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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

鏡獅子―49

2009-06-14 | 曲目 (c)yuri saionji
春興鏡獅子―1


桜痴は「枕獅子」の歌詞を改訂、添削して、
前ジテは、上の巻「小姓」、後ジテは、下の巻「胡蝶」の二段構成とした。
作曲は杵屋正治郎、振付けは藤間勘右衛門(2世)。

まず、舞台となるのは大奥広間。
祭壇に、正月鏡開きの慶事の飾り物、一対の獅子頭が飾られている。
この獅子頭に獅子の精が宿り、後ジテにと移行するという趣向。

上手より、局と奧女中に手を引かれた小姓、弥生(団十郎)が登場する。


出は、この曲は”石橋物”であるぞ、と知らしめるためか、
杵屋六左衛門(10代目・1830年作曲)の「石橋」から樵夫の出の一節を拝借し、
弥生の自己紹介へと続けた。

『樵歌 牧笛の声」
 人間万事 様々に
 世を渡り行く その中に

 世の恋草をよそに見て
 我は下萌 くむ春風に
 花の東の宮仕え
 忍ぶ便りの長廊下』

(意訳)
「木こりは歌い、
 牧童は笛を吹く
 人間は実に、
 様々なことを生業にして生きている

 私は、花のお江戸の大奥勤め
 はげしい恋とは無縁だけれど
 密かに思う人がいるの
 その人から恋文が届いたばかりなの」


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚


鏡獅子―43

2009-06-08 | 曲目 (c)yuri saionji
英執着獅子―11

富十郎の「英執着獅子」は、題名こそ
「英獅子乱曲」(枕獅子)と似ているが、
内容も、構成も、2、3の”あんこ”を除いては、
菊之丞の2作目「夫妻(番)獅子」にそっくりだ。

この曲は、菊之丞作詞の芝居歌、「石橋」
の一部を省略したもので、現在は地歌「番獅子」として伝存している。

菊之丞は「番獅子」の後「相生獅子」「枕獅子」を作るのだが、
富十郎は「京鹿子娘道成寺」の時と違って、
一番最初の「番獅子」を下敷きにした。

富十郎は「京鹿子娘道成寺」を”道成寺物”の集大成として作ったのだが、
「英執着獅子」は、日本一の女形となった富十郎が
余裕の仕切り直し、という感覚で作ったのだろうか。

この後、”石橋物”の新作は出ず、
76年後の1830年に杵屋六左衛門(10代目)が、
外記節で「石橋」を出すことになる。
(4月18日~23日に記載あり)


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tea breaku・海中百景
photo by  和尚


鏡獅子―42

2009-06-06 | 曲目 (c)yuri saionji
英執着獅子―10


最後はお決まりの”シシトラ”。
「「夫妻獅子は括弧内の繰り返しあり)

『獅子団乱旋の 舞楽のみきん
(獅子団乱旋の 舞楽のみきん)
 牡丹の花房 匂い満ち満ち
 大巾裏巾の 獅子頭
 打てや囃せや 牡丹芳 牡丹芳
 黄金の蕊 顕われて
 花に戯れ 枝に臥し転び
 実にも上なき 獅子王の勢い
 靡かぬ草木も なき時なれや
 万歳千秋と舞い納め
 万歳千秋と舞い納め
 獅子の座にこそ 直りけれ』

(意訳)
「獅子団乱旋の舞楽の調べ
 牡丹の匂いはあたりに満ち
 牡獅子、牝獅子の獅子頭
 打てや、囃せや牡丹芳(舞楽の曲名)
 きらきらとした光に包まれ、文殊菩薩のお姿が…

 牡丹の花に戯れ、枝に隠れ遊ぶ、
 百獣の王獅子
 その勢いには、草木も靡く
 万世、長久を舞い納め、
 仏の座に、お直りになったぞ」

これで英執着獅子は終わりとなる。
富十郎の「石橋」は大当たりで、3ヶ月のロングランを打った。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚


鏡獅子―41

2009-06-05 | 曲目 (c)yuri saionji
英執着獅子―9


そして一旦、引っ込んだ富十郎は、
囃子事の”乱序”で再び登場。
扇に毛の付いた被り物(白頭・しらがしら)で、手獅子を持つ。
遊女から獅子の精に変身だ。

乱序とは、本来、能の囃子事で、獅子の登場に奏せられるもの。
瀬川菊之丞がそれを「相生獅子」に始めて取り入れてからは、
”獅子物”(石橋物)の定番として歌舞伎囃子にも定着するようになる。

鼓・太鼓・大鼓・笛のダイナミックなフレーズが続いた後、
一転して無音の静寂となる。
場内は静まり返り、事情を知らない客は「何事が起きたのか」、と
思った頃、
太鼓がかすかに「テンテン…」
鼓の調緒(しらべお)を絞める音だけがギギギ…と響き、
やがて鼓がささやくように「タッタッ…」

これは、牡丹の花からポタリと落ちる”露”を現している。
ゆえにこれを”露の手”と称す。

そして露の音は次第に大きくなり、
四拍子(鼓・太鼓・大鼓・笛)のクライマックス”総流し”となって獅子を呼ぶ。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚


鏡獅子―40

2009-06-04 | 曲目 (c)yuri saionji
英執着獅子―8


『朝な夕な…』
の小歌の後は、「夫妻獅子」に戻り、
「石橋」の場面となる。
この手法は「相生獅子」「枕獅子」ともに同じ。
ただし、歌詞は同じだが三味線のフレーズは見事に変えた。
このあたりが、作曲者杵屋弥三郎の腕の見せ所だろう。
杵屋の大番頭弥三郎は、昨年の「京鹿子娘道成寺」を作曲して以来、
家元代理としての使命に燃えている。
杵屋の親分、喜三郎(7代目)は残念ながら「京鹿子娘道成寺」
の江戸再演の前年に亡くなっている。
(括弧内は原文)


『牡丹に戯れ 獅子の曲
 実に石橋の有様は
 笙歌の花降り 簫笛琴箜篌
 夕日の雲に聞こゆべき(し)
 目前の奇特あらたなり
 暫く待たせ給えや
 影向の時節も
 今幾ほどに よもすぎじ』

(意訳)
「牡丹に遊ぶ獅子
 実に石橋のありさまは
 天空から妙なる楽の音が流れ
 花が降り、夕日の雲にきらきらと輝く
 今、菩薩影向の時がくる
 決して立ち去る出ないぞ」


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tea breaku・海中百景 
photo by 和尚