私が大阪で鰻を食べていた時、私の三女は、マニラから成田へ向かう飛行機の中でした。
三女は、昨年11月に、二度目の英語語学留学でフィリピンのバギオという地方都市に行きました。一回目の留学時に親しくなったボーイフレンドに会うことも目的の一つでした。
3か月の留学期間を終え、帰国の日程を考え始めていた時、新型コロナウィルスが世界を覆いました。フィリピンも例外ではなく、日本へは渡航禁止、飛行機の往来も停止されました。
娘は「留学ビザ」の延長を繰り返して滞在を続け、ボーイフレンドと暮らしていましたが、コロナの蔓延が深刻化し、感染者の少ないバギオも一律に「外出禁止」に。家からの外出は、食料品を買うために週3回、1回につき1世帯から1人だけ、という厳しい制限が課せられました。
そして、お腹の中には新しい生命が。
結婚を約束していた二人は、まずフィリピンで婚姻届けをだし、新郎を「結婚ビザ」で入国させて、日本で新生活をという青写真を描いていましたが、コロナ禍のせいで、それもままならなくなりました。
国際結婚のためには、特別な書類が必要で、それは首都マニラの日本領事館に2人で出向かなければ手に入らない。郵送は不可。
しかし、首都マニラはとりわけコロナ禍が深刻で、ロックダウンされていて、一定時間マニラで過ごすと、2週間隔離されてしまう。さらに、バギオからマニラは、車で5時間以上、山道を行かなければならない。
結局、フィリピンでの婚姻届けはあきらめ、日本に帰国後、フィアンセを観光ビザで入国させ、日本で婚姻届けを出し、在留資格を「結婚」に切り替える方法を選択することになりました。
幸い、日比間の飛行機の運航が再開されたので、9月のフライトを予約しましたが、帰国予定日の2週間ほど前、3女が急に腹痛を起こし、病院に緊急入院。一時は、盲腸と誤診され、手術されそうになるというハプニングもありました。
また、マニラの空港に到るまで、州境を越えるために「通行許可証」が必要と言われ、入手しましたが、フィリピンは情報の信頼性が低く、その許可証で本当に検問を通過できるかは、行ってみないとわからない。
そんな不安の中で、フィアンセの運転する車に揺られ、なんとか空港にたどり着いたという連絡を、その日の早朝に受け取ったのです。
空港では、宇宙服のような防護服と、マスク、フェイスシールドを着けさせられ、その姿をLINEで見たときは、思わず笑ってしまいました。
成田に着くと、「宇宙服」の集団は、みな乗り換えで北京に向かう中国人で、成田で降りた日本人は一人もそんないでたちの人はいなかったということでした。
成田では、唾液による新型コロナの抗原検査でめでたく陰性。とはいえ、公共交通機関の利用は不可なので、やはり妊娠中の次女が車で迎えにいきました。陰性であっても、2週間は自宅から外出禁止だそうです。
今はまだ、外国人に対する入国ビザの発給が中止されているので、フィアンセが日本に来るめどは立っていません。
ともかく、日本に帰国でき、日本の病院で出産できるということだけでひと安心。
母子ともに健康であってくれることを願うばかりです。
三女は、昨年11月に、二度目の英語語学留学でフィリピンのバギオという地方都市に行きました。一回目の留学時に親しくなったボーイフレンドに会うことも目的の一つでした。
3か月の留学期間を終え、帰国の日程を考え始めていた時、新型コロナウィルスが世界を覆いました。フィリピンも例外ではなく、日本へは渡航禁止、飛行機の往来も停止されました。
娘は「留学ビザ」の延長を繰り返して滞在を続け、ボーイフレンドと暮らしていましたが、コロナの蔓延が深刻化し、感染者の少ないバギオも一律に「外出禁止」に。家からの外出は、食料品を買うために週3回、1回につき1世帯から1人だけ、という厳しい制限が課せられました。
そして、お腹の中には新しい生命が。
結婚を約束していた二人は、まずフィリピンで婚姻届けをだし、新郎を「結婚ビザ」で入国させて、日本で新生活をという青写真を描いていましたが、コロナ禍のせいで、それもままならなくなりました。
国際結婚のためには、特別な書類が必要で、それは首都マニラの日本領事館に2人で出向かなければ手に入らない。郵送は不可。
しかし、首都マニラはとりわけコロナ禍が深刻で、ロックダウンされていて、一定時間マニラで過ごすと、2週間隔離されてしまう。さらに、バギオからマニラは、車で5時間以上、山道を行かなければならない。
結局、フィリピンでの婚姻届けはあきらめ、日本に帰国後、フィアンセを観光ビザで入国させ、日本で婚姻届けを出し、在留資格を「結婚」に切り替える方法を選択することになりました。
幸い、日比間の飛行機の運航が再開されたので、9月のフライトを予約しましたが、帰国予定日の2週間ほど前、3女が急に腹痛を起こし、病院に緊急入院。一時は、盲腸と誤診され、手術されそうになるというハプニングもありました。
また、マニラの空港に到るまで、州境を越えるために「通行許可証」が必要と言われ、入手しましたが、フィリピンは情報の信頼性が低く、その許可証で本当に検問を通過できるかは、行ってみないとわからない。
そんな不安の中で、フィアンセの運転する車に揺られ、なんとか空港にたどり着いたという連絡を、その日の早朝に受け取ったのです。
空港では、宇宙服のような防護服と、マスク、フェイスシールドを着けさせられ、その姿をLINEで見たときは、思わず笑ってしまいました。
成田に着くと、「宇宙服」の集団は、みな乗り換えで北京に向かう中国人で、成田で降りた日本人は一人もそんないでたちの人はいなかったということでした。
成田では、唾液による新型コロナの抗原検査でめでたく陰性。とはいえ、公共交通機関の利用は不可なので、やはり妊娠中の次女が車で迎えにいきました。陰性であっても、2週間は自宅から外出禁止だそうです。
今はまだ、外国人に対する入国ビザの発給が中止されているので、フィアンセが日本に来るめどは立っていません。
ともかく、日本に帰国でき、日本の病院で出産できるということだけでひと安心。
母子ともに健康であってくれることを願うばかりです。
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