2020年1月24日 9:30付けの朝日新聞DEGITALで坂本城跡の発掘調査が実施され
その結果「三の丸の推定値から城の遺構は見つからず水晶などの玉作り、石造品
の加工をしていたと推定される人達の作業場や住居と思われる建物礎石や井戸跡
などが発掘された」と大津市教育委員会文化財保護課から1月23日に発表された。
上記の記事が報道されました。
上の写真は上述の朝日新聞が作成した発掘調査の場所と坂本城の縄張り
現地説明会は1月25日に実施されました。
現地説明会資料は下記のとおり。
https://www.city.otsu.lg.jp/material/files/group/67/r2sakamoto.pdf
上記の説明会資料より過去の発掘調査の場所と坂本城の縄張り(推定)
について一部加工して添付しておきます。
坂本城は元亀2年(1571)比叡山の焼き討ちのあと、織田信長に命じられて明智光秀
が建てた城です。光秀は比叡山焼き討ちの功労として近江国滋賀郡が与えられた。
坂本城は天正8年(1580)に改築されたが天正10年(1582)の本能寺の変の後、
炎上したが、同年に丹羽長秀が羽柴秀吉の命により坂本城は再建された。
天正11年(1583)杉原家次が城主となり、同年浅野長政(長吉)が城主となった。
天正14年(1586)浅野長政が棄城し、大津城に移転するまで存在した。
上記のように坂本城はわずか15年しか存在しなかった。
2020年3月3日に大津市の坂本を訪問して下記のブログ(10回シリーズ)を作成しています。
この中で第1回に坂本城本丸跡について書きました。
このブログも参照していただければ幸いです。
大津市坂本 明智光秀の所縁の場所訪問記 on 2020-3-3 その10(最終回) 光秀の菩提寺「西教寺」
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