三連休の初日、実家に帰りました。
実家には83歳の母と89歳の伯母が二人で住んでいます。老人所帯なので、兄と私でときどき様子見がてら、ご機嫌窺いに行くのですね。
母は、体は健康なのですが、最近とみに物忘れが激しくなっている。ボケ防止のためにときどき麻雀をやっています。伯母のほうは、足腰が弱っているけれど頭はしっかりしています。
「来年の正月は、末っ子が大学受験だから、来られないよ」
「末っ子は成績いいの」
「まあまあだよ」
「でも、学校のレベルはどうなの」
そんなことを聞かれるとは思いませんでした。
「あたしが国民学校のころは、いつもクラスで一番でね。校内でいろんな賞をもらって、いい気になっていたけれども、府立の女学校受けたら落ちちゃった。考えてみたら、自分の国民学校のレベルが低かったんだなあって」
70年以上前の話を持ち出します。
伯母は、大正12年9月6日生まれ。9月1日に関東大震災が起きて、東銀座に住んでいた祖母が臨月の姿で逃げまどい、避難した先で産み落としたのが伯母です。
軍国日本で少女時代を過ごし、戦中は挺身隊で労務動員。自分でいうように頭はよかったのでしょうけれど、大学に行くような時代ではない。戦後の混乱のなか、親が決めた結婚がうまくいかず、和裁をやったりしながら生活していましたが、幼いときから仕込まれた三味線を活かして、小唄の師匠になり、70過ぎで舌癌を患うまで、教えていました。
こうしてたまに会うと、家族史を聞かせてもらいます。老人の話とて、何度も聞く話もあるけれど、初めて聞くこともあって、興味深い。49歳で死んだ弟(つまり私の父)の話もよく出ます。
「たしか韓国の朴大統領と同期じゃなかったかな」
朴正煕大統領は1917年生まれ。父や伯母よりも少し上です。
調べてみると、韓国で教師をしたあと1940年に満州軍官学校、1942年に日本の陸軍士官学校に編入。44年4月に陸士57期として卒業しています。
父は、1943年に陸士予科に入学、44年10月に士官学校に入学した59期ですから、朴正煕(高木正雄)とはほんの数か月の差で入れ違いだったようです。
〈参考〉
大統領の思い出~朴正煕①
大統領の思い出~朴正煕②
大統領の思い出~朴正煕③
大統領の思い出~朴正煕④
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