コメンテイターの方から、朝鮮日報に書評が載ったことを教えてもらいましたが、それに対し、著者の朴裕河教授が反論を書きました。朝鮮日報の日本語版はすでにリンクが切れていたので、別のブログから以下に引用します。
慰安婦:「朝鮮人責任論」のワナ
筆者には、植民地時代の文化現象に関する単独著書が5冊あり、韓国近代の専門家を自認してきた。しかし恥ずかしながら、出版から1年近くになる『帝国の慰安婦』という本の存在を知らなかった。本書を読んだのは、著者のパク・ユハ教授が「元慰安婦の名誉を傷つけた」として告訴され、公憤の対象になった最近のことだ。
資料の解釈は洗練されておらず、論理的飛躍と批判すべき部分は少なくない。それでいて、本書に記された事実そのものは全く目新しくなく、むしろ失望させられた。慰安婦は日本軍が「直接」強制連行したのではなかった。日本軍は業者に慰安所の設置と運営を委託したが、そうした業者の多くは朝鮮人だった。朝鮮人慰安婦は、これらの業者によって人身売買されたり、連れ去られたりするケースがほとんどだった。アジア・太平洋全域を舞台に戦争をしていた300万人規模の日本軍が、最も後方に位置する朝鮮で、のんきに女性の強制連行をしていたりはしないだろう。
パク・ユハ教授は「戦争を起こした日本政府と違法な募集を黙認した日本軍に一次的責任を負わせるべき」という点を認めながら、法的責任を問うべき人物がいるとするなら、それは日本政府ではなく、詐欺・強制売春などの犯罪を行った業者の方だと主張している。請負業者に法的責任があるのに、それをそそのかした当事者には法的責任がない、という論理は受け入れ難い。しかし、慰安婦問題では朝鮮人も責任を避けられない、という指摘は認めざるを得ない。
娘や妹を安値で売り渡した父や兄、貧しく純真な女性をだまして遠い異国の戦線に連れていった業者、業者の違法行為をそそのかした里長・面長・郡守、そして何よりも、無気力で無能な男性の責任は、いつか必ず問われるべきだ。それでこそ、同じ不幸の繰り返しを防げる。しかし今は、問題を提起すべき時期ではないだろう。納得できる謝罪と賠償を一次的責任を負う日本が拒否している状況で、韓国側が先に反省したら、日本に責任回避の名目を与えかねないからだ。
本書を細かく読んでみると、韓日間の和解に向けたパク・ユハ教授の本心に疑う余地はない。元慰安婦を見下したり、冒涜したりする意図がなかったことも明白だ。
しかし、韓日共同責任論の提起を、慰安婦問題をめぐる両国間の対立を解決する賢明な代案とするには、1次的責任を負うべき日本についての歴史認識があまりにもずれている。
次は朴裕河教授の反論です。朝鮮日報が反論の機会を提供すると言ったのに、結局載せてもらえなかったそうです。
朝鮮日報掲載『帝国の慰安婦』書評に対する反論(→リンク)
少し前に朝鮮日報に載った書評に反論したいと言ったら、紙面を提供すると言われたので書いたのだが、結局載せてもらえなかった。もともと書評子と同じく原稿用紙6枚で書いてくれという話だったので、それに合わせ、ごく短い文章だが、ここにアップする。
7月12日付「チョン・ボングァンの人文科学の書斎」で、拙著『帝国の慰安婦』が取り上げられた。まず、「韓日間の和解に向けたパク・ユハ教授の思いに疑いをさしはさむ余地はない。元慰安婦を見下したり冒瀆したりする意図がなかったことも明らかだ」と書いてくださったチョン・ボングァン教授に感謝する。
しかし、「日本が謝罪しないのに、韓国人に反省しろなんて…朝鮮人責任論の罠」というタイトルを見ても、チョン教授もまた私の本を誤読したようだ。
私は、「日本」に責任を問うためにこの本を書いた。「朝鮮人」業者の問題について書いたのは、日本の「法的責任」を負わせることができるかのように考えてきた支援団体や研究者の考えが必ずしも有効ではない、ということを言うためにすぎない。『帝国の慰安婦』という書名に込めようとしたのも、「協力を強要された植民地人の悲しみ」だった。「植民地支配と記憶の闘争」という副題は、韓日両国というより、その両極端――支援団体と、問題を否定する者たち――の対立構造が、むしろこの問題の解決を妨げているということを言うためだったのだ。チョン教授は「今はそのような問題提起をすべき時期ではないと思う」と言うが、「今」においても、こうした状況にまともに向き合わないかぎり、より深刻な事態を招きかねない。
朝鮮人徴兵者は、朝鮮人でありながらも男性には保証された「法」――根拠があったので、少ないとはいえ補償を受けることができた。しかし、朝鮮人慰安婦たち―― 社会から疎外された女性たちには、彼女たちを保護してくれる「法」が存在しなかった。それは近代国家システムの欠陥であり、日本が主体的に取り組むべきだ、というのが私の考えだ。私は「戦争」の問題としてのみ扱われてきた慰安婦問題が、実は「帝国」に動員された女性の問題であることを指摘したのであって、当然ながら「韓国人がまず反省」すべきだとか、「共同責任」を負うべきだとは書いていない。チョン教授の文章は、誤読を越えて明らかな歪曲を行っている。
さらにチョン教授は、そのような歪曲を前提として、日本が「謝罪と賠償を拒否」していると言う。しかし、そのような考えもまた、過去20年に渡って支援団体が韓国社会に根付かせた考えにすぎない。有識者でさえそう信じるようになった状況は深刻な事態だと考え、私はこの本を書いた。
慰安婦問題は、国民的な関心を集めていながらも、知られていない情報があまりにも多い。しかし、この問題を解決するためには、問題をきちんと見るための情報と認識を共有することが絶対に必要だ。今年6月の告発と一部のマスコミの加担は、支援団体とマスコミが、上のように考えている私を葬り去ろうとする試みだ。
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伊万里市強盗殺人事件③ 1週間前
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/21/2014082101476.html
歴史的な部分は認めつつも、歴史的な部分と政治的な部分は分けて論じよ、という趣旨でしょうか。
朴裕河教授は挺対協批判を止めないと韓国ではバッシングされるのも止むを得ないよ、歴史的問題と政治的な問題を分けて論じられるほど、韓国は成熟した社会じゃないよとも読めます。
記事で取り上げさせていただきました。
ちょっと説明が必要なように思いますが。この記事は、そうは読めませんよね。
>歴史的問題と政治的な問題を分けて論じられるほど、韓国は成熟した社会じゃないよとも読めます。
こりゃ、今の日本社会にも、そっくり当てはまるでしょう。
総じて、こちらのブログで引用されている発言は、韓国社会の成熟度を示すものばかりですね。
逆に「多いに不満」です。