兄、姉、弟
「なんで急にあの二人のことを気にかけ出したんだ?」
素子が基成勇二の顔色を伺うように口を開いた。
「なんとなくね。」勇二は涼しい顔で牡丹から淡い色のシャンパングラスを受け取る。
「気にかけとくのも、私の仕事かしらと思って。」グラスの中身を口に含み目を閉じた。
「守護天使様から聞かれた時にすぐに答えられるようにですか。」
執事姿の牡丹が無邪気に答え、とりどりに趣向を凝らしたカナッペの乗ったお皿を差し出す。
「美豆良の方はわからない。」高級シャンパンとつまみを味わう基成勇二を見つめたまま素子が続ける。「遊民どもは口が固い・・・と、いうか、関心が低い。鬼来マサミの方は5日ほど前に目撃されたのが最後で、ここしばらく不法遊民の風俗ビルに戻ってないようだ。」
「あら。」勇二は目を開き、素子を見つめる。「二人は一緒にいないのぉ?」
「そのようだ・・・」素子は勇二としばらく視線を合わせた後、逸らす。
「小惑星帯で異常を捉えた、と言う話を聞いたか?」
「タトラを通じて?いいえ、ぜんぜぇん!」拗ねたように口を尖らしてみせる。
「ほら、私はさぁ、あなたと違ってあちらからの評価はまったくぅ、だもん。私の情報は守護天使さまを通さなければ・・・連邦じゃ陸の孤島と同じなのよ、でしょ?」
「どうやら例の風俗ビルで戦闘があったらしい。」
「あらっ、ヤダ!こわ~い!」「もしかして、次元戦ですか?」
勇二は身震いし、牡丹は目を輝かせる。
「小惑星帯が捉えたってことは・・・不法移民同士の小競り合いとかですよね?」
「詳細はわからない。タトラが協力組織の方から探りを入れさせたが、移民たちはもともと口が固い、というか、やはり終わった事象に関心が薄いんだ。ただ、どうやら死人が出たらしい。」「死人?」勇二の眉間にシワが寄る。
「それってまさか?姉様、鬼来美豆良が死んだってことですか?」牡丹はあくまで屈託がない。
「それって、大変!兄様、ただ事じゃありませんよ!ショックすよね?」
「・・・まぁ、美豆良は、ねぇ?自分のマザーに従っただけだけど。もともと、連邦を相手に策略を巡らす度胸があるっていうか、危険を弄びがちな、ああいう子だしさ。」
「確か、魔物が憑いていたはずだが。」イリト・ヴェガが大好物である魔物、次元生物。
素子の問いを無視し、勇二はサーモンとチーズの乗ったカナッペを口に放り込む。
「私が心配なのはぁ、マサミちゃんの方よ。美豆良は死んだって、まぁ、それなりっていうか・・・自業自得な感じだから。」
「そうだな。」
「ここに来ると可能性は・・・高いからね。」
「・・・・」
素子は重いカーテンを少し開き、無言で下を見おろす。マンションの玄関から岩田譲と本田ミカが並んで帰る傘が開く。黒々としたの森と重い垂れ込めた雲との隙間にはまだかすかに落日の残照が残っている。その光で上空から公園の池がかすかに光って見えた。そしてその曇天から・・・
「雨が降ってきたようだ。」
その言葉に霊能者と執事は揃って天窓を見上げる。執事がポットを丁寧にテーブルに置いた。
「もし、ここに現れたら・・・兄さま、どうするんですか?」
どうしようか。基成勇二は頭を巡らせた。もう他に頼れる人間はこの星にいないのだ。
しかし、ここには鬼来マサミのかつての同僚、岩田譲が出入りしている。霊能者基成勇二は煩わしいことであると感じていた。しかし内なるデラは・・・。
ため息をつく。
「性別が違ってるから・・・どうにかごまかせるかもしれないけど。」
素子はまだ下を見ていた。窓辺へ執事姿の牡丹が歩み寄る。
『姉さま、ひょっとして黙って始末しちゃおうとか、考えてます?』
驚いたことに牡丹は意識で話しかけてくる。素子は振り向くとギロリと睨みつけた。
『そこまでの価値があるか?』
「ちょっと、そこ、聞こえてるわよぉ!」勇二があくびの腕を伸ばしながら声をあげる。
「私をなめないでよね。何よ、聞こえよがしに!」
「あっ、やっぱり兄さまには聞こえちゃいましたか。ダメでしたね。」牡丹が舌を出す。
「兄さまの能力を見くびってました。」
基成素子は無言で不機嫌な顔のまま、踵を返して部屋を出て行った。
「油断ならない執事さんね。」彼ら二人の兄とされる霊能者は、機嫌は悪くない。
「申し訳ありません、兄さま。」すまなそうに殊勝に頭を下げる『弟』だが。
背後にいるのは神月にいるタトラだろう。笑顔の執事も素子を追うように音もなく姿を消した。
基成勇二はテーブル置かれたポットから手酌でお茶を注ぐ。
素子は記憶を失ったクローンである鬼来マサミには優しかったが・・・オリジナルにはどうだろうか。牡丹はどちらにも無関心だったはずだ。
口に含んだお茶はまだ温かく芳醇な風味が広がる。
『素子より牡丹の方が無害そうに見えるだけに・・・困ったものね。』