今まで私は、日韓のさまざまな問題について、本を読んだりネットを検索したりして、かなり深く調べてきたつもりですが、竹島問題だけは敬遠気味で、深く立ち入らないようにしてきました。 その理由は、資料がほとんど古文献(漢文)であり解読が難しいこと、島の名前がいっぱい出てきてやたらと複雑であることでした。 竹島にしろ、独島にしろ、両国で現在の島名が定着したのはほんの百年程度前にすぎません。それ以前は、同じ . . . 本文を読む
韓国のネイバーというポータルサイトに、「知識iN」という質問コーナーがあります。寄せられた質問に対し、匿名で回答が書き込まれるのですね。信頼性は低いけれど、手軽さが受けて盛んに利用されています。ヤフー知恵袋みたいなものです。 そこに竹島に関する質問がありました。少し古い記事で、2008年7月19日ですから、ちょうど日本の中学校社会科教科書の新学習指導要領解説書に初めて竹島問題が言及されたときのも . . . 本文を読む
日本の外務省のホームページに、次のような一節がありました。6.サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い 1.1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約は、日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。 2.この部分に関する米英両国による草案内容を承知した韓国は、同年7月、梁駐米韓国大使からアチソン . . . 本文を読む
続いて、第二次世界大戦終了後の状況についての日韓の主張を見てみましょう。 まず韓国の主張。3)第2次世界大戦の終戦後、獨島は韓国の領土に戻り、大韓民国政府は確固たる領土主権を行使しています。 1943年12月に発表されたカイロ宣言には、「日本は暴力と貪欲によって略取した全ての地域から追い出されるべきだ」と明記されており、1945年7月に発表されたポツダム宣言もカイロ宣言の履行を規定しています。 . . . 本文を読む
竹島問題はこれから日韓の間で論戦が活発化すると思われます。日韓政府の立場はそれぞれ外務省と外交通商部のホームページで明らかにされています。政府がどんな主張をしているのか見てみることにします。日本外務省ホームページ(→リンク)韓国外交通商部ホームページ(→リンク) 各ホームページは日本語と韓国語のほかに世界の主要8言語版のPDFが用意されています。 江戸時代以前の経緯について . . . 本文を読む
政府が竹島について国内各誌に政府広報を載せ始めたそうです。 私も自宅でとっている朝日新聞を調べてみました。ざっと全ページをめくってみても見当たらない。全面広告を期待していたのですね。 もしかして小さな広告かと思ってもう一度くまなく探してみましたが、やっぱりない。 ネットで検索すると、政府のHPにありました。ずいぶん小さい広告だったんですね。それも全紙いっせいではなく、順番に出すようです。(&ra . . . 本文を読む
李明博大統領の竹島上陸の理由が「慰安婦問題」にあったということが報じられて以後、「慰安婦問題」がクローズアップされています。 またか、という感じですが、今回は例の「河野洋平談話の見直し」の主張が出てきたところが新しい。当然、韓国は猛反発(→リンク)。それを見た野田首相は「談話」の踏襲を示唆して腰砕け状態。しばらくすれば鎮静化するでしょう。 韓国は日韓の過去の歴史問題について「過去史問題 . . . 本文を読む
竹島について日韓に密約があったという情報を、コメンテイターの方からいただきました(→①、②) 私はよく知らなかったのですが、これについてはすでに日韓双方で報じられていて(たとえば③)、本も公刊されていました(④)。 8月15日、光復節のハンギョレに載ったコラムを翻訳・紹介します。(→⑤)朴正煕政権は、なぜ独島守備隊長の手を折ったのか独島密約、今こそはっきりさせよ 軍事独裁政権 . . . 本文を読む
韓国の初等学校教科書(5年生)には、金玉均について次のように簡略に触れられています。 壬午軍乱のあと、清の干渉がひどくなり、金玉均をはじめとする開化派たちはなかなか思いを実現することができなかった。このため開化派は日本の力を借りて自分たちの主張を実現しようとした。 郵政局開局祝いのパーティーの隙をねらって、開化派たちはクーデターを起こした。開化派たちは清の勢力を追い出し、社会制度を改善するた . . . 本文を読む
コメンテイターの方から興味深い情報をいただきました。韓国観光公社のサイト(→リンク)で、独立門について説明してあります。 独立門(ドンニンムン)のある場所は、元々使臣を迎えた迎恩門のあった場所でした。迎恩門は中国からの使臣がやって来たとき王が自ら出迎えた場所で、外交の象徴だったこの門の後に、1897年、独立門が建てられました。この門は、長い間影響を与えてきた中国や、韓国を脅かす日本やロ . . . 本文を読む
韓国出張時、独立門のそばのトガニ専門店に行ったことを書きました。 独立門は、ソウル駐在時代、日本から遊びに来た友人とともにソウルシティーツアーという巡回観光バスに乗って独立公園に行ったとき、ついでに寄ったことがあります。 独立門は、朝鮮が清から独立したことを記念して立てられた歴史的建造物。 朝鮮王朝は、17世紀に二度にわたる清(後金)の侵略を受け、清に服従、以後清の冊封体制に組み込まれ属国の地位 . . . 本文を読む
金正日の陰にかすんでしまいましたが、数日前(12月13日)、韓国政財界の大物が亡くなっていました。 朴泰俊、ポスコ名誉会長。 朴正煕元大統領の盟友であり、日本からの請求権資金と新日鉄の全面的なバックアップを受けて高炉を建設、新日鉄をしのぐ世界最大の鉄鋼メーカーを作り上げた「鉄人」でした。 朝鮮日報は翌14日の社説で、この企業人の死を悼みました。【社説】「鉄人」朴泰俊会長を見送りながら ポスコの朴 . . . 本文を読む
韓国にはハングルの日という日があります。10月9日です。ハングル専用政策を押し進めた朴正煕大統領が1970年にハングルの日を休日にしたことがあるそうですが、私が韓国にいたときは休日ではありませんでした。 ハングルの日の前後の新聞には、きまってハングルと民族主義を結びつける記事が出ます。今年の中央日報は、日帝時代の「朝鮮語抹殺政策」についての記事を載せました。(→①、②) 「韓日併合後に . . . 本文を読む
コメンテイターの方から、「韓国では日本のように漢字とかなの併用をせず、どうしてハングルのみになったのか」という質問をいただきました。 韓国における国語教育や文字政策の歴史については、森田芳夫さんの『韓国における国語・国史教育―朝鮮王朝期・日本統治期・解放後』という大著を見るのがよいのですが、あいにく韓国に置いてきてしまったので、今参照することができません。 ネットで利用できる「韓国民族文化大百科 . . . 本文を読む
韓国では豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を壬辰倭乱(イムジンウェラン)といいます。壬辰というのは干支(十干十二支の組み合わせで60年周期を表わす暦)の一つで、1592年のこと。文禄の役の始まった年ですね。慶長のほうは1598年で、干支で言えば丁酉。だから慶長の役のほうは丁酉倭乱なのですが、こちらのほうはあまり聞かない。二つを合わせて壬辰倭乱と言っているようです。 ところが、この呼び方が来年か . . . 本文を読む