つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

いよいよです

2012年07月06日 01時33分33秒 | ぼやき
とうとう、第1回発表会の日が目前に迫ってきました。

何かしかし、ここまでの道のりは、決して楽なものではありませんでした。

久しぶりに「ロココ」のバリエーションを弾くのに当たり、鍛えたりする筋肉がありまして、その際、肉体の限界を超えないように(故障しないように)気を付けながら上げていかなくてはダメなんです。

こういうことは、しょっちゅうリサイタルやコンチェルトを弾いているソリストなら、あまり問題ない事でしょうが、僕のように時々ソリストになるような人は、一旦使わなくなった特定の筋肉をもう一度鍛え直して、演奏に耐えうる筋肉に上げていくことを強いられるわけで、実はこれが結構難しいことなんです。

極端な言い方をすれば、身体の機能は全て年齢と共に衰えているわけで、昔の状態に戻すことは、並大抵のことではないのです。うっかりすると、昔のように弾けなくなった事実に直面した時に、焦りや苛立ちや失望感などに苛まれてしまうのです。

実は、随分昔、留学中に既にこの手の問題にぶち当たり、イラついていたところを師匠にアドバイスしてもらいました。

昔のようにいかにカッコよく早く弾こうとするのではなく、すこしじっくり楽譜を読んで、そこに隠れているニュアンスを見つけ出し、それを演奏に表すことを考えたらどうか、と。(機能的 → 音楽的)

このことがあるおかげで、何度も挫折しそうになった時、立ち直れてきた経緯があるのです。

とはいえ、何でも乗り越えることが出来るわけではないです。

近年その手の故障が多いのですが、関節の故障や、指の組織が悲鳴をあげることがたまにありまして、それにより苦痛を伴うため、練習を一旦休まなくてはならなくなるのです。またそのリハビリの方法を探すのが、自分で考えながらのことですので、試行錯誤をしながらの先の見えない感じなのです。

今回はまた二つの新しい場所に問題が起きてしまい、それを壊さないように
、また上手に避けながらの演奏を強いられています。

やれやれです、全く。

音楽的演奏に逃げることが出来ない根本的なことなので、爆弾かかえているような、ある意味怖い状況なのです。

あれ、気が付いたら、皆さんを心配させるようなことばっかり書いてしまいました。

ああ、どうしてこんなことを言ってしまうのでしょう。

それは、あることに対する言い訳をしているからなのかもしれません。

実は、嫁さんに指摘をされて気が付いたんです。

無意識で娘に当たっていたのです。

悪いことをした!   そのことにまた、苛まれている自分があったのです。



明日からは、努めて褒めてやろうと思います。

あ、でもその前にまず、謝らないといかんでしょうなあ。


深夜に失礼しました。

では








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