解き放つ

今朝、ある会で講話の順番が回ってきました。
順番なので受けるしかないのです。

朝6時からの倫理の勉強会です。
ここまで倫理と縁遠くなったものが
何故に・・・と思いながらも
順番ですので^_^;

私は頭の引き出しから
多くのそれらしきものを引っ張りだしてみたけれど
それは、どれも私を賢く見せる演出で
今の私とは無縁な事を悟りました。
実際今回の講演は一週間間違えてましたし^_^;
こんなです。

そんなことで
今回は自分の裸を見せるしました。
モチロン心の裸ですよ^_^;

今私が倫理観を壊したい
自分を縛るもの達を破り捨てたいと
そんな思いを話そうと思っていたのですが
いったい何を話したか・・・
よく覚えていません^_^;
きっと緊張していたんだと思います。
人前で話すのが大変苦手ですから。
でも人はそう思っていないところが
ちょっと分からない所です。

朝の7時には終わるので
いつも通り子供を送り出し
ちょっとすっきりした自分が居ることが
なんだか良い感じなので
ブログを書いてみました。

自分自身を縛り付け
がんじがらめにしていたものは
やはり自分自身だったことを実感したからでしょう。

考えてみると
私は誰からもこうしろ!
なんて言われていないことに気がつくのです。

家族でも、友人でも
私の意見や我ままが通らないなんてことが
無かったことを思い出しました。
またそんなぎりぎりの我ままのラインを
自分で知っていたのでしょう。
まあ確かに人より何故か許される人間環境の中にいたのは
確かな事ではありますが・・

私はたぶんかなり自由の中に居ました。
沢山の豊かと思える中に居ると
逆に見失う事があります。
生暖かな所に居ると
それでいい気がするのです。
一様一日が終わり明日が終わり
変わりなく目の前の処理が出来ればよかったのです。

私がこんな自分嫌だなぁ~
なんて言う自分を
誰も望んではいない。
私が履き違えていたのです。

私が長年に渡り
間違った思い込みを自分自身に刷り込み続けてきた事に
気がつき始めていました。

自分を置き忘れ
人の想いを履き違え

だから
もう気楽に行こうかと思います。
自分の心の喜ぶことをしながら
その中で少しづつ自分自身が
何を望み何を求めているのか
それを探して行こうかなと思います。

人とは違ってもいい。
人が見えるものが今は見えなくとも
自分自身でしか見えないものが見えていれば
前に進める事に気がついたのです。

誰も望んでいなかったこの自分の今までの仕上がり
ちょっと良い人
ちょっと幸せな人
ちょっと賢そうな人
ちょっと自信のありそうな人
ちょっと良い女を
演じ違えていたのです。

人の目の中の自分を自分自身の価値としていたのは
いつも自信がなく
いつも自分がダメな人間と思っていたから・・・
そんな自分から目を背けたかったのです。

そんなことを言いながら
自分を、とことん嫌いではなかったんですが、
それでも
いつも否定してました。

でも自信は人に見せるものではなく
自分の中に存在するものだと
解ってきたのです。

私はこんな私で良いかなと思えてきたのです。
下手くそな生き方しか出来ない。
それでいいのかなってぁ~って

誰かに認めてもらうんじゃなく
自分自身に認めてもらうことのほうが
私にとって
一番大切なことに気がついたのです。

それでもまだ
人の気持ちが気になったり
そんなものに翻弄されたりはします。

人より多く迷い
人より多く頭をぶつけ
まったく面倒臭い生き方しかできないのが
それが自分だから・・・

そんな自分がこの世に居ることも
まんざら悪くないかなってね(^^)v

進んで、戻って、止まって、
そんな半歩づつ進む人生もありかなって・・・

今回の講演で
本当に不思議な事が一つ
人前で話した後は
いつもその評価が
気になって気になって仕方なかったんだけど
今回はぜんぜん気にならない。
しゃべった内容も覚えてないのに
何だか気持ちがよいのですよ。
人の評価を気にして自分の言葉を選んだんじゃないから
自分の言葉を自分で伝えただけだから・・・
そして最後に心からの
「ご静聴ありがとうございました。」
を言えたからだと思います。

自分に素直になれることが
きっと今の私を「解き放つ」ことだったんじゃないかな
と思いました。
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