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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

蜘蛛拍子舞

2010-06-14 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
98-「蜘蛛拍子舞」その2


剣問答の拍子舞は、名刀工の名前づくし。

『初行平を眺めんと 猪牙で長船
 四つ手に則宗
 ようよう三條宗近と
 客は女郎に寸延びて
 他所で口舌を島田の義助
 座敷も新見の付け焼き刃
 文殊四郎の知恵借って
 内外の手前を兼光が
 まだ居続けはさりとは長光 大酒に
 青江の四郎が 捩上戸』

●初めての吉原詣。
 船で押そうか、駕篭に乗るか。
 ようやく参上したというのに、客は女郎に待ちぼうけ。
 文句を言うやら、怒るやら。
 座敷遊びもにわかの仕込みでさもありなん。
 文殊菩薩のお知恵を借りて、見世と客との面子を立てたら、
 おいおい、大酒くらって居続けかい。
 どうやらこいつは、説教上戸だぞ。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

蜘蛛拍子舞

2010-06-13 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
97-「蜘蛛拍子舞」(くものひょうしまい・1781・天明元年・中村座)その1


蜘蛛の祟りで、病に臥せっている源頼光のもとに、仇をなさんと現れた妻菊
(三條小鍛冶の娘・実は葛城山の女郎蜘蛛の精)。
色仕掛けで頼光に近づきチャンスを伺うが、
拍子舞を踊っているうちに、名刀膝丸の威徳で本性を現し、消え失せるという趣向。

この所作では膝丸が重要なポイントとなるゆえ、拍子舞も剣問答と洒落る。


『千早振りにし昔より
 恋に片刃の片思い
 浮き寝の鳥も寝ざめして
 氷に映るつるぎ刃は
 冴えた中ごとよい金性を
 枕詞に真金吹く
 吉備の中山なかなかに
 千束に余る文ならで』

●昔から、悲しいかな遊女の恋は片思いと相場が決まっている。
 氷のようにクールでいい男は、純な女と相性がいいのさ。
 だから枕を並べて寝るまでには、千通もの手紙を書いたものさ。

これは妻菊が、頼光を色仕掛けでたぶらかそうとしているところ。
刀剣の関連用語で、クドキを綴るところなどは、さすが桜田治助。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

一人椀久

2010-06-12 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
96ー「一人椀久」(安永元年頃とのみ・森田座か)


椀久とは、椀屋久右衛門のことで、大阪御堂筋の豪商の若旦那。
椀久は新町の遊女、松山にぞっこんで、父の遺産を湯水の如く注ぎ込んでの遊蕩三昧。
それが親類縁者の知れるところとなり、京五条坂屋敷の座敷牢に入れられてしまった。
松山に逢えない苦しさから、椀久はついに発狂、縁者にも見放され
竹杖にすがって、洛中を松山恋しとさまよい歩く哀れな身の上となった。

椀久と旧知の間柄だった、寺の息子須賀千朴(後の都太夫一中)は
自分の使っていた炮烙頭巾と、黒の十徳(赦の羽織様のもの)を着せてやった。
その装束が、後に一連の“椀久もの”定番の衣装となる。

“椀久もの”でポピュラーなのは、「二人椀久」だ。
椀久に、松山の幻影が絡むところから、“二人”と付いた。

この曲は”一人”ということで、松山は登場しない。 
実はこの時、市村座の瀬川富三郎(後、菊之丞3代目)が
「二人椀久」を出して人気を独占していた。
女方としては、地位も名誉もキャリアも上の中村富十郎が
「このやろう!」と、対抗して出したのが「一人椀久」ではなかろうか。


『今は心も乱れ候
 末の松山思いの種よ
 何時の頃より逢い馴れ染めて
 通う心を可愛いと思え
 さりとはさりとは
 あのや椀久は 
 これさこれさ鼓の皮よのう ほんに
 しんぞ此の身は 是さ是さ打ち込んだ
 兎角恋路の濡れ衣』
 

●ただただ松山が恋しいと思うあまりに、今では心がおかしくなってしまった。
 いつからこんなに夢中になったのだろう、
 なんとまあ、あの椀久は、鼓の皮よのう。
 心底その身を打ち込んで、どうにもこうにも、恋は情事ですぞ。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

面かぶり

2010-06-11 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
95-「面かぶり」(1767・明和4・市村座)


この曲の正式名は「童子戯面被」(わらんべのたわむれのめんかぶり)という。
源家の宝刀、鬼切丸の精霊が童子の化けて、色々な面を被って踊るという趣向。


『坊さま坊さまと 名ばかり坊さま
 法衣いやなり 女郎衆と寝たし
 それで坊さまと 言わりょうものか
 それさそれさ そうさんせ』

子供が坊主をからかっている、という体の歌詞。
昔からこういう坊主はたくさんいたのだ。
聖なる職種ほど人格落差の激しいのは、古今東西人の世の常。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

鷺娘

2010-06-10 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
94-「鷺娘」(1762・宝暦12年・市村座)

仏教の教えによると、人間は生前の善悪の業により、
六つの迷界と十の悟界に振り分けられるそうな。
迷界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道。

この曲は、成就しない恋の業により、畜生道に落ちた娘が、
鷺に生まれ変わるが、未だ男への執着断ちがたく、
その怨霊が娘に化身して現れ、男への恨み辛みや、娘時代の回想を見せるというもの。

もちろんこれは冥界のルール違反で、最後は凄惨な地獄のセメを受けることになる。 


『須磨の浦辺で汐汲むよりも
 君の心は汲みにくい さりとは
 実に誠と思わんせ

 繻子の袴の襞取るよりも
 主の心が取りにくい さりとは
 実に誠と思わんせ
 しやほんにえ』

須磨の浦で海水を汲むより、繻子の袴の襞を取るより、
あなたの心はつかみにくいといって、すねる娘。
娑婆ではこんな楽しい一時もあったのだ。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚