クラージュせたがや ~Courage Setagaya~

元はベルマーレ応援サイト「STweb」の別館で2005年7月開始も、2010年12月の韓国赴任を機に半ば休業中。

ありがとう、さようなら、大神 そして・・・

2006-10-01 00:34:52 | 湘南ベルマーレ(その他)
94年12月31日(第74回天皇杯決勝前日)の初訪問以来、
練習試合やユースの試合以外ではそう滅多に大神に行かない私だが
土曜日は9時半から大神で最後の練習ということで
7時半過ぎに起きて大神へ向かった。
起床の後の立ち上がりが悪かったのと途中渋滞があり
到着は10時過ぎ。

土手の上には普段の練習よりは多い30~40人のギャラリーが。
河川敷に張られた2面の天然芝のうち、上流側をトップチームが使用。
水戸戦の登録外の選手と怪我の梅田を除く14人と
ユースからは2種登録済の猪狩、岡の他になぜか阿部も練習参加。
下流側の半分をユースが、もう半分を松蔭学園の高校が使用。

ユースのほうは、練習の最後に、
チョウさんからのロングパスを足トラップ→
ヘディング→キャッチ、というテストを数名が受験。
チャンスは2回で落第者は坊主頭という厳しーいテスト。
露木、澤田らはクリアしたが某GKともう1人が全くの失敗。
札幌での某GKの髪型に注目!?
練習の後、まずはピッチに向かって整列して
これまで歴代のユースの選手が使ってきたこのピッチに向かって挨拶。
その後は周辺の茂みでのボール探し。ここまで恒例だったが、
少なくとも大神ではこれが最後となる。

トップチームの練習は11時半頃まで行われた。
練習終了直後、中町が自分のウェアをセンターサークルに広げる。
引退するんか中町!?
こちらは昨日に儀式を済ませているからか、
中町以外は特に儀式をすることなく順次ピッチを後にしていく。

ピッチから土手の上へ登る階段のたもとに、
「私有地につき無断立入りを禁止する
 (株)フジタ 総務部厚生課」という立看板がある。
2年前に大神の所有者がフジタから松蔭学園に移っても、
この立看板は残ったままだった。
しかし、グラウンド周辺にフェンスか何かを立てる工事の一環からか、
ついに9月30日の11時44分、この立看板が工事業者によって外された。
このグラウンドから、名実とともにベルマーレが去る瞬間がきたことを
示すかのように。
立看板の最期を見届けた後、土手の上で少し立ち話。
その間に土手の上からも上流側のピッチからも人はいなくなっていた。
そして、青地でベルマーレのロゴが入ったテント2つが
ピッチの外に残った。このテントはちゃんと引っ越せるのかな・・・

土手を降りた後、クラブハウスの外のお手洗いで最後の用を済ませる。
そして、壁から既にベルマーレの大きなロゴが外れた代わりに
玄関に「松蔭学園湘南キャンパス」の看板がかかってしばらく経つ
クラブハウスを眺めて、大神を後にした。
私は10月15日のさよなら大神記念のオープンフィールドにはいけないので
これが最後の大神グラウンド訪問となるだろう。
(松蔭大湘南グラウンドとしてはいくかもしれないが・・・)
ありがとう、そしてさようなら、大神グラウンド。


大神を去った後、水戸戦の為に競技場へ向かう。
水戸戦の勝利の後、馬入へ向かう。
まずは馬入の新事務所(人工芝サッカー場から徒歩1分)の外観を見る。
プレハブ造りだが、ベルマーレの大きなロゴがついているので
少しは立派に見えた。
そして、人工芝サッカー場へ向かって
神奈川県大学1部リーグ・文教大対松蔭大を前半残り数分のところからだが
柵の外から観戦する。
あいにく私のお目当てが出場していなかったので試合は
あまり真面目に見ていなかった。
試合は松蔭が優勢で前半終了間際に松蔭が直接FKから先制するも
後半追いつかれ、結局その後点を奪えないで1対1で終了。

試合後、この試合で記録係を務めていた加藤敦士をつかまえて少し話をする。
背番号は21、今はケガだが、なんとかリーグ戦には出たい、とのことだった。
今度から大神グラウンド改め湘南グラウンドをメインで使う立場になるとはいえ、
ジュニアからユースまで9年間ずーっと大神でプレーしていた彼にとっては
やはり寂しいものがあるようだった。
「大神を大事に使ってください」と彼に伝えて、私は馬入を去った。

31年間棲んできた大神を離れたベルマーレは、
10月1日からは馬入で新たな歴史を刻んでいく。
市街地に近い馬入への移転、新しい器への引越しを
ベルマーレが変わり、市民により一層親しまれる契機となれば、と思う。


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