人類が如何に進化しようが、決してなくなることはない。現代音楽が、民族的精神を抜き去り、いくら純音楽だといっても、所詮それは頭でつくられた音楽に過ぎないのではないか。ラフマニノフ:交響曲第2番は、民族音楽のような交響曲であり、同時に国境を越えて共感できるような豊かな音楽性も持ち合わせている。

 この曲が初演されたマリインスキー劇場とはどんな劇場なのであろうか。マリインスキー劇場は、ロシアのサンクトペテルブルクにあるオペラとバレエ専用の劇場。1783年に女帝エカチェリーナ2世の勅令により、オペラとバレエの専用劇場としてサンクトペテルブルクに開設された劇場なのである。バレエの名作「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」などは、ここで初演されたということからもその格式が想像できる。今回のCDで演奏しているマリインスキー劇場管弦楽団は、同劇場を本拠地としている。旧ソ連時代には、キーロフ劇場と改名されたが、旧ソ連解体後、1992年にマリインスキー劇場の名称に戻ったという歴史を有している。今回のCDで指揮をしているヴァレリー・ゲルギエフ(1953年生まれ)の略歴を見てみよう。モスクワの出身で、レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルク音楽院)で学び、同院在学中にカラヤン指揮者コンクール2位、全ソ指揮者コンクール1位を獲得する。1977年同音楽院を卒業後、当時のキーロフ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者となった。1988年キーロフ劇場の芸術監督に就任し、現在のマリインスキー劇場を世界的な劇場へと発展させることに大いに貢献した。そして1996年には総裁に就任。2007年からロンドン交響楽団首席指揮者を務め、2015年からは、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者も兼任することになっている。これらの経歴からも、ヴァレリー・ゲルギエフは、現代を代表する指揮者の一人の資格は十分に持ち合わせている。

 早速、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団の演奏で、ラフマニノフ:交響曲第2番を聴いてみよう。私は、ヴァレリー・ゲルギエフというと、即物的で劇的な指揮をするという既成概念を持っていたが、このラフマニノフ:交響曲第2番の指揮を聴いて、それらの既成概念が何処かに飛んで行ってしまった。その、情念に溢れた、緻密で流麗な指揮ぶりに圧倒された。第1楽章は、何か哲学的な奥深さの表現ぶりが秀逸だ。あらゆるところから薄日が零れ落ちるような表情が何とも美しい。第2楽章は、スケルツォの楽章であるが、いたずらに騒ぎ立てるのではなく、情緒をたっぷりと取り、十分に説得力を持った指揮ぶりである。そして、このシンフォニーのハイライトの第3楽章が始まる。一瞬「あれ」と感じた。この楽章は、どの指揮者もダイナミックな表現で、朗々と美しいメロディーをことさら強調するものだが、ゲルギエフはその真逆を行き、独白のような内省的な演奏に終始する。こんな静かで美しいラフマニノフ:交響曲第2番の第3楽章を私はこれまで聴いたことがない。やはり、これはロシア人の血のなせる技なのかもしれない。全て自然の流れの中で音楽が流れ行く。分厚く、包容力のあるマリインスキー劇場管弦楽団の響きも聴きものだ。第4楽章は、これまでの夢想のような世界から一変して、明るく輝かしい世界へと一歩踏み出す。ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団の演奏は、そんな時でも決して軽薄にならないところが、流石と感じさせる。これは伝統という重みの中から生まれる音の深みなのかもしれない。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇クラウディオ・アバド&ベルリン・フィルのマーラー:交響曲第9番

2014-02-18 10:54:41 | 交響曲

マーラー:交響曲第9番

指揮:クラウディオ・アバド

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1999年9月、ベルリン(ライヴ録音)

CD:ユニバーサルミュージック UCCG1106

 指揮者のクラウディオ・アバド(1933年―2014年)が亡くなってもうひと月が経とうとしている。昨年予定されていた来日が急遽取り止めになっただけに、残念な思いをされた方も多くいるのではなかろうか。アバドは、イタリア、ミラノの出身。1956年からウィーン音楽院で指揮を学び、1959年に指揮者としてデビューを果たした。以後着実にキャリアを重ね、1968年にミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年には音楽監督、1977年には芸術監督に就任する。この間、スカラ・フィルハーモニー管弦楽団を設立して、楽団のレベルを引き上げることに成功を収める。そして、ロンドン交響楽団の首席指揮者を経て、1983年同楽団の音楽監督となる。1986年には、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。さらに1990年、カラヤンの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任し、これによりアバドは世界の指揮者の頂点を極めることになったのである。2000年に胃癌で倒れるが、以後回復しフリーの指揮者として、ルツェルン祝祭管弦楽団などを指揮していた。昨年予定されていた際も、ルツェルン祝祭管弦楽団と共に来日するはずであった。日本とのつながりとしては、2003年にアバドは、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。

 今回のCDは、アバドがマーラー:交響曲第9番を、1999年9月ベルリンでベルリン・フィルを指揮した時のライヴ録音盤である。マーラー:交響曲第9番は、これまでもバルビローリ指揮ベルリン・フィル盤、ワルター指揮ウィーン・フィル盤、バーンスタイン指揮ベルリン・フィル盤など数多くの名盤が残され、いわば指揮者の激戦区といった趣がある曲であるが、このアバド指揮ベルリン・フィル盤は、数あるマーラー:交響曲第9番の録音の中でも、その存在感を充分に発揮している名盤の一つといってもいいであろう。ここでのアバドは、決して無闇にオーケストラを引っ張ろうとはせずに、自然の流れの中に身を委ね、オーケストラのメンバーの自発性を誘い、そして全体としては自らの語り口で曲を締めくくっている。特に印象的なのは、マーラーが自らの死を暗示していると言われる第4楽章の指揮ぶりで、淡々とした流れの中に深い精神性を込めたものとなっており、マーラーとアバド、そしてオーケストラのメンバーの一体感が極限まで高まり、それを聴くリスナーは、その陶酔感の中に一体となり身を置くことになる。アバドが亡くなった今、この第4楽章を聴くと、アバドの現世との別れの思いが込められているようにも感じられてくる。

 マーラーは、交響曲として第1番~第9番のほかに「大地の歌」と未完の第10番があるので、全部で11曲の交響曲を作曲したことになる。このうち、声楽が入ったものが、第2番、第3番、第8番、「大地の歌」、一方、純器楽作品が第1番、第5番、第6番、第7番、そしてこの第9番である。第9番は、4楽章構成をとり、第1楽章と第4楽章が、静寂さを持った古典的で正統制を保った楽章となっている。一方で、第2楽章と第3楽章は、マーラー特有のアイロニー(皮肉っぽさ)に満ち溢れ、結果としてその対比が極めて印象的な交響曲になっているといえる。特にマーラーは、この曲に標題を付けなかったようであるが、第4楽章の最後の小節に「死に絶えるように」と書かれていることでも分るように、曲全体が「別れ」あるいは「死」というテーマに貫かれている。そして曲を聴いた印象は、崇高さが感じられ、そのこともあり、数ある交響曲の中でも最高傑作の一つとして、特別な時に演奏されることが多い曲である。ただ、マーラー自身は、この曲の初演の前に亡くなったため、演奏を聴くことができなかったという。

 この録音でアバドは、内省的な第1楽章を、実に柔らかく、しかも深遠さと荘厳さ持って、淡々と指揮を進める。何か遠い昔を回想するかのようででもあり、マーラーが自らの死を予感して、過ぎ去リ日の追憶に耽っているような雰囲気を巧みに演出する腕は、さすが世界の頂点を極めた指揮者であることを実感させる。第2楽章と第3楽章は、いつものマーラーが戻ってくる楽章である。マーラー&ベルリン・フィルは、そのことを意識してメリハリのある演奏に終始する。それでも他の曲のマーラーのアイロニーさとは一味異なり、抑制のあるアイロニーとでも言ったらよいのであろうか。アバドもその辺のところは、お見通しかのようにさらりと指揮するので、聴いていて不快感はない。むしろ、第1楽章と第4楽章を際立たせる役割を果たしているかのように感じられる。そして最後の第4楽章を迎える。ここでアバドは、あたかも息を止めて、天上から聴こえてくる音楽を聴き取ろうとするかのように指揮する。中庸を踏まえ、しかも秘めた荘厳さが印象的だ。ここには交響曲の美しさを極限にまで昇華させた演奏がある。そして、「死に絶えるように」と書かれた最後の小節へと向かうに従い、静寂さが辺りを覆う。アバドが亡くなってひと月経った今この録音を聴くと、あたかもアバド自身が別れの挨拶をしているかのように感じてしまう。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇バシュメットとインバル&フランクフルト響のベルリオーズ:「イタリアのハロルド」

2012-07-10 10:31:51 | 交響曲

ベルリオーズ:ヴィオラ独奏とオーケストラのための交響曲「イタリアのハロルド」

指揮:エリアフ・インバル

管弦楽:フランクフルト放送交響楽団

ヴィオラ:ユーリ・バシュメット

CD:コロムビアミュージックエンタテイメント COCO‐70708

 ベルリオーズの交響曲というと誰もが思い浮かべるのが「幻想交響曲」であろう。「幻想交響曲」は、クラシック音楽リスナーのビギナーからシニアーに至るまで、幅広い層に受け入れられている名曲だ。ベリルオーズについて指揮者のエリアフ・インバルは、このCDのライナーノートに「ワーグナーとマーラーは、ベルリオーズから莫大なものを学んだ。そしてベルリオーズは、近代音楽にとっても予言的である。ジュリエットの死の場面の休止は、ウェーベルンの前兆を示している」と書いている通り、その後のクラシック音楽にベルリオーズは大きな影響力を及ぼした。そんなベルリオーズの偉大な作品の一つに、ヴィオラ独奏とオーケストラのための交響曲「イタリアのハロルド」がある。同じ交響曲とはいえ「幻想交響曲」に比べ、「イタリアのハロルド」は、マイナーな存在であり、地味な曲だ。しかし、「イタリアのハロルド」を何回も聴いてみると、どことなく「幻想交響曲」に似ているところもあり、なかなか充実した交響曲であることが実感できる。「幻想交響曲」に劣らぬ名曲として、もっと多くのリスナーに愛聴してほしいものだ。

 「イタリアのハロルド」の作曲の経緯からして、「幻想交響曲」と深い繋がりがある。というのは、「幻想交響曲」を聴いたヴァイオリンの名手のパガニーニが、ベルリオーズに直接、ヴィオラとオーケストラのための曲の作曲を依頼したのだ。当代一のヴァイオリニストが、当代一の作曲家に新曲を依頼したのだから、最初から成功は保証されたようなもの、と思ったらそうではなかった。パガニーニはこの曲の草稿を見て、気に入らなかったのである。ストラディヴァリウスのヴィオラを手にいれたパガニーニの狙いは、自分がステージの中央でストラディヴァリウスのヴィオラで名人芸を披露して、聴衆から拍手喝采を受けるという夢を、「幻想交響曲」を作曲したベルリオーズならきっと叶えてくれると思ったが、結果はそうではなかったのだ。「イタリアのハロルド」を聴いてみれば分るが、ヴィオラ演奏は、どちらかと言えば地味であり、あまり名人芸は発揮できそうにもない。ということで、この話は破談になったが、ベルリオーズは諦めずに「イタリアのハロルド」を完成させた。それだけベルリオーズは、この曲に対する思い入れが深かったものと思われる。「イタリアのハロルド」とは、バイロンの長編詩「チャイルド・ハロルド」風の物語を、イタリアを舞台に繰り広げるところから付けられた。主人公の表現に「幻想交響曲」で使った固定楽想の技法を駆使しているとこらからも、私は“「イタリアのハロルド」は「幻想交響曲」の姉妹曲”といった思いが強い。

 このCDでヴィオラの独奏をしているのは、ヴィオラの名人として知られるユーリ・バシュメット(1953年生まれ)だ。バシュメットは、ロシアに生まれ、モスクワ音楽院でヴィオラを学ぶ。1976年、ミュンヘン国際音楽コンクールで1位を獲得し、一躍世界に名が知られるようになる。1986年に室内合奏団「モスクワ・ソロイスツ」を結成し、以後指揮活動も行うようになる。これまで、度々来日しているが、最近では指揮者としての活躍が目立っているようだ。また、「ユーリ・バシュメット国際ヴィオラ・コンクール」を主宰し、若いヴィオラ奏者の育成にも努めている。指揮のエリアフ・インバル(1936年生まれ)は、イスラエル出身。パリ音楽院で学び、1974年―1990年にフランクフルト放送交響楽団の音楽監督を務め、同楽団の黄金時代を築いたことで知られる。このCDの録音は1988年なので、同楽団の音楽監督在任中であり、その充実した指揮ぶりが伝わってくるようだ。2008年―2012年東京都交響楽団のプリンシパル・コンダクターを務めると同時に、2009年―2012年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者を務めるなど、現代を代表する指揮者の一人。

 第1楽章「山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面」は、静かで不気味な印象で始まり、やがてハロルドの主題が奏される。このハロルドの主題は、しばしば登場するが、何か不安げで、悲劇を予感させるようだ。そんな楽章を、バシュメットとインバルは、実に巧みに演出し、ぐいぐいと聴くものを引き寄せていく。第2楽章「夕べの祈祷をうたう巡礼の後進」は、文字通り、巡礼の一行の静かな行進をしみじみとした感情で描き切る。ここでもバシュメットとインバルは、そんな物静かな時の流れを、巧みに演奏する。地味な楽章には違いないが、しみじみとした情感であたりが満たされ、激情家のベルリオーズの別の面を見せられる思いがする。第3楽章「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」は、我々のイメージするベルリオーズが思う存分聴くことができ、ゆったりとした気分が心地良い。バシュメットとインバルもここでは、明るくリズミカルに伸び伸びと演奏する。地味で静かなヴィオラの音色の美しいこと。第4楽章「山賊の饗宴、前景の追想」は、我々が日頃イメージするベルリオーズの音楽が思いっきり展開される。もうこうなると、ベルリオーズでなければ表現できない独特の雰囲気にリスナーも巻き込まれる。でもバシュメットのヴィオラだけは、冷静さを最後まで失わない。バシュメットとインバル&フランクフルト放送交響楽団の「イタリアのハロルド」のこの録音は、歯切れの良い、新鮮な感覚に貫かれており、現代の我々に訴えるものがある。(蔵 志津久)

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