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「ソウルの春」(2023年 韓国映画)

2024年09月04日 | 映画の感想・批評
 歴史的事件を題材にした力作がこのところ続いて公開されました。
 イタリア政界の大立者の誘拐事件を扱った「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」も秀作ですが、韓国の粛軍クーデターの一部始終をドキュメンタリ・タッチでなぞったこの映画もまた手に汗を握る展開です。
 1979年10月26日、強権独裁政権を敷く朴正煕大統領がKCIA(韓国中央情報部)の用意した晩餐会場において側近ともいえる金載圭KCIA部長の手により射殺されるという衝撃的な事件が起きました。
 ただし、この場面は映画では描かれません。暗殺の直後、まだ事実が公表されていない時点で国軍保安司令部(軍の諜報・犯罪捜査機関)が招集されるところから始まります。なにしろ、朝鮮戦争は休戦状態とはいっても、韓国の政情不安が明るみに出れば北につけ入る隙を与え、平壌からそう遠くはないソウルが再び侵略される恐れがあったからです。
 時の鄭昇和陸軍参謀総長は即座に合同捜査本部を立ち上げ事態の収拾に動きます。国軍保安司令部の司令官である全斗煥少将が職務上、本部長に就きますが、かれはハナ会という一種の派閥をつくり政治的野心をもっています。軍と政治を峻別する鄭参謀総長から見れば好ましくない軍人に見えたようです。
 補足しますと、わが悪名高き大日本帝国軍の誇りは政治に直接かかわらないことでした。それで、クーデターが起きると率先してこれを阻止したのです。おそらく軍事は純潔な使命だが政治は汚辱に塗れているという明治の軍人精神がまだ生きていたからでしょう。ですから、まともな軍人は政治に手を出すべからずという暗黙の了解があった(もっとも、横槍を入れて政権に嫌がらせするのは得意でしたが)。ところが、韓国の朴政権はクーデターによって成立しており、全斗煥もそれに参加した経験があるのです。東南アジア諸国を見てもクーデターで政権を掌握した例が多い点に注目してください。もし、自衛隊が国軍になればもはや明治の軍人精神などとっくに消滅しているでしょうから非常に危険だと、ぼくはそう見ています。
 閑話休題。話を映画に戻すと、全斗煥は戒厳令の敷かれた首都ソウルの警備司令官人事に口をはさもうとします。要するに自分に近い人物を希望するのですが、任命権者の戒厳司令官である鄭昇和参謀総長は不快感も露わに拒否します。むしろ、かれは自分と同じく軍人精神に徹した謹厳実直な張泰玩少将を任命するのです。全斗煥はこの人事が不服で参謀総長に私怨を募らせる。これがのちのち12月12日の「粛軍クーデター」の伏線となるのです。
 全斗煥は暗殺事件の捜査を口実に民主勢力や敵対する陣営を次々に拘束して拷問を繰り返す。独裁政権の終焉によって晴れ間が見えた「ソウルの春」にまたしても暗雲が立ちこめるのです。情勢を危惧した参謀総長は全斗煥の異動を決めますが、野心満々の全斗煥がやすやすと従う訳がありません。そこから、かれともうひとりの主人公張泰玩司令官とのガチンコ対決が始まるのです。この映画の肝はここにあります。
 それに、肝腎な時に駐韓米国大使館に逃げ込んで洞ヶ峠を決め込む国防部長官のだらしなさや、臨時大統領に就いた崔圭夏の良識ある温厚な性格がわざわいして逆に全斗煥に見くびられるなど、人物描写もよく書きこまれています。
 全斗煥を演じるファン・ジョンミンは美形スターの多い韓国にあって、むしろ性格俳優の地位を不動のものとするような活躍ぶりで、アクの強い全斗煥を熱演しています。クーデター阻止に動くヒーロー役(張司令官)に扮した二枚目のチョン・ウソンが損をしている印象です。まあ、いってみればファン・ジョンミンの役どころはプロレスでいう「ヒール」(悪役)の様相を帯びて、むかし子どものころブラウン管に映る“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックや“4の字固め”ザ・デストロイヤーに心躍らせた気分を思い出しました。(健)

原題:서울의 봄
監督:キム・ソンス
脚本:ホン・インピョ、ホン・ウォンチャン、イ・ヨンジョンほか
撮影:イ・モゲ
出演:ファン・ジョンミン、チョン・ウソン、イ・ソンミン、パク・ヘジュン