2025年3月11日、岡崎城跡の岡崎公園を散策してきました。
見所が沢山あるのでシリーズとして書いていきます。
本日はその第4回として家康公遺言碑と龍の井をお届けします。
シリーズ記事のIndex
家康公遺言碑

わが命旦夕に迫るといへども、将軍斯くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず、億兆の民艱難することもあらんには、
されども将軍の政道その理にかなわず、億兆の民艱難することもあらんには、
たれにても其の任に変らるべし、
天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務を
天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務を
とりたりとも四悔安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより、
家康が本意にしていささかも、うらみに思ふことなし
元和2年4月17日 家康公甍75歳於駿府城
大樹寺57世 宏天 謹書
元和2年4月17日 家康公甍75歳於駿府城
大樹寺57世 宏天 謹書
元和2年(1616)4月17日は家康の亡くなった日ですので枕元で語った言葉を
家族か家臣が文章にまとめたものと推定されています。

上の写真は岡崎城天守の入口付近にある家康遺言碑の位置を示したものです
龍の井

龍城神社の、岡崎城との境目、東照公遺訓碑の横に、「龍の井」という井戸があります。


出世開運 龍の井
康正元年(1455年)岡崎城竣成の日、龍神の出現により、別名を龍ヶ城とした。
天文11年(1542年)、家康公、城内にご誕生の刻、金の龍が昇天したと伝える。
吉兆の度に、この井水が噴出し、龍神に注ぐ不可思議にこれを祈り、出世開運の井と称えられている。
康正元年(1455年)岡崎城竣成の日、龍神の出現により、別名を龍ヶ城とした。
天文11年(1542年)、家康公、城内にご誕生の刻、金の龍が昇天したと伝える。
吉兆の度に、この井水が噴出し、龍神に注ぐ不可思議にこれを祈り、出世開運の井と称えられている。