西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

玉菊

2016-02-01 | 浮世絵
これは歌川国貞(3代目豊国・天明6~元治元・1786~1865年)
の浮世絵、「古今名婦伝・中万字の玉菊」だ。

梅素亭玄魚(ばいそてい げんぎょ)が記したとある。

玉菊とは吉原中万字屋の遊女の名で、
死後「玉菊灯籠」という年中行事になって、その名を残した名娼だ。

       


書き入れにそのいわれが書いてある。

「享保の頃 新吉原中万字屋の遊女玉菊は
 さばかりの美女にもあらねど その素性(さが)よきうまれにして
 諸人に愛せらるる事 廓中(くるわ)に比ぶものなし
 その頃 拳相撲(けんずもう)というをもっぱら流行せしが
 玉菊その上手のきこえありて 黒びろうどにて拳まわしを作り 
 錦糸をもて紋を縫わせ 拳相撲に用いしとかや
 享保十一年三月二十九日死す 年二十五才
 浅草光感寺に葬る
 此の年の新盆より 玉菊追善の軒灯籠を始む
 又 竹婦人(ちくふじん)俳人乾什(けんじゅう)が追善の浄瑠璃は
 三回忌の手向けなり
 玉菊も河東の三弦(さんせん)をよくひきしゆえ
 十寸見蘭洲(ますみ らんしゅう)催して 水調子(みずじょうし)を綴(と)じものにいたしぬ
 たまゆらの句に
 灯籠に なき玉菊のくる夜かな」

十寸見蘭洲は吉原遊女屋の主で、十寸見河東の跡を継いだ人物だ。
乾什も遊女屋の主で、河東節の作詞を担った。

玉菊は河東節の三味線の名人だったといわれているから、
三味線と唄本、それと無類の酒好きだったらしいから、チロリと盃も描かれている。
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