大円団? 霊能者事件を語る
「だから、変態男は自分に取り付いた悪魔のせいだって言っているらしいんですよ。」
岩田譲が熱心に話しかけている。「それって、ずっと前に魔物が取り付いて起こした別の事件と似ていると思いませんかね?」「あら、全く似てないわよ。」
基成勇二は面倒くさそうに、しかし即座に否定した。
場所は吉祥寺の井の頭公園に面した新築マンションの最上階、霊能者の個人事務所である。夕方であるが、壁の明かり取り窓は重い雲しか見えない。その真下、間接照明を背景にパースの大きなソファ に勇二と向かい合って座っている岩田譲は長い足を折りたたんでいた。
三十路を過ぎた編集者である彼の服装は未だにラフであり、脱いだスポーツシューズと膨れたリュックは床の上だ。
「あのねぇ、譲くん。譲くんは当事者と言えなくもないから、当然、熱くなってるんだろうけれど。」霊能者、基成勇二は相変わらず小山のようなシルエットだが横からオレンジの光に照らされた顔つやは見るからに健康そうだ。
「いえ、当事者というか・・・まぁ、確かに、ですね。」譲は複雑な顔をする。彼がこの大事件に自分の義理の弟が関わっていると知ったのは、何をかくそう目の前のこの霊能者からだった。と、いうことはこの霊能者の最大のタブーである懐刀、妹、基成素子のハッキング情報ということであることは容易に推察できる。
「鈴木トヨくんの行方不明事案と誘拐された最後の子供とは、今のところ、誰も結びつけてないわよ。事実、あなたの弟は逮捕の日の前夜に発見されたんだし・・・東京の家出した小学生がどこで見つかったかなんて誰も注目していないわ。翌日の深夜に長野で発覚した大事件と比べりゃ比較になるわけないもの。それに、何においても・・・彼は『男の子』なんだから。」
「まぁ、公にならなかったのは、ほんとによかったんですけど・・・正直、実は僕はまだピンときてないんですよね。年も離れてるから、僕とはあんまり行き来もなかったこともありますし。」再婚した父親の家庭とは、妹の加奈枝や弟の渡ほど関わりは深くないのだ。
「それに・・それにしても、女の子と間違われるなんてあるんですかね。」譲は居住まいを正す。「確かに、僕はトヨくんがまだ赤ちゃんの頃、一度、会っただけですけど。それに最近は写真でしか知りません。確かに、かわいらしい顔ですよ。女顔だとは思いますけどね。さすがに・・・それはないんじゃないかと。」
「譲くんには美少年の審美眼はなさそうだもんねぇ。」そういう霊能者を譲は横目で見る。
「僕が先生が言うことに一理あると思うのは、ですね・・・もしも、魔物が取り憑いてたら男と女を間違えることは絶対にないんじゃないかと。そこなんです。」
それもよりにもよって僕の義理の弟だなんて、何やってんだか犯人も。迷惑だ、おかげでこっちは・・・。ブツブツつぶやく譲を面白そうに霊能者は観察した。
話を聞き慌てて神月の母親に確認の電話をした譲は、自分自身がすっかり蚊帳の外に置かれていた事実を確認することとなる。親族から見て月刊『怪奇奇談』などというものは、ただでさえまゆつば物を扱う、扇情的なオカルト雑誌だ。所詮、マスコミなど無責任なもの。よって、購買アップの為に親や子だって売りかねないのが編集者だとは祖父の弁・・・すでに別家庭を構えた父親の子供、義理の弟の件はできるだけ譲には黙っておくことに越したことはないだろう・・・そんな暗黙の了解が旅館竹本の中では成立していたのだ。
母親の須美江にはその電話で、しっかりと釘を刺された。
『あんたの雑誌でトヨくんをネタにしないでよね。そんなことしたらお父さんだけじゃない、私もおじいちゃんもただじゃおかないんだからね、いいわね。』
そんな譲の心の鬱屈を基成勇二は見透かしている。
「あの幼女殺人鬼はねぇ、アホなのよ。もともとそういう奴なの。取り憑かれようが取り憑かれまいが、ああいう凶行に走るような奴だったんだと私にはわかってる。魔物はなし、憑依もなし。そのことはもう、信じなさいって。」
「じゃぁ、じゃあですよ!あいつには何も取り付いてない、それはそれでいいです。あいつが凶行の度に自分の頭の中で声がした、それに従っただけだと言ってるのは先生も知ってますよね?なんたって警察の公式発表ですからね。それって全くの犯人の嘘、作り話ってことなんですか?」
譲だってがっかりしているのだ。「魔物関係の記事として組み立てるのは・・・さすがに無理だって言いたいんですよね、先生は。確かに、確かに・・・ただの連続誘拐殺人事件じゃ、ホラーとUFOが専門のうちの範疇じゃないありませんからね。」
それらは事件系の週刊誌の専売特許だ。オカルト専門誌の出る幕はない。
もちろん、実際は身内が関係しているとなれば、やりようはある・・・いやいや、それはダメだ。母親に殺される。いや、違う。もちろん、弟のことはハナから書く気などはないのだ。
その証拠に、譲は星崎編集長にだって、これだけは言っていない。基成先生にも必死に頼み込んだのだ、だから今も黙っていてくれているはず。
・・・だけども、もったいないことは事実なのである。譲の編集魂が疼く。
これは空前実後の事件なのだ。機代の凶悪事件は発覚してからまだ1週間、巷の話題をすっかりさらっている。月間『怪奇綺談』が何気にその流れに乗っかりたいと思ったとして、誰がそれを責められるだろうか?いや、誰も責めはしない!・・・と、いうのが編集長、星崎緋紗子の考え方なのである。岩田譲はその忠実な部下に過ぎないが、編集長の気持ちが痛いほどわかる。
「記事にならないだなんて聞いたら、編集長、がっかりするだろうな。」
「最近の犯罪者は頭がいいからねぇ、幻聴だ電波だ、そういう風に答えれば精神鑑定に持ち込めると今や、誰でも知ってるもの。それで信じてくれたらめっけもん!言ったもん勝ちってわけよ!」霊能者は興味なさそうにあくびをした。
「だけど、でも、いいわ。他ならぬ緋紗子ちゃんのためだもの。なんか適当に辻褄合わせてあげるわ。ミツル出版には日頃からいい宣伝してもらってるし。」
「ハァァ・・・恐縮です。」頭をさげつつも、若き編集者のモチベーションは見るからに下がった。編集として膨らませる一抹の真実もなく、全くの嘘、つまり創作物を載せるのは初めてではないのだが・・・正直あまり楽しくはなかった。
「しかし、20年間で12人も殺す奴、絶対、悪いものが憑いてると思ったのになぁ。逆に何も憑いてないのにそんなことする人間がいるって方がショックかも。」
「腐った人間っていうのは案外、いるもんなのよ。何でも魔物のせいにしちゃ人としていけないでしょお。もしも精神科医と同等に霊視の意見が裁判で重んじられるんならば、私がいくらでも証言したげるのにねぇ・・・残念だわ。あの犯人が最初から正気で犯行を行ったのは一目瞭然なんだけどねぇ。」
突然、黄色い声が響きわたる。「ええ~っ!先生、それって、ちょっと待ってくださいよ!あの犯人って、まさか、責任能力なしとかになる可能性があるっていうことですか、先生?
弁護士が精神鑑定を請求してるってことですか?!図々しい、信じらんない!世も末です!」
そうまくし立てながら、お茶菓子を運んできた女の子がそのまま、譲の隣に座る。
図々しくないさ、平等な人の権利だ、と譲は苦々しく応じた。
座ったのは本田ミカだ。譲の大学時代の元カノである。
すでに、葬祭会社を辞め、基成勇二の事務所に勤めて3年となる。
受付、お茶出し、お使い、掃除、なんでもやっている。当時、安定した給料よりもやりがいを取ったと言っていたが、基成事務所のお給料だってそんなに悪くはないはずだ。
「キミ、ほんと場にはまってるよね。まるで水を得た妖怪だな。」
占い師のごとくかかとまで届く黒ずくめレースのデザイナーズワンピにコスプレのような同色のフードを頭から垂らしたミカに譲がジロリと上から下まであらためて目を走らした。
「最近、ますます悪ノリしすぎじゃないか。」本田ミカはへっと舌を出し茶菓子に手を出す。
「まぁまぁ、そう人をうらやましがらずに食べなよ、社畜さん。この羊羹、おいしんだから。」
「そうよ、ミカちゃんが朝から並んで毎日、買ってきてくれるの。それにね、犯人だけどぉね。いたいけな子供12人も殺して無罪だったら、これはもう絶対、暴動になるわよ。相手がたの弁護士を責めちゃダメよ、仕事をしなきゃならないんだし、譲くんが言ったように手順上、仕方ないのよ。いっそのこと、逮捕された例の廃校で死んでてくれてれば四方八方、面倒がなく丸く収まったんじゃないかと私は思うんだけどねぇ。」
「それじゃダメです!当然、裁かれなきゃ!」「真相が明らかにならないじゃないですか!」
譲とミカ二人に即時反撃され、基成勇二は密かにため息をつく。
全く、この地球人どもときたら。
基成勇二ことイリト・デラが浄化槽に落とし込み、トヨとハヤトが放置した『変態』は鬼来マサミが余計なことを?してくれたおかげで酷い運命からは逃れられたのだ。
GPSと優秀な警察の捜査により、男は翌日の深夜に発見された。一昼夜半ほど、飲まず食わずで・・・パニック状態だったらしく頭や体は壁に打ち付けた痣だらけで登ろうと何度も試みた指は血まみれだった・・・それでも命に別条はなかった。ただし浄化槽には寒さのため腐敗が遅れていたとはいえ、まだ完全に骨になりきれていな遺体もいくつかあり・・・その腐敗菌に触れていたこともあって、すぐに病院へと搬送されたのだ。精神状態はかなり『きていた』かもしれないが・・・どうにか取り調べができるまで回復した。彷徨っていた幼い魂が生きていた間に、彼が施した容赦ない仕打ちを思えば、マサミのこだわったこの星の『法律』に委ねることが果たして公正なものだったのかとさえ疑われるかもしれない。
「犯人の名前、顔、個人情報が大きく世間にさらされたんだから、それでよしとしな。」
いつの間にか、室内に現れた基成素子が大きな液晶画面を譲に差し出す。
「よしとは、できないでしょう・・・って、これって素子さん。」
「またまたハッキングの戦利品だわね。やるわねぇ。」
勇二の一言で譲とミカは画面に釘付けとなる。
家宅捜索された単身者用マンションから、男の犯罪の胸の悪くなるような詳細な記録が押収されていたのだ。USBメモリーに刻まれた犯行の全て。
戦利品を収集するごとく、たまたま通りすがりの気まぐれでさらった被害者の名前や自宅、家庭環境なども男は後付けで調べずにはいられなかったようだ。最初は偶然に頼っていた犯行が、年月を重ねると共に周到に標的を選ぶ計画的な誘拐へと形を変えていったことがそれによってわかる仕組みだ。子供は日本全国に散らばっており、初めての犯行は彼の大学時代だったことも。
卒業後、常に住処を変え仕事を転々としていた犯人は、セメタリーに選ばれた廃校の周辺の土地勘もあった。(最も古い犯行は、当時はまだ廃校でなかった、その近くで行われていた)
このようにもう充分、これ以上はもう吐きそうというほどのケチの付けようがない証拠。
「これって・・・『お宝の山』ですよね。」
「編集としては満点、だけど人としてはNGなセリフですよねー、先生。」
「そのままじゃ使えないわよぉ。」「わかってますって。」
「譲くんに星崎さんの『鬼畜』が感染ったんじゃないかしら。」
そう文句を言うミカも画面を読み続けずにはいられない。
「でも・・・これじゃ、逆に精神鑑定するしかないかも。異常だもの、この記録魔ぶり。」
ミカがしきりに残念そうにやばいやばいと繰り返す。「どうしよう、無罪になっちゃう~」
「大丈夫よ、偏執狂的性格はあくまでも、性格。責任能力とは関係ないから。」
「そうだよ、これがあったから、犯人は言い逃れができなかったんだ。」
貪欲に記録を目で追う譲も請け負う。「こいつは良心は確実に欠如はしているけれど、ちゃんと犯行を隠す工作をしている。そんなことまで記録してある、すごい証拠だよ。無罪になんか、なるか。なるもんか、だ。」
「それに、その偏執的記録癖のおかげで遺骨や遺体が、それぞれの遺族にきちんと戻されることになったことは確かだな。」
基成素子の言葉は淡々としていて、ゾーゾーの胸中は計りしれない。
勇二の視線がちらりとそちらに飛ぶが、素子は気付かず窓から見える公園の池を見下ろしている。
「だからってありがとうとは、言えるわけないよね。」ミカの声は怒りに低くなる。
「私だったら12回、殺してやりたい。同じ目に合わせて。」
無事帰宅を信じて待っていた遺族の悲しみと怒りは計り知れないのだ。
だが、その被害児童の幾人かは親自体までも行方不明であることがハッキングされた警察記録には載っていた。明らかに虐待していたと思われる親達もいたことも。
あくまでも犯人が詳細に調べ上げていた家庭事情をベースにしたものだが。
その辺の調査や聞き込みも、時が経ち既に証明は難しいものが多い。
虐待した親たちを罪に問うことはできないだろう。
譲がようやく液晶画面から顔を上げた。
「最後の被害者のことは、まだ調べ上げていなかったんですね。」
「犯行の後で、思い返しながら記録するのが流儀だったんでしょうねぇ。」
「唾を吐きかけてやりたい!」
「ミカちゃん、あなたの貴重な水分がもったいないわよ。」太い指を突き立てる。
「こんだけ動かしがたい証拠があるんだもの。多分、トヨくんの証言は参考ってことですむわ。裁判には名前も出ないで済むでしょ。」もちろん、そうですと譲はうなづく。
「母によると子供を専門に扱うカウンセラーが対応したそうです。」
「翌日には、学校に行ったんでしょ。心が強いわね。」
「ですね。」譲は写真で見た『女顔』を思い浮かべた。
「当人は車の中でずっと寝ていて、気がついたら誰もいなかったと言ってたそうです。だけど、真夜中の廃校ですよ・・・いくら月明かりがあったとしても夜道を3キロも歩いて村の交番までって・・・。確かによく考えるとすごいな。まだ6歳なのに、根性があるよ。」
「子供だから重大性がわからなかったんじゃないの?」ミカはファイルを素子に返し、譲は素子にコピーをお願いする。「自分がもう一歩のところで、殺されるところだったって気がついてなかったとかね。」
「そうね。そういうこともあるかも。」霊能者は心の中では全く別のことを考えている。
「攫われた時は、車に引きずり込まれてすぐ袋をかぶせられて眠らせる何かを嗅がされたらしい。犯人の顔も見てなかったとか・・・何が起こったかもわかってなかったかもね。」
そんな甘いタマではない、と勇二は思っている。
『あの子供は・・・鈴木トヨは特殊能力者っていうか、完全に内側で分離しているようだった。片方の自己は自己というほどの力を持っていないようだけれど。それでもすごく指導的な立場にあることに変わりはない。とても面白い対象だわ、あの子。』
どういう運命が待っているのだろう。鈴木トヨがアギュを見て倒れたことはまだ、イリト・デラは知らない。
今回のことで数奇な運命を背負ってしまったもう一人のことが頭に浮かぶ。
『とうとうマサミくんは一人になってしまった・・・』