ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

プロモーターに完全コントロールされたプロレス

2019年06月09日 14時11分08秒 | スポーツ-格闘技についての感想
猪木さんについて語ったついでにプロレスを簡潔に語るか。

今は殆どブロレス見ていない。いや、テレビ自体ほとんど見ない。
つまらないし残された時間も短い。

新日本プロレスは今は完全にプロモーターにコントロールされ、ほぼ台本どおりに試合をすることになっていると聞く。スポーツはそもそも「芸能」の範疇に入ると思っているが、客観的基準に基づく競技性の無い「芸能」と今や完全になった訳だ。そのほうが安全安心にパフォーマンス、格闘ダンスができるというなら選手にはそれで良いのかもしれない。

観戦者の立場でいうと意外性、アウトロー性、緊迫感がなく面白くない。
猪木が活躍していたときの、VSホーガン(第1回IWGP決勝戦、シナリオ直前反故)、VSグレート・アントニオ(シュート紛いの制裁)、VS天龍(厳しい関節技)のようにリング上の強者、権力者がコントロールする選択もできるようにならないのか。

ルー・テーズも、相手に負傷させる落下角度違いのバック・ドロップを傲慢なプロモーター兼レスラーに放ったり、相手のシュート行為を牽制・反撃の為に必殺のダブル・リスト・ロックを使用して試合をコントロールしたという。

「芸能」範疇だと、明らかな衰えが無ければいつまでも「格」に支配される。
「格」の入れ替え(新日本移籍後に、精彩を欠いていたストロング小林が不意打ちで高速3カウントをとられ、長州力と格を入れ替えたことはあるが)には客観的基準が必須。なんとか競技性をリング上でなくても良いから導入することはしないのだろうか。

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「アントニオ猪木」猪木寛至氏が次回の参議院選挙に立候補しないという

2019年06月09日 12時17分04秒 | スポーツ-格闘技についての感想
今更、猪木寛至さんに関心はないが、日本の国益を損ねて欲しくないことや北朝鮮や韓国などと無用な関わりを避ける、さもなくば、両国とも消し潰して欲しいと思うくらい嫌悪感があるのでその決断は良かった。そういう意味では防衛省大臣も死ぬか、最低でも罷免してほしい。

かなり健康状態が悪く車椅子から立ち上がれないと聞く。彼が死んでも私は全く悲しまないだろう。ヒーロー・アントニオ猪木の裏でやってきた悪行・騒擾があまりにもひどすぎて、早く死んだほうが良かったのではと思うから。いや、それも含めて猪木の魅力なんだと言われればそのとおりなのかもしれない。私もプロレスを見てきて何が一番おもしろかったのか、と聞かれれば、「アントニオ猪木」と即答する。人格や信頼性ではジャイアント馬場、華やかさや躍動感なら初代タイガーマスクの佐山サトルなのだろうが、猪木の存在があったからこそ、馬場さんの対比やタイガーマスクのファイトやパフォーマンスが楽しめた。大体、猪木が居なかったらプロレスなんて見なかった。

最近のプロレスでは、新日本プロレスのニューヨークMSG大会のオカダカズチカのIWGPヘビー級王座奪取の試合を見たが、つまらなくて全く記憶にない。
しかしながら、ニューヨークでは大好評でストーリーライン重視のWWEに飽き飽きした現地プロレスファンらがファイト重視の新日本プロレス(NJPW)に興奮したという。新日本ブロレス1980年代最盛期を見てきた私にはそのほうが衝撃だった。

猪木寛至さんには引退後は静かに余生を過ごして過去を振り返って欲しい。
第二の猪木という存在は要らないし、もう出てくるとも思えない。
当時の時代だったからこそまばゆく輝き、そして闇を醸し出したと思える。彼も時代の産物だった。
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ウパウパジンジン

2019年06月08日 19時01分33秒 | 日常生活
昨夜の夢の中で「ウパウパジンジン」という歌を聞き、夢から覚めた後も記憶に残っていたので、どこかで自分の持ちネタにしようとか歌ってみようと考えていて、しかし、もしかしたら、既に世界中のどこかで誰かが歌っているのかもとネット検索したら見事に的中。

なんと水原弘さんが歌っている「へんな女」の出だしではありませんか。
水原弘さんが歌っていることも知らなかったし、この歌聞いたこともなかったはずなのに。随分昔、若い時、本屋で立ち読みしているとき有線の曲が流れていて、あとで必死に曲名を調べたこともあったけど、この歌は有線で聞いたこともないはず。
どこかで聞いていたのかな。。。

西城秀樹さんが水原弘さんの「黒い花びら」を好んで歌っていたのは知っていたけど、こんな歌があるとは知らなかった。
わからないなあ。。

あと思い出したけど、もう20年以上も前に、私の夢の中で堺正章さんが「黒焦げの街」という歌を歌っていたけど、それはネットでもヒットしないな。

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NGT48騒動、余震続く

2019年06月05日 01時57分48秒 | 芸能についての感想
NGT48騒動の余震が収まらず、山口さん、菅原さん、長谷川さんの事実上追放を経ても、地元企業や地元報道機関そして地元民の怒りと不信が残り、いつまでたっても再起できず、山崎美里衣さんという研究生も「活動辞退」したそうだ。

本当に彼女達を心配している肉親なら、NGT48みたいな不透明な怪しい組織からは脱退させたいだろう。

ここまでの組織瓦解は多々原因、理由はあるのだろうが、あのアイドル(というか女の子)ハンターとかいう愚連隊、彼らは「厄介」と命名されているけど、彼らと運営が利害一致し運命共同体・血盟状態になって切り離すことができないことが最大の理由だろう。

若い女の子達を大量に預かっているからには、本来なら彼女らの教育、サポートもしっかりとしなければならないが、芸能無し(どこまでが芸能の範疇とするかという定義問題はあるが)とはいえ一応は「芸能界」。売れるものは何でも売っていかなくては、儲けどころか多数のメンバーを抱えながらの運営費用も賄えない。アニメのラブライブみたいな学校のクラブ・サークル活動では無いのである。ラブライブとかけいおんは、今にして思えば、教育機関が運営したほうが「健全な」運営ができるかもしれないと示唆もしくは願望を反映したアニメだったのかもしれないと思うようになってきた。そうなると顧問の先生は握手会の「剥がし」とか厄介撲滅で疲労困憊で死亡するかもしれないな。

これらの問題で思うことは、まず「大人」がだらしない。
男性だったら若くて可愛い女の子とじゃれあいたい、密着したい、ヤりたいという気持ちがあるのは完全に理解している。それでも欧米諸国ならまず「性を売り物にしている」と批判があがり社会問題化するが、日本だと一部報道機関が問題提起するがすぐに収束。肝心の政界、経済界、そして放送局の権力者達が全くおとなしい。そのまま欲望に負けたり、女の子達のチヤホヤ舞い上がりを増長させてしまう。かなり籠絡されてしまっているのだろうね。

もう眠くなったから続きは後日。「妄想」ジャンルで投稿予定。(一部勘違いを修正)






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