goo blog サービス終了のお知らせ 

★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇エマニュエル・クリヴィヌ&国立リヨン管弦楽団のフランク:交響曲ニ短調

2012-06-26 10:35:11 | 交響曲

フランク:交響曲ニ短調
     :交響詩「プシシェ」より

指揮:エマニュエル・クリヴィヌ

管弦楽:国立リヨン管弦楽団

CD:日本コロムビア DENON COCO‐73185

 セザール・フランク(1822年―1890年)は、ベルギー出身で、フランスで活躍した作曲家・オルガニストである。パリ音楽院で学び、宗教音楽を中心に音楽活動を展開した。1871年にはサン=サーンスやフォーレらとともにフランス国民音楽協会の設立に加わり、1872年にはパリ音楽院の教授に迎えられている。これだけの経歴を見ると、音楽生活はさぞ順風満帆であったかのように思われるが、今回の交響曲ニ短調の初演の時(フランク68歳)は、「この曲は交響曲ではない」といった辛辣な批評を浴びて、全く評価されなかったというから驚きだ。現在では、フランク:交響曲ニ短調は、フランスの作曲家の交響曲というよりも、交響曲の歴史上、重要な作品であり、その劇的であると同時に、深遠な情緒を湛えた曲想は、今聴いても一際光り輝くほどだ。フランク自身は、大器晩成の典型みたいな作曲家(主要な作品は生涯の最後の10年間に集中している)だ。そして、当時の時代を先取りしたみたいな曲が少なくなく、当時の保守的な音楽家はから見れば、フランクの作品は「取るに足りないもの」と軽んじていた傾向にあったようだ。そんな風潮の中、弦楽四重奏曲がやっと支持を受けたわけだが、フランクは「ようやく時代が私に近づいてきたようだ」と語ったという。

 このフランクの代表作である交響曲ニ短調は、現在ではあらゆる交響曲の中でも傑作の一つとして評価が高く、これまで、多くの巨匠指揮者が数多くの録音を残している。フランクの作品は、純フランス音楽というよりは、フランス音楽とドイツ・オーストリア音楽の両方の要素を取り込んだ曲が多いが、この交響曲ニ短調は、その典型的な一曲であろう。このため、これまでドイツ・オーストリア系の指揮者も積極的に取り上げてきている。その典型的な事例がフルトヴェングラーの録音である。一瞬ブルックナーの音楽を聴いているような錯覚に陥るほど、その重厚な音づくりには敬服してしまうのだが、どうしても「確かフランクはフランス音楽の作曲者だったよね」という思いが何時も脳裏を過ぎる。そして、このフルトヴェングラーの残した録音は、その後の指揮者がフランク:交響曲ニ短調を演奏する際に、呪縛のように包み込む。フランス系の指揮者であるシャルル・ミュンシュやポール・パレーでさえ、その指揮するフランク:交響曲ニ短調の録音を今聴いてみると、ドイツ・オーストリア系の交響曲の匂い、というよりフルトヴェングラーの匂いがどうしてもついて回っているように、思えてならない。そんな時、エマニュエル・クリヴィヌが国立リヨン管弦楽団を指揮した今回のCDに出会い、私は思わず「フランク:交響曲ニ短調はこれが本物の響きだ」と感じ入った。

 つまり、長年のもやもやがこのCDを聴いたとき初めて霧散して、ようやく本物のフランク:交響曲ニ短調の音に遭遇できた満足感に浸ることができたのだ。フランクは、特定の同一主題が反復使用される、所謂“循環形式”をしばしば作曲に用いているが、この交響曲ニ短調も例外でなく、循環形式が巧みに取り入れられ、効果を挙げている。全体は3楽章からなる。第1楽章を指揮するクリヴィヌは、実に静かに曲に入り込む。従来の指揮者が闇雲に大きな音だけを出すのとは大違いだ。あたかも自然に曲の盛り上がりを待つようでもある。決して音を叩きつけるようなことはしない。それでいて地の底からエネルギーが徐々に盛り上がる様を演出する際の絶妙のタイミングには脱帽させられる。第2楽章は、クリヴィヌの真価が最大限に発揮されている楽章だ。ハープと弦のピチカート、それにイングリッシュ・ホルンの音色が馥郁と香るように演奏される。そして、クリヴィヌと国立リヨン管弦楽団の絶妙の駆け引きは、聴くものをあたかも夢の中にいるかの如く感じさせる。第3楽章もクリヴィヌは、他の指揮者が行進曲を演奏するかのごとく指揮するようなことは決してしない。優雅に音の深い森に自ら分け入るような深淵さがそこにはある。クリヴィヌ&国立リヨン管弦楽団のフランク:交響曲ニ短調は、この曲が限りなく詩的な交響曲であることを、初めて教えてくれた演奏と言っていいのではないか。

 エマニュエル・クリヴィヌ(1947年生まれ)は、グルノーブルの生まれのフランスの指揮者。当初はヴァイオリンを学ぶ。16歳でパリ・コンセルヴァトワールを首席で卒業し、エリザベート王妃音楽院でヘンリック・シェリングに師事する。卒業後はシュナイダーハーンとの共演などで話題を集めるなどヴァイオリニストとして活躍。その後カール・ベームと出遭って指揮者への転向を決心する。1976年から1983年までフランス放送新フィルハーモニー管弦楽団(現フランス放送フィルハーモニー管弦楽団)の常任指揮者を務める。その後、1987年から2000年までリヨン国立管弦楽団の音楽監督を務め、そのとき実力派指揮者としてその名を知られる。このCDの録音は1992年で、クリヴィヌがリヨン国立管弦楽団の音楽監督を務めてから5年が経過した時のもので、両者の気心が充分に合っている。交響曲ニ短調と一緒にカップリングされているフランク:交響詩「プシシェ」も交響曲ニ短調に劣らぬ指揮ぶりで秀逸。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇クレンペラーのメンデルスゾーン:交響曲3番「スコットランド」/4番 「イタリア」

2012-02-28 10:31:47 | 交響曲

メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」
            :交響曲第4番「イタリア」

指揮:オットー・クレンペラー

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

CD:EMIミュージック・ジャパン TOCE91062

 メンデルスゾーンの名前を聞くと、直ぐに「短命(38歳)であったけれど、裕福で幸せな作曲家人生を送った」というようなことが言われることが多い。これはこれで間違いではないのであろうが、メンデルスゾーンの人生には、もっと別な面が存在していた。一つは、「裕福で幸せ」とはいうものの、ユダヤ人の家系であったため、いわれのない迫害を受けていたという。現にナチス・ドイツ時代には、メンデルスゾーンの存在はドイツ音楽史上から完全に抹殺され、復活したのは第二次世界大戦後であったことからも、このことが証明される。もう一つは、メンデルスゾーンは、作曲家と同時に現在の指揮者という職業を確立した功績が大きい。つまり、指揮者という職種の第一号であり、現在までその影響は脈々と受け継がれている。そんなわけで作曲家としてのメンデルスゾーンは交響曲の作曲でも数々の足跡を残している。まず、12歳―14歳の時に作曲した13曲からなる「弦楽のための交響曲」、それに本格的交響曲として第1番―第5番の5曲を作曲した。今回のCDは、この中から交響曲第3番「スコットランド」と交響曲第4番「イタリア」を取り上げる。このほか第5番「宗教改革」もしばしば取り上げられる。さらに最近では第1番の評価も高まっている。

 今回の指揮者は、当時のポーランド、現在のドイツ出身のオットー・クレンペラー(1885年―1973年)である。フランクフルトのホッホ音楽院で学び、22歳でグスタフ・マーラーの推挙を受け、プラハのドイツ歌劇場の指揮者、さらにはベルリン・フィルなどに出演する。その後、ナチス・ドイツを嫌い、米国へ亡命を果たす。米国ではロサンジェルス・フィル音楽監督やピッツバーグ交響楽団を指揮し、これらのオーケストラの水準を大きく飛躍させた。しかし、1939年に脳腫瘍に倒れ、第2次世界大戦後は、ヨーロッパにおいて再起を果たすことになる。その間、ロンドンでの客演が英国EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグの目に止まり、1952年にEMIとレコード契約を交わす。これがクレンペラーの再評価に繋がった。1959年―1973年には、カラヤンの後を継ぎフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者に就任。クレンペラーは、脳腫瘍を患ったこともあり、回復後も奇行がしばしば問題視されていたようである。しかし、その指揮者としての実力は、誰もが認めるところであり、他の指揮者から隔絶された“孤高の巨人”とも現在評されている。メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」と交響曲第4番「イタリア」の録音は、無骨ではあるが、クレンペラーの雄大な指揮ぶりが窺える代表的な盤として、今後も聴き続けられるであろう。

 メンデルスゾーンが最初に交響曲第3番「スコットランド」を着想したのは、1829年、20歳の時の英国エディンバラ旅行であったという。その後、この構想は実現されずに置かれ、1941年―1942年に作曲された。1842年、メンデルスゾーンはロンドン訪問した際、この曲をヴィクトリア女王に献呈している。第1楽章は、クレンペラーの棒は、考えうるもっとも遅いテンポでオケをリードしていく。フィルハーモニア管弦楽団もこのクレンペラーの構想に充分反応し、分厚く雄大な曲想をものの見事に表現する。メンデルスゾーンの世界を、こんなにも力強く、雄大に描ききった例を私は知らない。第2楽章は、楽しくも美しい、我々が知っているメンデルスゾーンの世界が思う存分描かれる。第1楽章と第2楽章の鮮やかな対比の中で、まるで目の前に大自然が広がっているような錯覚に陥るほどだ。クレンペラーの指揮は、決して軽々しく「スコットランド」を演奏しようとはしない。あたかもリスナーは、何重にも折り重なった重厚な音の絵巻物を見るようだ。第3楽章は、一転して天国的な演奏でリスナーを限りなく癒してくれる。ここでもクレンペラーは、曲を矮小化することなく大きな空間を演出して、リスナーを包み込むのだ。第4楽章は、クレンペラーの真価がはっきりと聴き取ることができる。力強く、しかも大きな構想の中に、微妙なニュアンスを持ったオーケストラの音が交差する。

 メンデルスゾーンは、1830年、21歳の時にゲーテの勧めでイタリア旅行を行った。ゲーテは、ベートーヴェンとも親交があったが、メンデルスゾーンとも親しかったということのようだ。ゲーテとクラシック音楽家たちとの交流は大変興味深いものがある。この時に、メンデルスゾーンがローマで着手したのが、交響曲第4番「イタリア」。完成は1833年。第1楽章は、クレンペラーはいつものクレンペラーとは一味違い、軽快なテンポで颯爽と指揮する。フィルハーモニア管弦楽団の演奏も実にメリハリが利いたもので、私としては第3番以上に面白く聴くことができる。第2楽章は、もうこれはクレンペラーの独壇場だ。こんな面白い「イタリア」は滅多に聴くことはできない。クレンペラーは、自分に言い聴かせるようにゆっくりと指揮するのであるが、その背後には軽快さがあり、リスナーは決して退屈することはない。クレンペラーの演出力の勝利というところか。第3楽章は、いかにもメンデルスゾーンらしい楽章であり、クレンペラーもそのことを百も承知で、いたずらに弄くることはしない。そのためリスナーは、思う存分幸福そうなメンデルスゾーンの世界に浸ることができる。第4楽章は、メンデルスゾーン自身「私がこれまで作曲した作品中、最も愉快なものになるであろう」と書いているとおり、元気溌剌した楽章。これは、メンデルスゾーンがイタリア旅行中、メディチ荘で行われたパーティでサルタレロを観て感激して書いたものという。そんな曲でも、クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団は、少しもう浮ついたところがなく、真正面から取り組み、聴くものに感動を与えてくれる。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇ブリュッヘンのハイドン:交響曲第100番「軍隊」/第104番「ロンドン」

2011-12-27 10:37:13 | 交響曲

ハイドン:交響曲第100番「軍隊」/第104番「ロンドン」

指揮:フランス・ブリュッヘン

管弦楽:18世紀オーケストラ

CD:ユニバーサル ミュージック(DECCA) UCCD 4298

 ハイドン(1732年―1800年)は、オーストリアの作曲家で、ウィーンでナポレオン軍の攻撃の中、亡くなっている。当時は、ベートーヴェン(1770年―1827年)もウィーンで作曲活動を行っており、2人はかなり影響を及ぼしあっていたようだ。もっと正確に言うならば、ベートーヴェンが交響曲を作曲するに当たり、ハイドンから多くのことを学び取ったと言った方が、より正確になろう。今日、我々リスナーは、ベートーヴェンを交響曲を完成させた作曲家として捉えているが、実は、ハイドンが交響曲の素地を完成させ、さらにモーツァルト(1756年―1791年)がより生き生きとした交響曲を創作し、それらを基にベートーヴェンがさらに完成度の高いジャンルにまで築き上げたのである。つまり、ハイドンこそ“交響曲の父”というに相応しい存在なのである。同様に、弦楽四重奏曲についても同じようなことが言える。

 モーツァルトは、ハイドンの作曲した弦楽四重奏曲に感服し、“ハイドン・セット”と名づけられた一連の弦楽四重奏曲を作曲し、ハイドンに献呈した。これは現在、モーツァルトの作曲した弦楽四重奏曲の中でも優れた作品として知られている。そしてここでもベートーヴェンが、ハイドンとモーツァルトが切り開いた弦楽四重奏曲の新しい世界を基に、精神性を極限にまで高めることに成功し、“ラズモフスキー弦楽四重奏曲”をはじめとした、完成度が高く、不滅の弦楽四重奏曲群を生み出したのであった。ここでもハイドンは、“弦楽四重奏曲の父”と呼ぶのに相応しい活躍を見せたのである。しかし、現在、交響曲も弦楽四重奏曲も、ハイドンの影はそんなに強くは感じない。その理由の一つは、ハイドンの作品にはバロック時代の残滓が残り、モーツァルトやベートーヴェンほど個性の開花が感じられないからかもしれない。だからと言って、ハイドンの残した業績自体が低められることには少しもならない。

 そんなことで、今回はハイドンの遺した交響曲の中から、交響曲第100番「軍隊」/第104番「ロンドン」を取り上げてみよう。ハイドンは生涯で106曲の交響曲を作曲したといわれている。そのうち番号が付けられているのが104曲。つまり「ロンドン」はハイドン最後の交響曲である。これらは、“ザロモン・セット”と名付けられている12曲の中に収められている。“ザロモン・セット”とは、ハイドンがヴァイオリニストのザロモンの招きでイギリスを訪れた際に作曲された12曲の交響曲に付けられた愛称。いずれも優れた作品で、しかも1曲、1曲の性格が異なっているところが、ハイドンの傑出した能力と評価されている。交響曲第100番「軍隊」は、全4楽章の一つ、一つが、実に平明に、しかも楽しく書かれており、聴いていて飽きが全く来ない。ビギナーからシニアークラスまで、誰もが理屈なく満足させられる交響曲に仕上がっているのは、さすがハイドンだと感じ入る。あまり、「軍隊」という愛称(軍楽隊用打楽器などが使われていることからきている)に拘らずに聴いた方が、曲の本質が掴めよう。第104番「ロンドン」は、ハイドン最後の交響曲だけあって、その深みはまるでベートーヴェンの交響曲を思い起こさせるほどだ。その壮大なスケールの大きさに圧倒され、静と動が交差する様は、見事というほかない。ハイドンは、この第104番「ロンドン」で、交響曲に新しい世界をもたらしたと言っても過言なかろう。

 演奏は、フランス・ブリュッヘン(1934年生まれ)指揮の「18世紀オーケストラ」である。このオリジナル(古)楽器による演奏は、現代のオーケストラの響きに慣れた耳には、最初、物足りなさを感じるリスナーもいるかもしれない。しかし、聴き進むうちに、ハイドンの時代に鳴っていたオーケストラの響きは、こちらの方が近いということが実感として分ってくる。そうなると、逆にハイドンの交響曲は、現代の大オーケストラで聴くより、「18世紀オーケストラ」のようなオリジナル楽器によるオーケストラの方が、似つかわしいとさえ思えてくるから不思議だ。ブリュッヘンの指揮は、「軍隊」では、軽快に、時にはユーモラスとさえ感じられるほどリラックスして演奏しており、聴いていて無性に楽しくなる。一方、「ロンドン」の方はというと、がらりと様相を変え、スケールが大きく、堂々とした構えが印象的な演奏に終始している。ブリュッヘンの変幻自在な指揮ぶりには感服させられる。「18世紀オーケストラ」は、フランス・ブリュッヘンが私財を投じ、世界15カ国から優れた古楽奏者を結集して1981年、オランダに結成された古楽オーケストラである。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇スヴェトラーノフのショスタコーヴィッチ:交響曲第10番(ライヴ盤)

2011-11-29 10:30:01 | 交響曲

ショスタコーヴィッチ:交響曲第10番

指揮:エフゲニー・スヴェトラーノフ

管弦楽:ソ連国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)

CD:ナクソス・ジャパン ICAC‐5036

 音の記録は、時々我々の及びも付かないような、生なましい歴史的事実を記すことがあるものだ。その一つの事例が、今回のエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団によるショスタコーヴィッチ:交響曲第10番のライヴ録音である。時は、1968年8月21日、場所は英国ロイヤル・アルバート・ホール。その前日、8月20日の深夜、旧ソ連が率いるワルシャワ機構軍がチェコ国境を突破してチェコスロバキア全土を占領下に置くという、いわゆる「チェコ(プラハの春)事件」が勃発し、全世界が緊張感に包まれていたのである。そんな中、旧ソ連の作曲者の交響曲を、旧ソ連の指揮者、そして旧ソ連を代表するオーケストラが演奏するというのであるから、会場で何が起きても不思議でない雰囲気に包まれていただろうことが読み取れる。案の定、演奏が始まるかどうかという瞬間から、聴衆のざわめきというより、ブーイングに近いわめき声が交差して、通常のコンサート会場ではありえないような状況に陥ってしまった様子が、生なましくとらえられているのだ。普通なら、指揮者は演奏を即時に止めて、楽屋に引っ込んでしまうのに間違いない。ところが、そのとき、エフゲニー・スヴェトラーノフは、一瞬の躊躇も見せず最後まで演奏し通してしまうのである。しかも、演奏が終わった後の聴衆の熱烈なる賞賛の拍手を受けて。

 ショスタコーヴィッチは、時代の流れというより、旧ソ連の政治の流れに翻弄され続けた作曲者なのだ。当時、旧ソ連の芸術は“ジュダーノフ旋風”が吹き荒れていた。抽象的な芸術は徹底的に排除され、労働者階級に奉仕する、分りやすい芸術だけが生き残れたのである。若い頃ショスタコーヴィッチが作曲した曲も徹底的に批判を受け、この批判をかわすには亡命するしか手段はなかったに違いない。ここからがショスタコーヴィッチの複雑な作曲家人生がスタートすることになる。ショスタコーヴィッチは、あの有名な交響曲第5番を書き、一転して旧ソ連政府から人民の星と称えられてしまう。普通の人間(作曲家)ならこれで目出度し目出度しと一件落着してしまうところだ。どっこいショスタコーヴィッチは一筋縄ではすまないのだ。現在、NHK交響楽団の桂冠指揮者で、ショスタコーヴィッチとも面識があり、自身も旧ソ連から亡命した経験を持つウラジーミル・アシュケナージは、次のように語っている。「ショスタコーヴィッチは交響曲第5番を作曲したことによって、スターリンの自分に対する批判を封じた。つまり、独裁者に対する批判精神なのだ。ショスタコーヴィッチは、軍が勝利したわけではなく、2000万人ものロシア国民の犠牲によって勝利したことを言いたかった。ショスタコーヴィチは直接何も言っていないが、最後のフレーズを聴けば勝利の歓喜の曲ではないことは歴然としている。そして、旧ソ連政府の意に沿わない交響曲第9番をわざと書いた」と。

 ショスタコーヴィッチは、生涯で15曲の交響曲を書いたが、中でもこの10番は傑作としての評価が高い作品であると同時に、謎めいた曲であることも確かだ。スターリンが死んだ後、初めて発表された交響曲であること自体が注目されるのであるが、全体は、何でこんな暗い雰囲気に包まれているのだろう、と聴く者誰もが思う謎である。一時期「第2楽章はスターリンの肖像だ」と書かれていたと言われていたが、それは嘘であることが後で判明する。また、自分のドイツ式の綴りのイニシャルから取ったDーSーCーH音型が使われているが、これはある女性に対する思いを込めたもの、といったことも推理されたりしているが、真実かどうかも判然としない。要するにショスタコーヴィッチがこの曲にどんな思いを込めて作曲したのかが現在に至るまで分らないのである。私はこう思う。ショスタコーヴィッチは独裁者スターリンが死んでほっとしたが、ここで明るい曲を発表したのでは、身も蓋もない。ここではスターリン時代の暗い時代を思い出し、可能な限り曲自体を暗くした。一方ではスターリンの死を悲しんでいることを、時の政府の幹部に印象づけようと、悲しみの曲とした。つまり高度な策を弄した苦心の曲だったのではなかろうか。やはりショスタコーヴィッチは一筋縄ではいかないし、この曲の謎は永遠に解けそうもない。ただ、第10交響曲が優れた交響曲であることだけは、誰も否定できない真実であるのだ。

 このCDで演奏しているエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928年―2002年)は、モスクワ生まれのロシアの指揮者、作曲家、ピアニスト。1965年からソ連国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)の音楽監督を務めた。ロシア国立交響楽団の音楽監督を辞めた後、NHK交響楽団を含めロシア以外のオーケストラの指揮者として活躍した。第1楽章は、冒頭記したように、聴衆の旧ソ連政府を批判する叫び声が入っており、最初に聴くとドキリとさせられる(次からはむしろ緊張感が伝わってきて、雰囲気づくりに一役かっている感じがする)。ゆっくりと暗い雰囲気が辺りを覆いつくす。スヴェトラーノフは、会場の雰囲気にお構いなく、情念が篭ったどろどろとした印象を聴衆に与え、その迫力は相当なものであることが実感できる。第2楽章は、激しく躍動する曲づくりに思わず引き込まれる思いだ。しかし、決して明るい躍動感ではなく、何となくけだるさを残した躍動感であることが逆に不思議な魅力を発散して止まない。打って変わって第3楽章は、静寂な面持ちが何か不気味な気持ちにもさせられる。この辺の演出の妙は、スヴェトラーノフ&ソ連国立交響楽団の実力が前面に出ており、手に汗握るような緊張感が何とも凄い。第4楽章は、徐々にクライマックスへともっていく、スヴェトラーノフ&ソ連国立交響楽団の手腕の確かさに、誰もが納得させられてしまう名演なのだ。そして、最後は圧倒的な支持に溢れた拍手で締めくくられている。最初の旧ソ連政府に対するブーイングが、かえってこの日の演奏を強く印象づける結果に終わっていることが、何とも皮肉なことだ。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽◇マゼール&ウィーン・フィルのマーラー:交響曲第4番

2011-10-18 10:29:59 | 交響曲

マーラー:交響曲第4番

指揮:ロリン・マゼール

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ソプラノ:キャスリーン・バトル

CD:ソニーミュージックジャパン SICC 246

 マーラーの交響曲は、何番から聴き始めるのが一番聴きやすいのか?といったことがしばしば話題に上る。大変叙情的なシンフォニーで第1楽章の出だし部分が印象的な第5番、あるいは、独唱部分が従来のシンフォニーの概念を一掃した感のある「大地の歌」、そして今回の明るく平明な第4番あたりがお奨めの作品と言えよう。マーラーの交響曲は長大で、エキセントリックな部分が多分に含まれ、形而上的であり、宗教的な側面や人生に対する肯定的と否定的な考えが相互に入れ交わり、ビギナーのリスナーにとっては少々重荷な曲と言えなくもない。そんな曲が多い中、この第4シンフォニーの明るく軽快な音づくりは、マーラーの曲に関わりたいリスナーにとっては、貴重極まりない曲なのである。しかし、この明るさも宇野功芳氏に言わせれば「(マーラーは)人の世を愛するあまり死がこわかっただけなのだ。『4番』の第2楽章には死神の踊りも出てくるが、それさえ愉しい」(「クラシックCDの名盤」文春新書)となるそうで、やっぱり、一筋縄ではいかないマーラー独特の世界の曲の一つなのだ。

 マーラーは、リヒアルト・シュトラウスと並びロマン派後期を代表する大作曲家であることは、紛れもない事実ではあるのだが、同時にクラシック音楽が行き着く、最後の地点を覗いてしてしまったのかもしれない作曲家なのだ。神が絶対的存在であったバロックや古典派の時代は、少なくとも未来への希望が存在し、ロマン派に至って神の存在は相対的に縮小されたが、代わって市民意識の台頭という新しいテーマへの挑戦があった。問題は、その後、ワグナーの登場で、以前のような絶対的な神の存在が揺らぎ始め、新しい秩序への模索が胎動し始めるのであるが、リヒアルト・シュトラウスもマーラーも我々に、その後に続く、明確な像を告げぬまま、筆を置いしまった。リヒアルト・シュトラウスに至っては古典回帰の姿勢さえみせたのだった。さすが、マーラーはそこまではしなかったが、オーケストレーションの肥大化へと向かい、言葉は悪いが、恐竜が肥大化のあまり絶滅したかのような印象すら、しないわけではない。

 そんな、苦悩に満ちたマーラーの作曲家人生の中にあって、この第4交響曲は、我々リスナーが聴いて、何かほっとするような安らぎに満ちた雰囲気を与えてくれている。あくまでこじんまりとした様式の中で、マーラーが存分に語りかけてかけているようでもある。もともとこの交響曲は、第3番の第7楽章として構想されたものが独立して交響曲となったのであり、このことが逆に巨大化にブレーキをかけるという結果を生み出したものと言えそうだ。第4楽章では、このCDでは、ソプラノのキャスリーン・バトルの美しいソプラノの歌を聴くことができる。いわゆる“角笛交響曲”の1曲がこの第4シンフォニーの特徴の一だ。“角笛交響曲”とは、交響曲第2番、第3番それにこの第4番に、マーラーが作曲した歌曲集「子供の不思議な角笛」が取り入れられているから、そうな名付けられたもの。「子供の不思議な角笛」とは、ドイツの民衆歌謡を収集した詩集のことであり、マーラーがこれを題材に歌曲集を作曲したということは、常に客観的なマーラーも心の奥底で民族的な熱い高まりがあったのかもしれない。交響曲に歌を取り入れた最初の曲は、ベートーヴェンの第九交響曲であるが、マーラーも常にこのことが頭にあり、一生を通してチャレンジし続けたのはご存知の通りだが、この第4番はその初期の作品の一つに当る。マーラーにとっても、ワグナーと同様、ベートーヴェンの存在は、越えねばならない巨大な目標だったのだ。

 このCDで演奏しているのは、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、それに過去5回のグラミー賞を受賞している名ソプラノのキャスリーン・バトルである。録音は、1983年とあるからマゼール47歳のときで、脂の乗り切った時期の演奏だけに、実に聴き応えのある演奏を聴かせてくれている。マゼールは録音当時、カラヤンの後を継いで、ウィーン国立歌劇場の総監督という地位にあり、文字通り世界のクラシック音楽界の頂点に君臨していた(マゼールは、2012年から3年契約でミュンヘン・フィルの首席指揮者に就任する予定だそうで、80歳過ぎてまだまだその健在ぶりを示している)。第1楽章は、誠に軽快な足取りで進んでいく。ウィーン・フィルの弦楽器の類稀な美しい響きに酔いしれる思いがする。マゼールの指揮も、そんなウィーン・フィルの潜在能力を引き出すことに専念しているようで、少しの押し付けがましいところがないことに好感が持てる。第2楽章は、スケルッツオで第1楽章とは違った軽快感が満ち溢れていて、聴いていてまことに心地良い。弦楽器と管楽器の掛け合いの何と見事なこと。第3楽章は、マーラーの抒情味溢れる世界を堪能することができる演奏となっている。マゼールの指揮は、見事なほどに繊細であり、その指揮をウィーン・フィルのメンバーが共感を持って演奏しているところは、おおいなる聴きどころ。こんな夢のような音の世界を演奏した例は、そう滅多に聴かれるものではないことだけは確かなようだ。この楽章の演奏だけでも、誰でもがマーラーファンになってしまいそうだ。そんな名演である。後半にかけて現れる全体の盛り上げも実に見事ではある。第4楽章は、キャスリーン・バトルの美しい声とマゼール&ウィーン・フィルの演奏とが、巧みに混ざり合い、マーラーが目指した新しいシンフォニーの世界へとリスナーを誘ってくれる。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇ティーレマン&ウィーン・フィルのリヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲

2011-10-11 10:31:55 | 交響曲

リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲

指揮:クリスティアン・ティーレマン

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ユニバーサル ミュージック(独グラモフォン) UCCG-2064

 R.シュトラウスは、西洋音楽史の中でも、特に管弦楽曲に最大限の効果を発揮させた曲を作曲した作曲家としてその名を残し、今後もその名は残り続けるであろう。ワーグナーの後継者としてワーグナーに匹敵する規模の歌劇を作曲すると同時、にリストが創始した交響詩を完成域までに発展させた功績は、誰もが認めるところ。ところが、そんな大作曲家R.シュトラウスではあるが、クラシック音楽をどう発展させたのか?という問いに対する回答は、必ずしも明確でない。バッハが西洋音楽の基礎を確立し、それをモーツァルトが宮廷音楽として発展させ、そしてベートーヴェンが個人(市民)としての音楽にまで高め、さらにワーグナーが新たに楽劇という新領域を生み出した。それに対し、R.シュトラウス独特の音楽とは何かが見えてこない。これは、R.シュトラウスに限らず、ワーグナー以降の作曲家すべてに言えることであるが、先人の作曲家があらゆる試みに挑戦して、それを成し遂げてしまった後に残った音楽とは、何ぞや?という難しい問いに答えなければならないからだ。

 R.シュトラウスは、晩年、歌曲「4つの最後の歌」を作曲したが、これが「サロメ」「ばらの騎士」などの歌劇や「ツァラトゥストラはかく語りき」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」などの交響詩を書いた同じ作曲家の作品か、と不思議に思えるほどの落差があるのである。歌曲「4つの最後の歌」は、昔に里帰りしたように、ブラームスさらにシューベルトの歌曲を思い起こさせるような、古典的な作風に逆戻りしてしまう。これは、現代音楽の作曲家すべてに言えることではあるが、過去の偉大な作曲家達に対し、いかに自己のアイデンティティを持った作品を生み出すことが出来るのか、を模索する中で、結局は元に戻ってしまう、という皮肉な現象の表れの一つだ。そんな大作曲家R.シュトラウスが自分の本心に忠実に作曲したのが、今回のアルプス交響曲である。曲の性格としては、交響曲というより、連作交響詩と言った方がピタリとくる。R.シュトラウスは山が大好きで、若い頃からアルプスを題材にした曲を書こうと思っていたそうだが、そんな純粋な思いがアルプス交響曲に結実したのである。ここで見せるR.シュトラウスの鮮やかな職人技とも言えるオーケストレーションの素晴らしさは例えようも無い。そんなわけであるからして、我々リスナーもここでは難しいことを一切考えずに、自分もR.シュトラウスと一緒に山に登ったつもりで、このアルプス交響曲のオーケストレーションの素晴らしさを存分に楽しむのが、一番いい聴き方なのである。

 このCDでウィーン・フィルを振っているのがクリスティアン・ティーレマンである。ティーレマンは、1959年、ドイツベルリンに生まれている。カラヤン財団のオーケストラ・アカデミーやベルリンのシュテルン音楽院などで学び、1978年、19歳でベルリン・ドイツ・オペラに採用される。これまで、1988年から1992年までニュルンベルク州立劇場、1997年から2004年までベルリン・ドイツ・オペラ、2004年から2011年までミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の各音楽総監督を務める。そして、2012年からは、7年契約でシュターツカペレ・ドレスデン(SKD)の首席指揮者に就任する予定となっている。レパートリーは、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスなどのドイツ・オペラを中心に、ドイツ・オーストリア系の古典派、ロマン派などであるが、特に現在では名実ともにバイロイト音楽祭の中心的人物となっており、今後の活躍が期待れている指揮者である。このCDは、2000年10月7、8日に楽友協会大ホールでウィーン・フィルを指揮したデビュー盤で、当日ライヴ録音されたものだけに、ティーレマンのナマの指揮ぶりを窺い知ることができる。

 リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲は、全部で21の曲(夜/日の出/登山/森にはいる/滝/幻影/お花畑/山の牧歌/林で道に迷う/氷河へ/危険な瞬間/頂上にて/景観/霧が湧いてくる/太陽がかげりはじめる/悲歌/嵐の前の静けさ/雷雨と嵐、下山/日没/エピローグ/夜)からなる。もう、これらのそれぞれの曲のタイトルを見ただけで、この曲の全貌が掴めるのではないかと思われるくらい、描写に徹した曲となっており、ビギナーからシニアーのリスナーまで、誰もが楽しんで聴けるところが、この曲の最大の特徴と言えよう。ティーレマンの指揮ぶりは、全体に重厚なつくりとなっていおり、アルプス山脈の重々しい感じを肌で実感することのできる演奏だ。だからと言って描写力に劣っているわけでなく、それぞれのテーマに沿って、実に適切で説得力ある指揮を見せ、誰が聴いても分りやすく、好感が持てる演奏内容となっている。やはりティーレマン、オペラを得意とするだけに劇的な盛り上げ方は堂に入っている。雄大な広がりのある演奏の「頂上にて」を中心に、ウィーン・フィルの豊かな音楽性に直に触れることができるのも嬉しい。最近のティーレマンの評判に違わぬ熱演を聴くことができるライヴ録音だ。(蔵 志津久) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇ピエール・モントゥーのシベリウス:交響曲第2番

2011-09-13 10:35:20 | 交響曲

シベリウス:交響曲第2番

指揮:ピエール・モントゥー

管弦楽:ロンドン交響楽団

CD:DECCA UCCD‐7071

 フィンランドをはじめノルウェー、スウェーデンなどの北欧諸国に対し、私は憧れに近い気持ちを持ち続けて、これまで生きてきたわけであるが、残念ながら今迄一度も訪れたことがないのである。そうなると余計憧れが強くなり、グリークやシベリウスなどの音楽を聴くたびに、その自然の光景を想像しながら、北欧の作曲家が作曲した名曲を聴き込む、といった日々を過ごしてきたわけである。その代表的な曲が今回のシベリウス:交響曲第2番なのである。全曲を通じて、何と雄大な構想の下に書かれたシンフォニーであることかを、聴くたびに思い知らされる。同じシベリウスの交響詩「フィンランデア」は、愛国心に火を付けるような、ある意味での政治的背景を持った曲であるのに対し、この第2交響曲は、シベリウスも言っているように、愛国心や祖国愛といったものは、作曲した際にはには想定していなかったようである。つまり、この曲は、自然賛歌の曲であり、そんな北欧の自然のように生き生きとした曲想が身上の曲であり、このことが、現在に至るまで、多くのクラシック音楽ファンの心を掴んで離さない理由であろう。地球規模で自然破壊が進む現在、この曲は何か警告を我々に発しているようでもある。

 シベリウスは、フィンランドの国家的な作曲家であり、生涯に7曲の交響曲を作曲した。7つある交響曲の中で、この第2番が一番聴きやすいこともあり、ビギナーからシニアーに至るまで、クラシック音楽リスナーなら誰でも感銘を受けること請け合いの曲である。シベリウスの交響曲は、時代が経つに従い、その内容が難解となる傾向を帯びてくる。そのためこの第2番に感激したからといって、他のシベリウスの交響曲を聴いて、そう簡単に感銘を受けるかというとそう単純なことでもない。シベリウスは、1925年の交響詩「タピオラ」を作曲した以後は、ほとんど作曲から遠ざかり、91歳の長寿をまっとうしている。つまりこの間30年以上もブランクがあるのだ。この辺はロッシーニに似ている。シベリウスは、「トゥオネラの白鳥」「フィンランディア」「ポポヨラの娘」 「タピオラ」などの交響詩に名曲を残しており、これらの交響詩を聴くと、交響曲以上に親しみの沸く作曲家であることを再認識させられる。これらの交響詩には、強烈な郷土愛といったようなものが聴き取れるし、特に北欧の澄んだ空気に直接触れられる思いが聴くたびに伝わってくるのだ。

 このCDで、ロンドン交響楽団の指揮をしてシベリウス:交響曲第2番を演奏しているのがフランス生まれの名指揮者のピエール・モントゥー(1876年―1964年)である。ボストン交響楽団の音楽監督、サンフランシスコ交響楽団音楽監督などを歴任し、最後は熱烈な招聘を受け、ロンドン交響楽団の首席指揮者を務めた。その指揮ぶりは、少しの派手さもないが、魂の入った指揮とでも言ったらいいのであろうか、実に丁寧に曲自体を歌わせ、自然の響きの中にドラマティックな展開が、ごく自然に盛り込まれている、とでも言ったらいいような指揮を聴かせてくれる。このシベリウス:交響曲第2番の演奏でも、通常の指揮者がやるような、如何にも思わせぶりな人工的な曲の構築といったところからはほど遠く、何と詩的で自然の温もりが肌で感じられるような、優美な演奏を聴かせてくれている。それでいて小さくまとまるのではなく、曲が持つ雄大さが特徴である北欧の自然の輝きを、思う存分その指揮から感じ取れるのである。

 曲を聴いてみよう。第1楽章の出だしからして北欧の澄んだ空気に直に触れるような、自然の温もりを感じさせる楽章である。モントゥーの指揮は、あくまでそんな曲の雰囲気の中にリスナーを自然に誘ってくれるかのようだ。第2楽章は、北欧の神秘感がひしひしと伝わってくるような楽章であるが、モントゥーの指揮は、そんな内省的な楽章を、オーケストラから厚みのある響きを存分に引き出し尽くしているかのようだ。ゆっくりとしたテンポの中に、限りなく確信に満ちたような意思力が顔を覗かせており、立体感のある雄大な語り口に圧倒させられる。第3楽章は、スピード感を持ったオーケストラの響きが時折効果的な演出力を発揮する。この辺の語り口のうまさは、モントゥーの独壇場であり、オーケストラが共感を持って演奏していることが手に取るように分る。そして最後のクライマックスへと向かう第4楽章が始まる。この楽章は、あらゆる交響曲の最終楽章と比べてみても、その出来栄えは取り分け突出していると言っても過言なかろう。そんな終楽章を、モントゥーとロンドン交響楽団は,決して表面的に演奏することなく、自然の心の高揚感をもって表現する。そのため、その説得力は凡庸な指揮者の何倍にもなってリスナーの胸にぐさりと突き刺さる。(蔵 志津久)   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇アバド&ベルリン・フィルのマーラー:交響曲第5番(ライブ盤)

2011-06-21 09:52:22 | 交響曲

マーラー:交響曲第5番

指揮:クラウディオ・アバド

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ドイツ・グラモフォン 437 789-2

 私は、マーラーの曲はそうしょっちゅうは聴かない。歌曲集の「亡き子をしのぶ歌」や「さすらう若人の歌」は、若き日に熱中して聴いたこともあり、現在も時々は聴くが、マーラーファンには申し訳ないが、交響曲などは聴いていてどうもエキセントリックなところが引っかかってしまい、どうしても馴染みの交響曲といった感じにはなれない。そんな中、今回の交響曲第5番は、古典的な交響曲を踏襲している雰囲気が濃厚であり、あまりマーラー独特な雰囲気にどっぷりと漬からなくても聴き通すことが可能なところに引かれ、時々聴くのである。特に、多くのリスナーと同様、私も第4楽章のアダージェットの魅力に取り付かれて、この交響曲のファンとなったわけである。この第4楽章は、マーラーの妻、アルマとの愛の日々を描いたものだということになっていることでも分るように、甘美な旋律が全体を包み込み、夢のような幻想的で詩的な香りが辺り一面に漂う名曲となっている。あらゆるクラシック音楽の中で、これほどまで夢幻的な雰囲気を持った曲は他にない、といっても言い過ぎでないような感じもするほどである。

 この第5番の交響曲は、古典的な交響曲みたいだといっても、全体は4楽章ではなく、5楽章で構成されているところにマーラーの意地が見え隠れする。全体を通して聴くと、全体の中心が第3楽章にあり、その前に第1と2楽章、そして後に第4と5楽章が配置されているように私には聴こえる。それだけに第3楽章のスケルッオの楽章は充実しており、全体を引き締める効果は抜群な感じがする。ベートーヴェンの交響曲に似ているという指摘もあるが、私などは、この交響曲を聴くと、私小説ならぬ“私交響曲”とでも名づけてもいいのではないかという印象を持つ。リストが交響詩という新しいジャンルを切り開いたように、私には、マーラーのこの第5交響曲は、交響詩をもっと私的な環境に当て嵌めた“私交響曲”とでもいう新しいジャンルをマーラーは創造したのだと感じるのである。マーラーの生涯を通じて、後には破局に至るが、妻アルマとの出合いが一番の幸福であったように思われるし、その感情を包み隠さず交響曲に表現したのが第5交響曲と思われて仕方がない。第3楽章などを聴いていると、思わずマーラーとアルマが会話を楽しんでいるようにも聴こえる。

 マーラーの曲はエキセントリックなところがあると書いたが、マーラー自身「伝統とは怠惰のことだ」と言って憚らなかったということが、その背後にはあるのではないかと思う。幼少時には父の暴力的な性格に脅かされ、社会に出てからはユダヤ人ということで蔑まれながら、ウィーン宮廷歌劇場(現国立歌劇場)の指揮者まで上り詰めた。しかし、そこでも直ぐ激高し高慢なマーラー自身の態度がしばしば周囲との軋轢を生んでしまったようだ。「やがて私の時代がやってくる」という強烈な自負も、妻アルマの裏切りや自らの病との闘いで、最後は「私の一生は紙切れのようなものだった」という言葉を残して50歳の生涯を閉じた(アルマは85歳まで生きた)。私にとってマーラーの生涯は、“近代絵画の父”と呼ばれたセザンヌ(1839年―1906年)にどことなく似ているように感じられてならない。セザンヌは印象派に属しながら、近代絵画の扉を開いた画家でもあった。セザンヌの描いた絵を見ると水平でなければならない線が斜めに曲がって描かれているが、それでも全体の調和は取れている。これがその後キュービズムのような近代絵画へと繋がって行く。同じように、マーラーこそは現代音楽への扉を開けた作曲家ではなかったのか。その意味からマーラーの音楽は、今後一層、ファン層を拡大して行くことになるかもしれない。

 そんなマーラーの交響曲第5番を、今回はクラウディオ・アバド&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のライブ録音盤(1993年5月、ベルリン)で聴いてみよう。第1楽章のトランペットの不吉ともいえる音色に辺りに緊張感が漂い、それを背景にオーケストラが言いようもないメランコリックなメロディーをうたわせる。この辺のアバド&ベルリン・フィルの演出力は抜群であり、聴くもの全てが釘付け同然の状態に置かれる。続く、第2楽章は、激しく荒っぽくオーケストラが咆哮する部分から始まるが、直ぐに過去を回顧するような安らぎにも似た雰囲気に包まれる。この辺のアバドの棒さばきは一段と冴えわたるようだ。実に小気味いい演奏にオーケストラの醍醐味を存分に味わうことができる。第3楽章は、これまでの不安げな雰囲気を一掃して、一挙に軽快で明るいスケルツォに変身する。アバドの指揮もそんな楽章の前向きな雰囲気を的確に表現して、聴くものを充分に納得させる。そして、有名な第4楽章のアダージェットの楽章へと続く。もうこうなると、マーラーとアバド&ベルリン・フィルの二重のマジックにかかり、リスナーは文字通り桃源郷のような雰囲気に全身を包まれてしまう。そして、最後の第5楽章は、マーラーとしては確信に満ちた明るさが全体を覆うが、アバド&ベルリン・フィルも如何にも楽しげに演奏し、演奏効果を一層盛り上げている。全曲を聴き終わったとき、マーラーを聴き終えたという満足感に存分に浸ることができる名演であることを実感することができる。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇ハンス・クナッパーツブッシュのブルックナー:交響曲第9番(ライブ盤)

2011-06-14 11:02:31 | 交響曲

ブルックナー:交響曲第9番

指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:独audite KICC 90925~29

 ハンス・クナッパーツブッシュ(1888年―1965年)は、一時代を画したドイツの大指揮者であった。その活躍した時代がフルトヴェングラー(1886年―1954年)やカラヤン(1908年―1989年)などとダブルため、これらのの名声の陰に隠れ、ある意味ではその分損をした指揮者であったのかもしれない。それとフルトヴェングラーやカラヤンがかなり幅広いレパートリーを持っていたのに対し、クナッパーツブッシュは、特にワーグナーやブルックナーなどのドイツもののスペシャリストとしての印象が圧倒的に強い。ワーグナーやブルックナーの愛好者にとっては、フルトヴェングラー以上に神様的存在であったのがクナッパーツブッシュということになろう。バイエルン国立歌劇場音楽監督を歴任した後、1951年にバイロイト音楽祭に初出演し、「ニーベルングの指環」、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を指揮している。以後、死の前年の1964年まで、毎年のようにバイロイト音楽祭に登場している。このことからも分る通り、クナッパーツブッシュはワグナーに心酔していた。しかし、当時のヒットラーがワグナーを重要視していたにも関わらず、クナッパーツブッシュはヒットラーからは良く思われていない。フルトヴェングラーがヒットラーともうまく対応していたのとは、如何にも対照的だ。多分、クナッパーツブッシュは、根っからの芸術家肌で、政治との関わりを嫌っていたのではなかろうか。それだけクナッパーツブッシュは純粋のワグネリアンといえそうだ。

 そんな、クナッパーツブッシュは同時にブルックナーの指揮に関しても聴衆から絶大な支持を受けていた。ブルックナー自体も熱烈なワグナー崇拝者であったので、当然といえば当然ともいえるが、ワグナーの指向とブルックナーの指向はある意味では、大きく異なる。ワグナーが時折、神の存在へ対しての懐疑的な立場をとるのに対して、ブルックナーは徹底して神への忠誠を誓う。そのためか、ブルックナーの交響曲を愛するリスナーは、ブルックナーの、神聖で犯しがたい神への絶対の忠誠心の深さに引き付けられるのだ。ベートーヴェンの9つの交響曲は、その1曲、1曲の性格は大きく異なるが、ブルックナーの交響曲の曲想は、第1番の交響曲から今回の第9番の交響曲まで、ある意味ではどれもそう大きな変化はみられない(どれを聴いても大体同じと言っては言いすぎか)。しかし、ブルックナーの愛好者は、その一途なまでのブルックナーの音楽の奥深さに共感し、現在に至るまで熱烈なファンを形成している。日本の原発の問題が世界全体にまで広がるなど、最先端の科学に対する疑惑が広がる中、ブルックナーの音楽のように、神や自然がその中心テーマとなっている曲に、今後、現代人の関心が再び向かうのかもしれない。

 今回のCDは、クナッパーツブッシュがベルリン・フィルを指揮したライブ録音である。スタジオ録音とは違う迫力には圧倒される思いがする。録音自体もライブ録音としては聴き易く、クナッパーツブッシュの真骨頂が聴ける貴重な録音と言って間違いない。このある意味では、奇跡とも言ってもいいこの録音は、1950年―1952年にRIAS放送局(ベルリンのアメリカ占地区の放送局)によって行われたものだ。全5枚からなるCDに収められた曲は、今回のブルックナー交響曲第9番のライブ録音とスタジオ録音、同じくブルックーの交響曲第8番、シューベルトの交響曲第8番「未完成」、ベートーヴェンの交響曲第8番、チャイコフスキー「くるみ割り人形」などが収められており、クナッパーツブッシュの指揮ぶりの全貌が掴める貴重なもの。中でも今回のブルックナーの交響曲の第9番のライブ録音(1950年1月29日、30日)は、この一連の録音の白眉ともいえる。このCDのライナーノートには「・・・。だが、クナッパーツブッシュは異なった価値観を持っていた。聴衆の前で演奏すること、音楽で主張をし、聴衆と繋がりを感じることが、彼にとっての一番であった。それに対して録音は、付属品か副産物でしかなかった」(ハバクク・トラバー)と記されている通り、クナッパーツブッシュは生の演奏での一発勝負に掛けた指揮者だったのだ。

 早速、聴いてみよう。第1楽章は、地底から鳴り響くような幽玄な弦の響きに圧倒させられる。そして、静寂の中から飛び出すように管楽器が咆哮する。辺りの空気が緊張感で張り詰めるような感じに捉われる。さらに、時折見せる優雅に流れるメロディーが自然の中に佇む気持ちに誘ってくれる。リスナーは、完全にブルックナーの世界に取り込まれ、指揮者、ベルリン・フィルそれにリスナーが完全に一体化してしまう。第2楽章も、静寂と激流とが交互に現れ、聴くものに畏敬の念を与えずにはおかないほどの深みのある音楽に心酔させられる。何かブルックナーマジックとでも呼んでもいいほどの音の洪水の中にリスナーは一人置かれる。ある意味では恐怖感に取り付かれると言っても言い過ぎでないほどである。この辺はライブ録音ならでは迫力だ。そして、最後の第3楽章。これまでの苦悩から解放されたように、ほのぼのとした雰囲気に身を委ねてもいいし、壮大なスケールの曲想に、ブルックナーが到達した境地を一緒に味わうのもいいだろう。この第9交響曲は、未完成に終わったようであるが、私にとっては、ブルックナーの交響曲の中でも一番のお気に入りの曲であり、今回はその決定盤ともいえるライブ録音を聴くことができた。余りにも重厚すぎる曲だと感ずるリスナーもいるかもしれないが、一生愛聴し続けるに値する曲ではある。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽CD◇ミュンシュ&ボストン響のメンデルスゾーン:交響曲「イタリア」「宗教改革」

2011-05-16 16:07:57 | 交響曲

メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
           交響曲第5番「宗教改革」

指揮:シャルル・ミュンシュ

管弦楽:ボストン交響楽団

CD:日本ビクター JM‐XR 24028

 ドイツ・ロマン派を代表する作曲家の一人、メンデルスゾーンは、裕福な銀行家に生まれ、何一つ不足のなく作曲活動生活を送ったことがことさら喧伝されるが、ユダヤ人家系としていろいろと迫害にも遭い、ナチスドイツが支配していた時代には、その存在が完全に抹殺され、音楽史から一時消されたこともあったようだ。しかし、メンデルスゾーンが作曲した数々の名曲そのものの価値は、政治的にどのように否定されようとも、長い生命力を持ち、現在、多くのリスナーがメンデルスゾーンの作曲した名曲を愛聴している。劇音楽「真夏の夜の夢」、ヴァイオリン協奏曲、今回のCDの交響曲「イタリア」などの名曲は、万人のリスナーから愛され続けている。他の作曲者の場合、支持者や批判者がその周囲を取り囲み、いがみ合うケースが少なくないが、メンデルスゾーンの場合は、そのようなこととは無縁のようだ。それにメンデルスゾーンの功績は、バッハの音楽を発掘し広く紹介したことであり、今日我々がバッハの曲を広く聴くことができる切っ掛けをつくってくれた恩人でもあるのだ。

 今回のCDは、フランスの名指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891年―1968年)がボストン交響楽団を指揮した録音のマスターテープを基に、新たにCDダイレクトカッティングしたものであり、瑞々しいボストン交響楽団の音が再現され、誠に嬉しい限りだ。ミュンシュはわが国にも訪れことがあり、その飾らない人柄で日本でのファンも多かった。パリ音楽院管弦楽団首席奏者を務めた後、ボストン交響楽団の音楽監督を1949年から1962年の13年間務めたが、このCDの録音は、1957年10月と1958年2月にボストンのシンフォニーホールで行われたもので、丁度ミュンシュが音楽監督を務めていた頃の貴重な録音である。もともとボストン交響楽団は、伝統的にフランス系の音楽志向が強く、ミュンシュとの相性はばっちりであったことが、このCDの演奏を聴いたことだけでも分る。ミュンシュは、ドイツ国籍を持っていたが、ナチスの台頭に伴い、フランスに帰化したという根っからのナチス嫌い。このため第2次世界大戦後はフランス国民から英雄扱いを受け、絶大な支持があった。指揮ぶりは、純粋のフランス系指揮者とは一線を画し、ドイツ系音楽にも一家言持っていたことが、その後の名声を世界的にしたものと思われる。

 交響曲第4番「イタリア」は、メンデルスゾーンがイタリア旅行の印象をオーケストラ曲にまとめたもので、根っから明るい好感の持てるシンフォニーだ。ミュンシュは、そんな底抜けに明るい風景を描写するように軽快に第1楽章を指揮する。単に激情をぶつけるのではなく、颯爽としたその指揮ぶりに共感が持てる。第2楽章は、情緒たっぷりな演奏が、聴いていて耳に心地良い。過度な演出は避けるように淡々とメンデルスゾーン特有の明るいメロディーをオーケストラ全員が歌うが如く演奏する様は、自然体そのもといった雰囲気があたりに充満する。第3楽章は、舞曲のように曲が進みが、ミュンシュもボストン響も優美な演奏に徹し、わざとらしい演出を排しいるところがなかなかいい。第4楽章に入って、ようやくミュンシュ&ボストン響の情熱が一挙に爆発する。ただ、ここでも単に激情をぶつけるのではなく、あくまでシンフォニックに一音一音が舞い上がるように飛び散るような演奏は、かえってこのシンフォニーの奥深さを見せられるようでもあり、この録音の優れた側面を際立たせた演奏内容となっている。

 交響曲第5番「宗教改革」は、1830年の宗教改革300年祭のために作曲されたという交響曲である。交響曲第3番「スコットランド」や交響曲第3番「イタリア」は、有名な曲で昔からよく聴いてきた馴染みのシンフォニーであるといってもよい。それに比べ交響曲第5番「宗教改革」は、私にとって正直な話、あまり馴染みのあるシンフォニーではなかった。少なくともこのミュンシュ&ボストン響のCDを聴くまでは・・・。もともとこの交響曲は交響曲第1番の次に作曲されたもののようで、ルター派教会のアウクスブルク信仰告白の起草を記念した宗教改革300年祭のために作曲されたとあるが、門外漢の私にとってはこの辺の話は理解不能に近い。しかし、ルターのコラールやドイツの賛美歌が曲の中に使われている通り、宗教音楽としての威厳に満ちた雰囲気は、私にとっても好ましく聴こえる。若きメンデルスゾーンがこのようにも宗教的な荘厳さに満ちたシンフォニーを作曲したことに、畏敬の念さえもが湧き起こってくる。決して聴きやすい曲ではないが、その深みのある宗教的な雰囲気に浸ると、これまでのメンデルスゾーンの印象を一新させるほどの新しい魅力をそこに発見することができる。ミュンシュ&ボストン響の演奏は、そんな交響曲第5番「宗教改革」の魅力を最大限発揮させ、宗教的荘厳さの表現にものの見事に成功しており、説得力に富んだこの名演は、これからも残していかねばならない録音だなと感じ入った。(蔵 志津久)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする