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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

長唄「繭の会」

2012-03-01 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
長唄「繭の会」


長唄「清和会」は、会員の増補をしながらも51年間継続され、
平成17年(2005)104回記念公演で閉会となった。

当時の会員は、昨年(2011)9月29日の、今藤文子を最後に、
皆物故されてしまった。

長唄「繭の会」は芳村伊十衛・今藤美知・杵屋静子・東音伊勢弥生ら
8名の会員により始まったが、
杵屋五峰が没し、今藤長十郎が入り、その後伊勢弥生・小合音枝が抜け、
現在は6名の会員で継続されている。
通算43年間、30代だった方々が今や70代後半だ。

「繭の会」はグループとしての結束が強く、
「繭の会」として積極的に女流長唄の仕事を開拓した。

そして「清和会」同様、女流の若手を大勢育て、戦力とした。
私もその中の一人で、お蔭をもって現在がある。


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photo by 和尚

長唄清和会 その2

2012-02-28 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
長唄清和会 その2


長唄清和会は年2回開催され、各流派から一門の女性若手が呼ばれ、
助演という形で舞台に乗った。
稽古では会得できない、いわゆる演奏という勉強をするのだ。

音楽は生き物だから、現場で何が起こるかわからない。
しかも長唄は大勢の人間が横一列に並んで、
タテの息に合わせて一つ曲を完成させるという、集団芸術だ。

ワキの役割、三枚目の役割、トメの役割と、
座る場所でおのおの役割も変わってくる。
こういったものは現場でしか、学べない。
私もまだ見習いの頃から、この会には何度か出させていただいた。

清和会は女性長唄人の自覚を促し、演奏家としての意識を啓蒙した。
ここで育てられた若者が、のちに(昭和44年・1969)長唄「繭の会」
を発足させるのだ。

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photo by 和尚

「長唄清和会」

2012-02-27 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「長唄清和会」


今藤長十郎(3世)には娘が3人おり、姉の綾子、その娘文子と、
身内には女性が多い。

綾子は父(2世長十郎)に手ほどきを受け、
14歳から父の代稽古をするほどの才女。
5歳上の稀音家幸と相通じる境遇だ。

幸が一門の「稀音会」を主催し、演奏家としても活躍するのとは裏腹に、
綾子は古来の常として、弟子の稽古を専らとする。

長十郎は伊十郎と相談し、超党派の女流長唄演奏会を発案。
今藤からは綾子の娘文子が、芳村からは門弟の伊四邦が参加。

昭和29年(1954)、6名の会員による「長唄清和会」が発足した。
各派混合の女流演奏会などというのは、前代未聞だ。

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photo by 和尚


7世芳村伊十郎 その2

2012-02-26 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
7世芳村伊十郎 その2


昭和39年(1964)にコロムビアから発売になった
「芳村伊十郎長唄大全集」は、
伊十郎長唄の総集編ともいうべきもので、
舞踊の地として日本全国の舞踊家の元に行き渡った。

伊十郎は昭和48年(1973)に73歳で亡くなったが、
その後に輩出した名人たちを差しおいて、
未だに名前が色あせないのは、
芸や風貌もさることながら、
やはり出回っている圧倒的なレコードの枚数だろう。

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photo by  和尚


7世芳村伊十郎 その1

2012-02-25 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
7世芳村伊十郎 その1


昭和28年(1953)、NHKがテレビ放送を開始。
日本のエンターテイメントは一気に茶の間へとなびく。

長唄の演奏や歌舞伎なども、居ながらにして楽しむことができるのだ。
時代は変わる。

この頃一世を風靡していたのが、芳村伊十郎(7世)。
NHKの録音はいうに及ばず、日本コロムビアからも数多のレコードを出している。

合三味線は杵屋栄蔵(3世)・山田抄太郎・今藤長十郎(3世)
など、今を時めく名人たちだ。
芸風の違う三味線弾きと組むことで、
思いがけない芸が生まれる。
伊十郎はその偶発的な効果を期待したのだろう。

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photo by 和尚