形あるもの

本日インターネットを見るための部屋
「電話室」のアンティークのガラスが壊れました。

お子様にはお怪我が無くてなによりでした。
お子様は時として想像の出来ないことをします。
昔からそんな生き者です。
管理人もきっとそうだったと思います。

小さな子供は大人の目線・考えなぞの住む
そんな狭いところにはいません。
子供にしか見えない世界があるのです。
それが小さな子供の特権です。

形あるものは壊れてゆきます。
でも価値はそんな壊れるものが
長くに渡りそこにあると言うことです。

景徳鎮の鉢を持ってます。
2000年前くらいのものです。
薄いその磁器は時々
お茶会の菓子器などで使用しました。
この鉢との出会い自体も奇跡と思ってます。

管理人は
これらのものを「強運」の持ち主と思ってます。
形あるものは壊れるけれど
こうやって長きに渡り生き続けるもの達は
強運の持ち主以外の何物でもありません。
その強運を皆様にお分けしたいと思ってます。

時々お客様が
勿体無いとおしゃいます。
そんな事はありません。
それらは、彼ら自体の力で此処にいます。
彼らが天命・使命を終えるときは静かに果てます。
大事に箱の中にしまっていても
皆さんが暖かく触れても同じです。
せっかく此処までの長生き
その時代時代の人々と共に生きて行くのも面白いと思うのです。

電話室のガラスはとても残念でしたが
このガラスの偉いところは
さすが、強運の持ち主だけあって
誰も傷つけることなく
果てたことです。
いや果てたと言うほどではありません。
欠けたという感じですが・・・

そんな電話室のガラスを
どうにか、再生しようと考えてます。
「電話室」の字はそのまま生きているので
きっとまだこのガラスは使命を終えてないのかも
しれないと思いつきました。

傷ついたところも良き思い出になるように(#^.^#)

管理人の想いと
大正時代の職人の想いが触れる時です。
まあ、ちょっとくらいカッコ悪くてもお許しくださいね!
それも愛嬌と思ってくださるように
愛を込めて傷をつなぎます。

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