現実と夢!!

今日は曇り

身近という発想

2013-04-13 16:17:09 | Weblog
何かを発想するときに、ぶっとんだ発想が不要か?といえば必要だ。
ブレストなどしているときには、なおさら必要だろう。
様々な視点や要素をくっつけて、おっ!と思うようなものが生まれないとは
限らない。

しかし、ぶっとんでいればそれでよいというわけでもないのが難しい。
たとえばコンビニで何か新しいことができないか?という検討プロジェクトでは
多種多様なアイデアが飛び交ったようだ。
バザーを開けばよいとか、ライブができるとか、何か動画を投影できるとか
まあ色々で面白いが、こういったことを行っている日本のコンビには今はまだ
ないだろう。
結局このプロジェクトの結論は、コンビニでお湯が入れれたら便利だ、
ということで落ち着いた。
まったくぶっ飛んでいない、余りにも身近な発想ではないだろうか。
しかし、お湯のポットは殆どのコンビニに未だにあるのではないだろうか。


ぶっとんだアイデアより身近なアイデアが生き残っているよい例だろう。
この身近感というのは、まさにユーザの生活状況が見えているからこそ
価値が生まれるのである。


少し話は先進国日本から発展途上国に移る。
発展途上国では10億人近い人が衛生的な水がないなか生活している。
また近くに水場がないために、家から1kmや2km平気に離れた水場に
子供や女が水を汲みに行くという毎日がある。

先進国の人間であればこう思う。これは大変だ。なんとかしたい。
実際スウェーデンではこの問題解決のために、計画的に井戸を掘り、
そこを中心に家を作るというアイデアを実行した。
これは、理にかなっているだろう。

しかしその井戸は暫くしたら壊された。
重労働を強いられている、女子達によってでだ。


これは衝撃な結果だと思わないだろうか。
なぜこうなったのか?
こういった地域の家では家長制度が非常に強く、
女子子供が簡単に家を出るということが許されない。
そういった状況で遠くへ水を汲みにいくというのは、息抜きへとつながっており
重労働をしてでも必要なもののようである。


こういったことは先進国から見ているだけでは分からないことだ。
やはり現地にいかないと分からない。身近感が分からないのだ。

これはグローバルレベルだけの話だけではない。
遠くから見ているだけでは決して分からない身近感をしっかり持つということは
問題解決において、重要な要素の一つだと思うのだが、いかがだろうか。