
写真:『にごりえ・たけくらべ』(新潮文庫、昭和53年改版)
「にごりえ」のあらすじは、ざっとこんな感じ。
新開(今の本郷辺り)の銘酒屋(飲み屋の形をとった売春宿)「菊の井」の看板酌婦(私娼)、お力(りき)には、かつて蒲団屋の源七という馴染み客があった。しかし、お力に入れ上げて財産を使い果たし、今は妻子ともども長屋住まいながら、お力への思いを断ち切れない。お盆のころ、客の相手をしていたお力は突然席を立って「すべてが嫌だ」といいながら通りをさ迷い歩く。そこへ、最近お力のところに通い始めた結城朝之助が声をかける。いっしょに店に戻ったお力は、酒が入っていたこともあり、初めて朝之助に不遇な身の上話を語る
一方、源七は体を悪くして仕事に出られず、生活は妻のお初の内職頼り。太吉という息子がいるが、あるときたまたまお力のいる「菊の井」の近くに行ったとき、お力と朝之助が太吉を見つけ、源七の息子であることを承知にうえで、高価な「カステラ」を買い与える。これがきっかけとなり、源七とお初は大げんか。その場の勢いで、源七はお初を子どもともども追い出してしまう。絶望した源七は、刃物を手に「菊の井」に行き、お力を刺したあと、みずからも命を絶つ。お力が抵抗したのか、納得づくの心中だったのかはわからない。
貧困家庭に育ち、苦界に身を落とした娼婦と、娼婦にほれて没落した男の悲劇が描かれています。
樋口一葉は、執筆当時、銘酒屋の立ち並ぶ一画に住んでおり、私娼の話を聞いてこの小説を書いたそうです。
「にごりえ」というタイトルは、漠然と「墨流しの絵」のことだと思っていましたが、「濁り江」で「濁った川、どぶ」のこと。どぶは、お力と源七の人生を象徴するものでしょうが、一方で話の中で重要な役割を果たしてもいます。
お力の身の上話にこんな内容があります。
子どもの頃、親からなけなしのお金で米を買ってくるようにいわれ、帰る途中、凍ったどぶ板で足を滑らせ、米がすっかりどぶに落ちて流れてしまった。そこにうずくまるお力を、帰りが遅いので心配した母親に見つけられ、泣きながら帰る…
この場面を芝居で観、また本であらためて読み直して、私は韓国駐在時代のあるアガシのことを思い出しました。
彼女もまた、自堕落な父親のせいで貧困に陥り、けっきょく梨泰院の観光キーセンのアガシに身を落としていました。
その身の上話によれば…
あるとき父親から濁酒(マッコルリ)を買ってくるようにと、壺を渡された。彼女は1960年代後半の生まれ。朝鮮戦争が終わり、韓国は世界最貧国の一つになっていました。クーデターで実権を握った朴正煕は、当時の食糧難に対する政策として、「米でつくる酒」の製造を禁じます。なので、彼女が買いに行かされたのは、密造酒なのでしょう。
マッコルリの入った壺を抱えてとぼとぼとあぜ道に歩くうち、壺からたちのぼる甘い香りに、つい指をつけて舐めてみた。「おいしい!」 空腹の彼女は、もう一回だけとくり返し舐めているうち、我慢できなくなって、ごくごくと飲んでしまう。10歳にならない少女ですから、たちまち酔っ払い、昏倒。マッコルリはすっかり田んぼに流れてしまった。心配した母親は、あぜ道に倒れている彼女を背負って帰ったそうな。
こんな話を、笑い話のように天真爛漫に話してくれました。
20世紀後半の韓国には、明治時代の日本と同じような話があったわけです。
その後、彼女は経歴を隠してある男性と結婚。今生きていれば50代後半だと思います。どんな人生を送っているかは想像するばかりです。
韓国飲み屋事情~観光キーセン
人生いろいろ~観光キーセンのアガシ
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