高校生の時に読んだ、芥川龍之介の短編 「羅生門」「鼻」「芋粥」の三編をを集めた
薄い岩波文庫を見つけ出したので、それを読み始めました。古いので、各ページの紙は
白から薄茶色に変色してしまっています。
内容は三つとも周知されたものと思いますが、使われている漢字の難しいこと。
と言ってもひらがなや殆ど知っているものの中のいくつかですが。しかも、この本自体が
描かれたのは、ずっとずっと昔のことですが、印刷されたのは昭和35年(1960年)と
あるし、岩波文庫なので原文通りの表現そのもののせいでしょうから、今の表現に慣れ
きった自分は、少し読みづらいものがあります。若い頃は、まあそんなものだと思って
読んでいたのでしょうが。
古い字体そのままですので、正確に読むためにいちいち辞書を引きながら読んでいます。
高校生の頃は、どうやって読んだ居たのか。たぶん、買ったけど文字が難しいので、学校か
県立の図書館で、ふりがながあるものを読んでいたのかなと思っています。
それにしても昔の作家は難しい表現をしたものです。特に芥川はそうですね。むしろ、
その師である夏目漱石の方が読みやすいと思います。
読んでいると、忘れていたことはもちろん多いのですが、「あゝそうだった」と思い出す
こともけっこうあります。
この文庫本の厚さは、5mm程度の薄い本で、当時の定価で40円でした。巻末に書いて
あります。高校生の私には最も買いやすかった、たぶん最低価格の本だったと思います。
この上の値段は、岩波では覚えていないのですが、たぶん角川文庫で60円だったかなと
思います。高校生にも買える値段でした。
あの頃は、毎日5~6kmの砂利道を自転車で通っていました。だんだん交通量が増え、
特にトラックが多くなったので、学校に着いたとき、また帰りも家に着くと同時に学生帽も
服も埃を被ってしまい白っぽくなっていたので、二・三分はパタパタと手で埃を払っていた
ものでした。交通量が多くなってきて危ないと思ったのか、親はバスで通いなさいと言って
くれたのを覚えています。
そのような思い出もあります。
ところで、途中から思い出話しになってしまいましたが、その三編は細かい所は忘れて
しまっていましたが、概ねストーリーは覚えていました。大人が読む小説の面白さを堪能
できた初期の頃のことでした。楽しかったですね。話は芥川ではなく、漱石に移りますが、
その漱石の小説は、大学の卒業の頃に買って、全部読みましたが、なかなか面白かった
ことを覚えています。
しかし、忘却は敵ですね。大半は忘れてしまっています。読んでも無駄と思うことも
ありますが、それなら映画だって忘れてしまっているし、毎日のことなど殆ど覚えていず、
ごくたまに何の関係もない時に、とつぜん過去のとあるシーンをポッと
思い出すものです。人間の脳の不思議さを感じる時です。まあ、そういうことは「いろいろ
あるワイ」と思うことの一つですが。
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