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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

明治の芸者

2019-01-29 | 浮世絵
これは小林清親(こばやし きよちか・弘化4〜大正4・1847〜1915年)の
浮世絵だ。
制作年は明治17(1884)年、タイトルは「武蔵百景之内 不忍弁天」とある。
池に浮かぶ建物が弁天堂だろう。
芸者がいるのは傍の料理茶屋か。

大鼓があり、三味線のばちがある。
宴の前だろうか、芸者も簡素な着物だ。

  

芸者

2019-01-28 | 浮世絵
これは豊原周延(とよはら ちかのぶ・天保9〜大正元・1838〜1912年)の浮世絵だ。
制作年は明治2(1869)年、タイトルは「春色三十六会席 新吉原海老長」とある。
花魁は松本楼の今紫、芸者は西田屋のまつだ。

芸者が腕をなめているので、これから三味線を弾くのだろう。
これは胴の上にのせる腕が滑らないようにするためだ。
今のように滑り止めの胴ゴムがない時代の風習だ。
    
   

  

東京日日新聞

2019-01-25 | 浮世絵
これは落合芳幾(おちあいよしいく・天保4〜明治37・1833〜1904年)
の浮世絵だ。
制作年は明治2(1869)年、タイトルは「春色三十六会席 柳島橋本」とある。
これは彼が創案した新聞錦絵というもので、江戸時代の瓦版のような物だ。

  
  
書き入れが面白い。
色気ばばあの成れの果てみたいなことが書いてある。

「三十振袖四十島田 それにも勝る一奇話(いっきわ)は
 三千年も若かりし 彼の浦島に因みある 神奈川県下小倉村に
 素麵屋源兵衛が養母おたきは 今年八十七なれど元来浮気の性にして
 今に二上り三下り 湯上がり粧う白粉の 恋にへだてはなきとても
 弥助と言える職人と いつしか露と寝たという
 アレ寝ぬという 風説が主人の耳に入りしかば 世間の口を留めんと
 弥助へ暇(いとま)をやりしかば 
 それよりおたきは恋煩い 明け暮れ弥助の噂のみ 大声あげて言うものから
 狐憑の障碍(しょうげ)と家内一統
 こちの御祈祷 かしこの窺い されどしるしもなきものによらず
 身体次第に衰えて やや骸骨の如くなりしと」

芸者

2019-01-23 | 浮世絵
これは豊原周延(とよはら ちかのぶ・天保9〜大正元・1838〜1912年)の浮世絵だ。
制作年は明治2(1869)年、タイトルは「春色三十六会席 大代地 巴三新」とある。
三味線を弾いている芸者は柳橋のはん、踊っているのがこひなだ。

   

書き入れは
「巴○の名は 河東節にきこえて 助六が尺八とともになりたり
 巻五番の名○ 割烹に知られて 友切丸といえども 
 包丁の切れ味をしめせり 遠くは八王子の墨かきも その腕前の黒きにおどろき
 近くば 山谷の梅干しならで 粋客おそろ感心し もんべいもどきに 
 せたをやくぐらん」

河原崎権十郎

2019-01-18 | 浮世絵
これは落合芳幾(おちあいよしいく・天保4〜明治37・1833〜1904年)
の浮世絵だ。
制作年は明治2(1869)年、タイトルは「春色三十六会席 柳島橋本」とある。
文久2(1862)年、タイトルは「わちがいや五郎兵衛 河原崎権十郎」「古手や八兵衛 関三十郎」とある。

権十郎はこの絵から12年後に、9代目市川団十郎を襲名する。