2025年3月11日、岡崎城跡の岡崎公園を散策してきました。
見所が沢山あるのでシリーズとして書いていきます。
本日はその第5回として龍城(たつき)神社をお届けします。
シリーズ記事のIndex

上の写真は龍城(たつき)神社拝殿の近景
公式サイト
御祭神
- 徳川家康公(東照公)
- 本多忠勝朝臣
- 天神地祇
天の神(天照大神・スサノオノミコトなど)
地の神(国土の神:大物主神・猿田彦大神など) - 諸国英霊
戦争で活躍された兵士さん
龍城神社の歴史
公式サイトより引用転記
1452年(宝徳4年)
三河国守護代、西郷稠頼が岡崎城を築城した際、城の井戸から龍神が現れ昇天した。
以降、天守に龍神を祀り、城の名を龍ヶ城と称した。
1543年(天文12年)
徳川家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び、風を招く金の龍が現れたという伝説が残る。
家康公は戦乱の世を鎮め、泰平の世を築く。その偉業を称え、城内に東照宮を奉祀。
1766年(明和3年)
岡崎藩主本多忠粛は、本丸に本多忠勝公を祭神とする映世神社を祀る。
1876年(明治9年)
東照宮と映世神社を合祀。龍城神社となる。
1962年(昭和37年)
社殿再建を機に、天神地祇、岡崎市旧領の護国の英霊を合祀した。

三河国守護代、西郷稠頼が岡崎城を築城した際、城の井戸から龍神が現れ昇天した。
以降、天守に龍神を祀り、城の名を龍ヶ城と称した。
1543年(天文12年)
徳川家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び、風を招く金の龍が現れたという伝説が残る。
家康公は戦乱の世を鎮め、泰平の世を築く。その偉業を称え、城内に東照宮を奉祀。
1766年(明和3年)
岡崎藩主本多忠粛は、本丸に本多忠勝公を祭神とする映世神社を祀る。
1876年(明治9年)
東照宮と映世神社を合祀。龍城神社となる。
1962年(昭和37年)
社殿再建を機に、天神地祇、岡崎市旧領の護国の英霊を合祀した。

上の写真は龍城神社の遠景
天守のすぐ近くに立地しています。

上の写真は拝殿の上部に掲示の龍の絵馬

上の写真は拝殿の天井部の龍の彫刻

上の写真は手水舎