犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

ラーメン王の死

2007-01-08 00:02:35 | 食べる
 韓国人もこよなく愛する「インスタントラーメン」の生みの親,安藤百福さん死去のニュースは,韓国でも報道されました(→記事,韓国語)

日本のラーメン王,安藤会長,心臓麻痺で別世(=逝去)

「インスタントラーメン」を初めて作った安藤百福,日本日清食品会長が五日、いけだ市の病院で、心臓麻痺で別世した。享年九十六歳。
 一九一〇年台湾生まれの安藤会長は、一九三三年、日本に渡った。
 安藤会長は第二次大戦終戦後、極甚な食糧難に苦しんでいた日本国民のために、簡便に食べられるラーメンを開発しようと決心し,一九四八年、日清食品を設立した。
 こうして開発したのが,一九五八年、世界初のインスタントラーメンの「チキンラーメン」。一九七一年には,湯を注ぐだけでできる「カップめん」を世界で初めて開発し, 食品業界に突風を起こした。
 彼は自叙伝で「寒い夜,ラーメンを食べるために人々が長い列を作っているのを見て,簡便に食べられるインスタントラーメンを開発する決心をした」と回顧している。
 二〇〇五年七月には、米宇宙往復船ディスカバリー号の日本人宇宙飛行士、野口聡一氏のために「スペースラーメン」を開発し, 話題になった。
 安藤会長は当時,スペースラーメンを発表するにあたって「ラーメンを宇宙に行かせたいという私の夢をかなえられて幸せだ」と語った。一九九九年にはいけだ市に「ラーメン博物館」を開いた。
「食べ物が豊かになれば,人類に平和が訪れる」と言う信念のもと,ラーメン開発に生涯を捧げた安藤会長は、日清食品を売上27億ドルの会社に成長させ、二〇〇五年、経営の一線から退いた。
 ラーメンは現在、全世界で年間八五〇億個が売れている。
「上方芸能」誌のキズカワ・ケイ代表は,安藤会長は「日本家電産業の父」として推仰されている松下電器創業者、松下幸之助に匹敵する業績を残した,偉大な食品開発者と評した。
 彼は「チキンラーメンは世代を越えて語り継がれる」「チキンラーメンの味をしのぐインスタントラーメンは出ないだろう」と語った。

 韓国のインスタントラーメンは,1963年,日清ではなく明星食品から無償で技術供与を受けた,三養ラーメンにより製造が開始され,いまや一人当たり消費量,世界一になっているそうです(→記事)。
 一人当たり,年間消費量が75個ということですから,月6回食べている! ラーメン好きの日本人より多いのはすごいですが,これは韓国には日本のような生ラーメンがなく,家庭でも店でもインスタントを食べる。また,キムチチゲやプデチゲ(部隊鍋)にも,ラーメンの麺だけをガンガン投入するので,こういう数字になるのでしょう。犬鍋の年平均4.6回よりも、よっぽど信じやすい数字です。

 産経の黒田さんの著書『“日本離れ”できない韓国』(2006年7月文春新書)によれば「上の事実(三養ラーメンが明星食品から無償技術供与を受けたこと)は韓国で隠されている」となっていますが,調べてみたところ,この本が出る以前に「中央日報」に報道されていました(→記事)。まあ,「あまり広く知られてはいない」ということでしょうか。

 ところで,「安藤百福さんが韓国人」という話を前に聞いたことがあったので,この機会に調べると,「台湾出身」でした。戦後,中華民国国籍から日本に帰化したということですが,ウィキペディアによれば(→記事「台湾生まれであっただけで、一族も含め中国人ではなく生粋の日本人である」(ただし出典がはっきりしない)。
 韓国の記事に出てくる「自叙伝」を読めば真実がわかるんでしょう。ま,どうでもいいことですけど。

参考~ラーメン発明物語

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