現実と夢!!

今日は曇り

素直さの重要性

2014-09-27 18:02:01 | Weblog
最近、よくいちゃもんをつけられることが多い。
私が悪い側面もあろうが、どう見ても相手が悪いのに
謝罪を求めてくる。それも人を大分とバカにしたり脅迫的な発言をしたりしてだ。

例えば人の往来がすごい多い道では、互いがぶつからない様に互いに配慮して気を付けて歩くものだが、
全く気を使わず胸をはってまっすぐ歩ている人はたまにいる。そんな人に少しでも当たってしまったら
大変である。そんなときも殺すぞ的なテンションで謝罪を求めてくる。

自転車乗っていても前を走る自転車が突然歩道から車道へ飛び出してきて
あぶなってつい口から出ようもんなら、これまたなぜか謝罪を求められる。


どうしてかこういった人が少なからず社会にいる。
多分であるが彼らはプライドが高いが、今置かれている環境は自分を満たすものではなく、
環境が悪い、周りが100%悪い、で自分は被害者面なのであろう。
しかし、心の奥底では気付いている。本当はなりたい願望が叶わないのは少なからず自分に原因がある。
そしてその願望の世界を生きている人たちは羨ましからあえて見ないようにしている。
自分が負けていることを認識してしまい、プライドが傷つくからだ。

本当に自分が勝負したい土俵では、大して努力もしないので、もう負けが確定しているので
それではプライドが許すわけがない。
そのため、本来どうでもいい土俵、小さい小さい土俵に誰かを引きづりこんで
そこで勝負して勝って自尊心をごまかしているのではないだろうか。
こいつには勝てるという人に頭ごなしに脅し的な発言を繰り返して、お前より俺のほうが正しい、優れている
というのを半ば強制的に認めさせ、勝利をつかむのだ。


これはいわば、運動にそこそこ自信がある者が将来プロ野球選手になって活躍することを夢見てたが、どうも風向きが怪しくなり
無理やり小学生と、自分に圧倒的に有利なルール下で勝負して勝って喜んでいるようなものだ。

こういったことをしても自尊心が満たされるのか知らないが、周りの人たちがその人を見直すことはないだろう。
むしろ自分の評価をさげるだけであろう。
大人が自分を最優先事項として動いて、それを相手に強要するとき、自己満足と引き換えに、周りの人はその人から一歩遠ざかることになっていることを
気付かない。上記の例もおそらく自分は間違っていないという盲目がある。ぶつかってきたのはそっちだ。前方不注意なのはそっちでこっちは被害者だと。


若い時にはヤンチャでしたですまされるが、大人はそうはいかないのが今の社会である。
それは大人には、周りの人や社会に貢献するという責任があるからである。
半径1mでそんなつまらないことをしている人が、半径1000mで貢献できるわけがないと、誰もが思う。


人が素直であることの重要性はもうかなり昔、キリストとか釈迦の時代から言われてきていることである。自分の状態を素直に認めることは、大抵ダメな自分を受け入れることになる。これは勇気がいることであるかもしれないが、
そうして中身がイケてる人になるか、つまらない人になるか、の大きな分かれ目になっているかもしれない。