朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

天保の大飢饉

2015-08-19 05:34:52 | 日記
遠藤日人の句碑から江戸の飢饉の実態を
少し、調べてみた。
江戸四大飢饉というものがある。
大学の受験勉強的に並べてみると

① 寛永の大飢饉 寛永19年(1642年)~寛永20年(1643年)
 全国的な大雨や洪水、干ばつ、霜、虫の害が原因といわれる
 主に東日本の日本海側の被害が大

② 享保の大飢饉 享保17年(1732年)
 西日本各地、冷夏と虫害

③ 天明の大飢饉 天明2年(1782年)~天明7年(1787年)
 全国的だが特に東北地方の被害大
 浅間山、アイスランドの火山等の噴火による冷害

④ 天保の大飢饉 天保4年(1833年)~天保10年(1839年)
 東北地方、大雨、洪水、それに伴う冷夏、稲刈りの時期に雪が降ったという

日人(あつじん)が生きた時代は
丁度、天保の大飢饉の時代に当たる。
ちなみに日人は1757年生まれ、1836年に亡くなっている。

天保4年は全国平均3~7分作で、
同5年~6年も全国的に不作で3~4分作
となり、この時期米価が高騰、餓死者が続出、
各地に一揆、打ちこわしが発生した。
天保8年(1837年)には大塩平八郎の乱も起きている。

江戸幕府体制も危機に瀕し、
後の天保の改革への道に進まざるを得なかった。
これらの時代、米沢藩では藩主自ら
ひえ粥を啜るような節制政策で
藩内に一人の餓死者も出さなかったという。
天災の陰に人の災いあり。
日人の生きた時代は風流の地、宮城野を
大根畑にしてしまうという時代だったのだ。

       宮城野を大根植えてへらしけり

ようやく、句の意味が分かってきた。生活感に根差した句だったのだ。
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