8月25日の朝日新聞に,在日詩人金時鐘(78歳)が,金素雲が翻訳紹介した『朝鮮詩集』を67年ぶりに再訳するという記事がありました。秋に岩波から出るそうです。
「日本風の五七調に整えた金素雲訳とは違い,原詩の形を壊さないことを自分に課した」
「再訳が,朝鮮の詩人と日本で詩を書く私の『空間』を埋める作業だ」
「日本的な形を用いざるを得なかった被植民地人の金素雲先生の自負と苦衷を改めて感じた。原詩を熟読し,たくさんの朝鮮語に出会ったのも収穫だった」
新聞には,異河潤の「野菊」の一節が金素雲訳と比較されています。新聞には後半しか載っていませんが,中公新書「金素雲『朝鮮詩集』の世界」には金素雲訳の全文と原詩(ハングル)があったので,それを紹介しましょう。
〈金素雲訳〉
野菊
愛ほしや野に咲く菊の
色や香やいづれ劣らね
野にひとり咲いては枯るる
花ゆえゑにいよよ香はし
野の花のこころさながら
この国に生へる詩人(うたびと)
ひとり咲き ひとり朽ちつつ
偽らぬうたぞうれしき
〈金時鐘訳-第2連のみ〉
私はこの地の詩人を愛します
侘びしくとも思いのままに咲いて散る花のように
色も香りも偽りひとつありませんので
私はその人たちが詠む詩をこよなく愛します
〈原詩〉
들국화
나는 들에 핀 국화를 사랑합니다.
빛과 향기 어느 것이 못하지 않으나
넓은 들에 가엾게 피고 지는 꽃일래
나는 그 꽃을 무한히 사랑합니다.
나는 이 땅의 시인을 사랑합니다.
외로우나 마음대로 피고 지는 꽃처럼
빛과 향기 조금도 거짓 없길래
나는 그들이 읊은 시를 사랑합니다.
金素雲訳は日本の七五調で訳し,場合によっては原詩を離れても,日本の詩としての完成度を高めようとしています。一方,金時鐘はできるだけ原詩に忠実に訳そうとしていることがわかります。
一方,金素雲は,みずから以下のような逐語訳をも試みています。
わたしは野に咲いた菊の花を愛します
色や香り,どれが劣るというのではないが,
広い野に哀れに咲いて散る花なればこそ
わたしはその花を限りなく愛します。
わたしはこの国の詩人を愛します
淋しいけれど心のままに咲いて散る花のように
色と香りに少しも偽りがないゆえに
わたしは彼らの吟(くちずさ)む詩を愛します。
そのうえで,これでは「どうも下手なラブレターの書き出しみたい」になると指摘。上田敏の『海潮音』や永井荷風の『珊瑚集』の行ったような「日本化」という手法をとった理由を説明しています。
金時鐘の訳は,上の金素雲の逐語訳とあまりかわらない。金時鐘の試みは,「朝鮮詩」の訳の決定版を出すことが目的でなく,ルーツを韓国に持ちながら朝鮮語を母語としなかった自分の「自分探し」的な側面が強いように思われます。
なお,中公新書「金素雲『朝鮮詩集』の世界」は,著者林容澤が日本留学時代に書いた博士論文に手を入れたもの。
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金素雲氏の訳が七五調に徹し過ぎることがかえって邪魔に思えることもありますが、現代語訳よりもずっといいです。
日本語でも古典を現代語訳すると、元歌の風雅が失われてがっかりしますから、正直、古典詩は古語や歌の素養がある人に訳してもらいたい。
そういう意味では田中明さんという方(あまり詳しくは知りませんが)が時調を訳されているのを読むと、とてもいいなと思います。
最近は韓国についての政治評論が多いですが,かつては文学作品の翻訳もたくさんしていたようです。
私は,時調の翻訳は,尹学準『朝鮮の詩心』(旧オンドル夜話)の中で読みました。