無念

「え!!」
調理場で電話を取った私の
悲鳴のような大声に
スタッフ一同が集まった。

「京子先生が亡くなった」

夕食まで後30分。
これから3時間は集中力が欠ける事は許されない。
スタッフも無言で頑張った。

私はただただ集中した。
初めの涙を飲み込むと
もう涙は出る陰もない。
それでも、
飲み込んだ想いが胸を突いた。

彼女の事は考えていないのに
胸が痛くて痛くて
大きな声で皆に仕事を確認しながら
息を吐き出す事で
痛みを吐き出そうとした。

包丁の先が震える
深呼吸をして
集中した。

何度も何度もお品書きを読み確認し
集中した。
胸を痛みが突き上げる。
声がますます大きくなる。

ただただ料理の事を考えた。
味見はことの他、集中した。
微妙な味が良く分からない。
何度も口を濯ぎ味を見る。
引いたばかりのだしが
物足りないく感じる。
スタッフに味見を頼んだ。
美味しいと言われホッとする。

無事終わった。
一生懸命に仕事に集中をした。

スタッフに任せ、部屋に戻る。
放心状態になった。

長く空けてしまったお見舞い。
時折気になった。
いやいつも気になっていた。
彼女の好きな黒米をおかゆにした時も
持って行けなかった。
結局彼女を想いながら一人で食べた。

治ると信じて、疑わなかった。
急ぐ事は何もなかった。
でも確かにとても気になっていた。

今週の木曜日に共通の友人と彼女の元へ行った。
彼女は個室に移っていた。
彼女以外、誰も病室に居なかった。
友人が先に入った。

遠目でも、彼女は変わり果てていた。
私は怖くて後ずさりした。

彼女はたくさんの管と繋がってた。
友人が声を掛けると
目を開けた。
友人の声に
うんうんとうなずいて聞いていた。

その後、私が彼女の顔の前に行った。
声を出そうと思ったが、出なかった。
暫くして
彼女の焦点が私の瞳にしっかり当たった。
その途端
彼女は片腕を目の上に乗せ
動物のような声で泣いた。

もう一つの手は
ナースコールを握らされていた。
いや握っていた。

彼女のアザだらけの腕が
彼女の小さくなった顔の殆んどを隠した。
口だけが放たれ
声が響き渡る。

動物のように響く声は
彼女の無念の声以外の何物でもない。

長く響き渡るその声と一緒に
私も変り果てた彼女に泣いた。
初めて見た彼女の泣く姿は
地響きのように私の胸を揺さぶり
彼女は死んでしまうかもしれないと
そう思って怖くて
わけの分からない現実に泣いた。

彼女の足を摩ると
怖いほど腫れていた。

かわいそうで
かわいそうで
涙が止まらなかった。

友人が彼女の腕を顔から外した。
涙は枯れていた。
目じりを少しだけ涙がぬらす。

彼女にお水飲む?と言うと
うんとうなずく。
口に水を運んだ。
少しづつ飲む。
彼女の舌が別の生き物のように動いた。

目を開けた彼女の
瞳の奥の言葉にならない
言葉が無念を語る。

そして
彼女の唇が動く・・・
ありがとう
ありがとうと
何度も何度も
声にならない声で言った。

何か言おうと思ったけど
頭が真っ白で、声が出ない・・・
友人にその場を譲った。

旦那様が病室に見えた。
「また来るね!」
目一杯いつもの元気な声で言って病室を後にした。

その後も彼女の動物のような
無念の音が耳から離れなかった。
彼女の瞳の奥の声が胸が突きつづけた。

私は、かき消し続けた。
何度も何度も・・・

私は、彼女にだけ、やきもちを妬いた。
彼女が大好きだったから
あまり他の人ばかり褒めるとやきもちを妬いた。
彼女はそれを楽しんだ。
「あんたなんかまだまだ」と平気で言った。

寂しくてしょうがない時は
いつも彼女のところに行った。

彼女のところは落ち着いて
そこはとても良い場所だった。
でも、それは私ばかりでなく
多くの彼女のフャンがそう思っていたに違いない。
博学でセンスが良く
60歳の人生を自分を偽ることなく生きた。
肩書きなんかにとらわれず
自然体で伸びやかでチャーミングな彼女のフャンは
本当に多い。
裏表がない彼女。
多くのフャン達は、心底彼女を愛していた。

なんと言っても
人形作家としては
日本一と心から思っている。
人間としても
最高な女性だ。

話せない事はなかった。
この世で一番甘えた。
とても居心地が良かった。

誰よりも、ずっと彼女に甘えた。
彼女の横で赤ちゃん見たいに眠った。
幸せだった。
彼女が大好きで大好きで
本人にも大好きと伝えていた。

彼女と逢えた年は
貴女に出会えたことが一番の収穫と伝えた。
神様のご褒美だとも・・・
本当にそう思った。

いつも
馬鹿だちょんだと言われ続けた。
無知な私に、勉強をしなさい!!
と真剣に訴え続けた。

いつも本気で怒ってくれた。
よく怒られるので
それが嫌で暫く連絡しないと
連絡がある。
「元気にしてるの?
また怒られると思ったんでしょうぉ~」
なんでもお見通しだ。

大好きで
大好きで
誰よりも甘えた人でした。
心も体も癒される人でした。
料理が上手で
いつもとても美味しかった。

彼女の居ない私はどうなんだろう?

誰かがダメかもと言っても
彼女には不滅のオーラがあった。
逢えばいつも同じ彼女が居た。
病室でも同じだった。
彼女は、生きると信じてた。
だから私も疑わなかった。

私はもう
甘えるところがない。
泣く所がない。
大好きと言う所がない。
伸び始めた鼻を折り続ける人が居ない。

私は彼女に何も伝えていない。
勝手に「ありがとう」なんて
それは・・・・ダメだよ。

私は何を伝えたかっただろう?
最後と言われ
きっと子供みたいに
「行かないで!」と叫んだに違いない。

最後まで彼女に甘え
何も言葉に出来ないだろう。
自分の身体より
私の身体を心配してくれた。

彼女に何を伝えたいのだろう?

「あなたが大好き。」
いつもそう言っていたように
またその言葉を繰り返すだけかもしれない。

意地悪な彼女を思い出した。
「そんなに私が好きなら
私が死ぬ時一緒に死ぬの?」
「え~・・・
・・・死ねない・・・」
「馬鹿だねぇ~。冗談だよ」
「あ!また馬鹿って言ったぁ~!!」

まだ病気と縁のない昔々の会話だった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )